エンジンチェックの顛末

車について書くことと言えばトラブルネタしかない気がしますが、今回はエンジンチェックランプが消えなくなった話です。

去年の夏ごろから、キーをひねってもエンジンチェックランプが消えないという症状がちらほら出ていました。
最初は一度エンジンを切って再始動すると消えていたので、しばらく様子を見ていましたが、だんだんと消えなくなったり、走行中に点灯するようにもなりました。

最初の診断では、スプールバルブが怪しいということでした。
確かに配線が見るからに古くなっていたようで、年末に修理に持ち込みました。
このときには常時点灯するようになっていました。

数時間車を預けて帰ってくると、
・配線は修理したが、消灯せず
・試しに他のECUを接続したら、消灯
というわけで、どうやらECUがおかしいらしいということになりました。

EG前期のECUなど新品が出ているわけもなく、まずはDC2やEK9も含めて中古品を当たることにしました。
が、これもモノが出ず。
途方に暮れかけていたときに友人のアドバイスで、ECUの修理を依頼することにしました。

株式会社キャニーエクイップ様
http://cannyequip.com/

コンタクトを取った結果は「修理可」とのことでした。
ECUを取り外して(もらって…ろくすけ君いつもありがとう)、先方に送ります。

ECUの中です。
案の定、電解コンデンサから液漏れしていて、1か所はかなり浸食が進んでいました。
これ、直せるのかな…。

2/19月曜日に発送して、翌朝には到着と作業開始の連絡がありました。
見るからにダメ、ということではなさそうでした。

そしてその翌日の夜、作業完了と返送の連絡を受けました。

受け取った現物と作業明細がこちら。
目に見える不良部分だけでなく、直せるところは全て直して頂いたようです。
料金はWebに記載の通り、30,000円でした。

再度接続して数時間車を走らせましたが、今のところ点灯していません。
ランプが常についているのは気持ち悪かったので、ひとまず安心です。

同社はWebで調べているうちにたまたま見つけましたが、ECU修理専門、実績豊富の信頼感もさることながら、何より”Long Life is Beauty”を掲げてられているところが決め手でした。
長く付き合う上で、いざというときに選択肢がある、選択肢を提供されるということは非常にありがたく心強いことだと思います。

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エアコン修理(2年連続)

昨年コンプレッサーやコンデンサを交換したうちのシビックですが、再びエアコン不調に見舞われました。

  1. スイッチオフなのにコンプレッサーが動く。
    A/Cスイッチのオンオフだけでなく、風量をゼロにしても同じ。
  2. ブロワーが回っているのに風が出ない。
    具体的には風量が徐々に弱まり、最終的に全く出なくなる。
    一晩明けると回復するが、弱まって止まるのは同じ。

1の症状は前々から感付いており、夏の旅行前の点検で確認できず様子見ということにしていましたが、症状2がよりによって旅行初日に現れてしまいました。
(行き先が東北だったので、エアコンなしでも何とかなりましたが…)
それからは症状1も完全に顕在化していましたし、更にアイドリングが不安定になる始末。
踏切前の一時停止でエンジンストールしたときは恐怖を感じました。

調べてもらったところ、コンプレッサーの配線が焼けていたそうです。
スイッチ操作を受け付けなくなり、クラッチが常につながった状態になっていた、というわけです。
これが症状1の原因です。

症状2ですが、そのせいでエバポレータ周りが凍結したようです。
だから「だんだん風が弱くなって止まる(凍る)⇔しばらくすると復活する(溶ける)」を繰り返したのかと合点は行ったのですが、制御不能に陥って相当な強さで冷却されたのでしょうかね…。
アイドリング不安定の原因もコンプレッサーの出力過多のせいかもしれません。

ひとまず解決はしたので一安心なのですが、配線焼損とは危なっかしい事態でした。
恐らく経年劣化だろうね、との診断です。

次はこの辺りのリニューアルが必要かと考えましたが、ECUだってコンデンサが破裂することはあるとか、どうせ下ろすならエンジンオーバーホールもとか…。
どこまでやるかです。

今日は友人の協力で、外れかけたドアバイザーも修理しました。
遅ればせながら、年式相応の不具合がいろいろ顕著になってきましたし、主に部品在庫の問題から決断を先送りしにくくもなってきました。

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現代版奥の細道 (5)

夏の東北ツーリング記録その5。

……

東京に向けて更に南進する前に、寄り道で男鹿半島方面へ。

途中、秋田港のふ頭に24系客車が留置されているのが見えました。
「どこか海外に行くのだろうな、グッドラック」などと思いながらその場を過ぎ去りましたが、後で調べたところでは早2年近く、この場から動いていないそうです。
JRから都内の貿易代理店に売却され、コンゴに輸出される予定だったものの、そこから先の商談が頓挫している模様です。
もとは2014年3月に廃止された最後のブルートレイン「あけぼの」に使用されていた車両です。
一度は役目を終え、走り慣れた秋田から新天地に旅立つはずが、再び目的地を無くしたまま風雪に耐え、佇んでいるのでした。

男鹿半島は、鵜住居に泊まったのと同じ旅行で訪れましたが、如何せん前の話であまり良く覚えておらず、フィルムカメラで手あたり次第に目に留まったものを撮るわけにもいかず、記憶も記録もおぼろげでした。
そういう意味では初めて足を運ぶようなものです。
まずは手近なところで、寒風山に登りました。
半島の輪郭、日本海に八郎潟も見渡せ、最後の最後で天気も良くなり、旅の締めくくりとして言うことのない景色でした。

続いて半島の先端入道崎に八望台と、景観スポットを巡りながら半島を一周しました。

次に八郎潟周辺を走りました。
どこまでも真っ直ぐに続く道に驚きました。まるで北海道のようです。

日本一低い山、大潟富士の登頂に成功しました。
頂上からは広大な田園地帯が一望できません。
目線と大して変わらない高さから、「あぁ、これが社会科で勉強した、八郎潟の干拓地か」と。

もう一つ、ここには東経140度北緯40度の地点があります。
日本で唯一、経度と緯度が10度単位で交わるポイントです。

そろそろ帰ろうと思い、改めて、国道7号線を南へ走り始めました。
秋田・山形県境は鳥海ブルーラインへ迂回しました。
あいにく山の上は霧が濃く、名峰鳥海山の姿は拝めませんでしたが。

同じく県境付近に、JR羽越線の女鹿(めが)駅があります。
周囲に人家などは少なく、普通列車すら一部は通過する、いわゆる秘境駅です。
午前中に酒田方面の上り列車が2本、午後に秋田方面の下り列車が4本しか止まらず、つまりこの駅から下り列車に乗ると、同日中に戻ってこれません。
もちろん利用の実態に即した設定なのでしょうが。

徐々に日が暮れ、1日の終わりとともに旅も終わりを迎えます。
最終的には聖篭新発田インターから高速に乗り、脇目も振らずに東京を目指しました。
深夜の高速もそれなりに交通量が多く、盆の終わりも同時に感じました。

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現代版奥の細道 (4)

夏の東北ツーリング記録その4。

……

朝風呂と朝食を頂いてから出発。
国道280号線を北上し、津軽半島の先端、龍飛崎を目指します。
実は国道経由は遠回りなのですが、海沿いの景色を見ながら。

高野崎。
岬の先の先まで行けるワイルドな場所です。
海峡の先にうっすら見えるのは北海道。
ここまで来るならもう一歩と思ってしまい、これまで青森は経由地であることが多かったです。
北の大地へは、またいずれ。

今別町の青函トンネル入口広場では、トンネルを出入りする列車を間近に見ることができます。
新幹線がようやく走るようになりましたが、貨物列車との兼ね合いで大分速度を落とさざるを得ず、世紀の大事業がボトルネックになってしまっているのが残念です。
今後の技術の進歩と、札幌まで新幹線が到達したときの変化に期待します。

道は三厩(みんまや)村から国道339号線、通称松前街道と名を変えます。
奥州で命を落としたはずの源義経は、実はここから三頭の龍馬に乗って蝦夷に渡った…つまり「三馬屋→三厩」、だそうです。
この類の言い伝えは北海道にも多く残されていて、義経という人物のカリスマ性を感じます。

竜飛崎に着くと、ようやく待望の青空が姿を見せ始めました。
ここに来たのはこれで2度目。最初はもう17年も前の話になります。
かつてはトンネル内に龍飛海底と吉岡海底という駅があって、見学ツアーに参加して乗り降りすることもできました。
あのときは竜飛海底駅から坑道を登り、龍飛崎の青函トンネル記念館を見学するというコースに参加しました。

そういえば最近、再訪を語ることが多くなりました。「ここに来るのは〇年ぶり…」というふうに。
つくづくいろいろなところを巡り周ったなと思いますし、年月が経つのは速いとも思ってしまいます。

339号線には、一見遊歩道のような階段が含まれています。
通称「階段国道」、自動車すらまともに走れない、ある意味究極の酷道です。
こんな国道は日本全国ここにしかありません。

ここから進路は完全に南向きになります。
この旅に折り返し地点を設けるとしたら、ここだったでしょう。
339号線と県道を走り、国道101号線で秋田方面を目指しました。
この路上で、走行距離が80,000kmに達しました。
1991年10月の納車から約26年…少ないですよね。

101号線は風光明媚な路線です。
日本海に沿って伸びる素晴らしいシーサイドラインであり、沿道には千畳敷や十二湖のような景勝地もあります。

秋田県に入ってから少し寄り道して、白神山地の登山道を登ってみようと思いましたが、気軽にハイキングできる雰囲気ではなかったので、早々に撤退しました。
玄関で世界遺産の雰囲気だけ少し味わった、ということで…。

ツーリングマップルに「みかん色の湯」と紹介されていた、能代市の「船沢温泉」で入浴。
色もそうですし、成分も日本トップクラスに濃いそうです。

この日は県都秋田市で投宿することにしました。
夜は川反飲食店街の居酒屋で、ハタハタや比内鶏、地酒を堪能しました。

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現代版奥の細道 (3)

夏の東北ツーリング記録その3。

……

この朝も雨は止んでいませんでした。
私はどちらかというと晴れ男の気があって、ここまで雨に降られた旅はほとんど記憶にありません。
下北半島の東側を縦に貫く国道338号線で、半島の先端を目指します。

下北半島といえばマグロの大間が有名ですが、今回はまず尻屋崎へ向かいます。
人気のない森の中を走り続け、岬が近付くと、突如三菱マテリアル青森工場の巨大なプラントが現れました。
そのギャップに少し驚きました。

尻屋崎、半島の北東部に突き出た岬です。
確かに「最〇端」でありませんが、いくらか観光地化されている大間と比べて、果て感がより強く漂うのはこちらです。
ここには寒立馬という馬が放牧されているはずなのですが、岬周辺には姿がありませんでした。
いないなぁ…と思いながら立ち去ろうとすると、

いました。
ここは馬優先。パシャパシャ写真を撮りながら、彼らが道の外へ去るのを待ちました。

続いて下北半島最大の名所とでも言うべき、恐山へ。
早速散策…の前に、境内に温泉があるのを見つけました。
お参り前に身体を清めましょう。熱々の良湯です。

ここの風景は浮世離れしていました。
古くから霊場として畏れられていたのも、この異世界じみた風景が理由に違いないと、
改めて理解しました。

次は前々から訪れたいと思っていた薬研温泉へ向かいました。
無料の公衆浴場「かっぱの湯」は、あいにく女性用の時間帯になってしまい、近くの「夫婦かっぱの湯」に入りました。
刺激の強い恐山の湯と違い、無色透明のさっぱりした温めの湯で長湯できましたが、次はきちんと時間を調べて来たいと思いました。

意外と時間がなくなってしまい、脇野沢から出るフェリー最終便に間に合うためには、一旦むつ市中心に戻り、南岸を回るしかないと分かりました。
大間崎に寄って西岸を走りたかったのですが、断念せざるを得ませんでした。

下北は広いです。なかなか全域踏破できません。
「かっぱの湯」もありますし、またいつか訪れることにしましょう。
陸奥、陸の奥とは良く言ったものですが、その更に深いこの場所には再訪したくなる魅力があります。

脇野沢から1時間で、対岸の津軽半島・蟹田に到着しました。
津軽半島最古の湯「平舘不老不死温泉」に投宿。
当日予約にも関わらず、海の幸満載の夕食もご用意頂いて満足でした。

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現代版奥の細道 (2)

夏の東北ツーリング記録その2。

……

「二又復興交流センター」に泊まりました。
2011年3月(地震と同時期だったのは恐らく偶然)に閉校となった旧矢作小学校を簡易宿泊所として改築した施設です。

あの日の翌日、壊滅した陸前高田の市街地の写真が朝刊に載りました。
荒浜と並んで、その名前を衝撃とともに強く記憶している場所です。
そこで、陸前高田には是非泊まりたいと考えていました。

車で10分ほど走ると、JR大船渡線の線路が見えてきます。
震災後、大船渡線の気仙沼~盛間はBRTによる仮復旧が比較的早く行われましたが、復旧費用がネックとなり、鉄路の再開は断念されました。
BRTに転用されなかった区間は、施設や設備も撤去されず荒れるに任され、何も知らないまま、二度と来ない列車を待っているかのようで哀愁が漂いました。

陸前高田の中心市街地だった場所を訪れると、津波の高さを感じる遺構がいくつか残されています。
復興のシンボルとも言うべき、奇跡の一本松もここにあります。
周辺は新しい市街の造成工事が進んでいました。
震災をきっかけに人口減少が進み、苦しい状況ではありますが、単なる「復旧」に留まらず、真の意味での「復興」を成し遂げてほしいものだと思います。

再び国道45号線を走ります。朝食は隣の大船渡市の魚市場にて。
無料の三陸自動車道もありますが、地域の姿を見たいので一般道を走りました。
並行する三陸鉄道南リアス線は、三陸地方を縦に貫いて宮城から岩手、青森に至る鉄路の最後の区間として開通したところです。
それから30年足らず、気仙沼線と大船渡線が途絶し、鉄路が絶えてしまったことになります。

釜石市鵜住居にやって来ました。
中学3年生のとき、合宿で鵜住居の駅前にある民宿に泊まったことがありますが、駅もろとも集落が流され、面影はありませんでした。
釜石と宮古の間のJR山田線も運休が続いていますが、ここはJRが鉄路を再建し、三陸鉄道に引き渡されることにになっています。
真新しい線路を見て、気仙沼線も大船渡線もこうなれば良かったのに…と感じました。
あくまで趣味人としての感想です。復旧断念の決断は尊重します。

大槌町、山田町と、やはり大きな被害を受けた街を横目に見ながら、重茂(おもえ)半島へ通じる県道41号線に進路を変えました。
曲がりくねった狭い道をしばらく走り、姉吉キャンプ場の駐車場に車を止めます。
朝からぱらついていた小雨はこの時点で本降りになっていましたが、最低限の荷物と傘を手に、登山道へ歩を進めました。

足元は良くはないものの、歩けないというわけでもなく、1時間ほどで本州最東端、魹ヶ崎(とどがさき)に到達しました。
天気が良くないのは残念でしたが、踏破は踏破です。雨が降りしきる中、一人感動に浸りました。
これで、本州の果てで残すは毘沙ノ鼻(山口県)のみになりました。
ここもシビックで行けたらいいと思います。

宮古の道の駅「みなとオアシスみやこ」で昼食を取りながら、今日は青森県に入ることを決めました。
スマホで宿を取り、三陸海岸沿いを北上します。
途中、北山崎展望台で寄り道しました。ここも天気が良ければ絶景だったのでしょうが。

ちょうど日が沈みかけた頃、青森県に入りました。
月並みですが、ようやくここまで来たという感じです。

青森県三沢市の「ホテルルートイン三沢」にチェックインしました。お盆休みのせいか、県外ナンバーの車が多かったです。
当地品を味わおうと思い、近くの居酒屋でパイカという豚の軟骨を食しました。
かつては捨てていた部位を名物にできないか、という発想で発案されたそうです。
非常に興味深いです。

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現代版奥の細道 (1)

夏の東北ツーリング記録その1。

……

朝5時前に目が覚めたので、そのまま身支度を整えて出発。

エアコンがやはりダメになりました。
出発してすぐは問題ないものの、段々風が弱まり、最終的に止まりました。
曇りか小雨がパラつくあいにくの天気も、かえって好都合でした。
逆に快晴だったらと思うと…。

再び国道6号線を北上します。
茨城県と福島県の境に鵜ノ子岬があり、ここが関東と東北の境界と言うことができます。
(それらしきモニュメントの類はありませんが)
その先にある勿来関は、奥州三関の一つと呼ばれています。

いわき市、湯本温泉の公衆浴場「さはこの湯」で入浴。
ちょうど朝8時、オープンと同時くらいに到着しましたが、既に地元の人々で賑わっていました。
湯は大変熱く、地元客すら長湯は厳しそうでした。
エアコンが利かないことを思い出したときには時既に遅し、汗ばみながら再び北を目指します。

双葉郡富岡町と浪江町の間は、原発事故による帰還困難区域を通っていますが、四輪車であれば通行が認められています。
あれから6年、被災地の今の姿をこの目で確かめるのが、今回の旅の大きなテーマでした。

ビデオカメラをセットするため、JR富岡駅の駅前広場に入りました。
富岡駅は津波で駅舎が全壊し、辛うじて流失を逃れた駐車場の入口が、ひん曲がったまま残されています。
一方、JR常磐線は復旧工事の真っ最中で、10月の運行再開を前に真新しい駅舎の建設も進んでいました。
過去と未来の象徴だと思いました。

カメラを回しながら、帰還困難区域を進みます。
途中で止まることは許されず、沿道や建物にはバリケードが設けられ、国道から外れることもできません。
それを除けば、良くある商店や飲食店が立ち並ぶ、普通の国道の風景なのですが、あれから時計の針は止まったままです。

宮城県に入りました。
JR坂元駅の付近から国道を逸れ、より海沿いの道を選びました。
この坂元駅も津波の被害を受け、今は高架駅で再建されました。

市街が壊滅した、名取市閖上の今の姿です。
朝市が有名ですが、街の再建はほとんど進んでいないようでした。

この春に資料館としてオープンした、仙台市若林区荒浜の旧荒浜小学校を訪れました。
荒浜はあの日、最も早く人的な被害が報じられたところだと記憶しています。
「百数十人の水死体が…」と伝えたニュースは忘れられません。

仙台市の東部を縦に抜け、塩竃市から国道45号線に入りました。
時期はお盆休み、松島付近はさすがに少々混雑していました。
仙台と石巻を結ぶJR仙石線も被害を受けた鉄路の一つです。
東松島市の野蒜駅は津波の直撃を受けたものの、駅舎とホームは残りました。
その後線路自体を高台に移設して運行を再開し、野蒜の旧駅舎は「震災復興伝承館」として公開されています。

国道398号線で、石巻市から女川町を経てを走りました。
あまり交通量のない道でしたが、それは沿道の集落が軒並み被害を受けたことと無関係ではないでしょう。
道は再び石巻市に入り、最後に旧大川小学校を訪れました。
悲劇の地としてあまりに有名になってしまった場所です。

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調べると、一見学校らしからぬデザインには設計者の思い入れが込められていたようです。
それが何もなくなった更地の中、無残な廃墟を晒していて、かえって哀愁を漂わせているのでした。
冷たい雨が降りしきり、何も知らないヒグラシが鳴き声を響かせる中、ただ嘆息するしかありませんでした。

「遺構があると思い出す、だから壊してほしい」という人々の気持ちが分かりました。
部外者の私ですら、この景色を見るのは非常に辛いものがありました。

更に国道398号線を走ると、本吉郡南三陸町の中心、志津川付近で45号に合流します。
このあたりで、たまたま同じような行程で北を目指していたフォロワーさんとお会いするということになり、気仙沼まで急行してEF9とEG9を並べてしばし歓談しました。
これまでの被災地訪問、特に大川小で大分気が滅入ったので、楽しい話ができたのは非常に救いでした。

フォロワーさんと別れて夜道を走り、岩手県陸前高田市に入りました。
先ほどの南三陸町や、この陸前高田市は夜になると真っ暗になります。
その理由が、「何もないから」ではなくて、「何もなくなったから」だと感じたとき、いつもの夜道とは明らかに異質の不安がよぎりました。

「帰りたい」-そう思いました。

後日、そんな話を人にしたところ、「それは君に帰る場所があるからだよ」と言われ、ハッとなりました。
そこで日々生きる人々には申し訳ないと思いつつ、生身の体験談として敢えて正直に書き記しておきます。

2011年は未だ終わらず。
かの地の人々にせめてもの敬意とエールを。

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現代版奥の細道 (0)

夏の東北ツーリング記録その0。
東京を脱出しただけなので前段編です。

……

仕事から上がって、朝を待たずに出発することにしました。
時期はお盆、出発が遅くなればなるほど道が混むのが目に見えていたので、せめて夜明けまでに首都圏は脱出したいと思ったからです。
車で遠出するときに良く使う手です。

行けるところまで下道で行きたいと思い、国道6号線水戸街道を下ります。
道は空いてはいませんでしたが程よく流れていて、そこそこ快調でした。
ところが牛久のあたりを走っていたあたりで異変に気が付きました。
エアコンの風が明らかに弱くなっているのです。

風量を強くしても風が弱まるばかり、ただブロワーの音だけが大きくなります。
ついには風が全く出なくなってしまい、初日(むしろ始まってすらいない)からエアコンレスという事態に陥ってしまいました。
「一過性のものかもしれないし…むしろそうであれ」と半ば祈りながらステアリングを握ります。

23時頃、茨城県日立市「ビジネスホテル大みか」に投宿。
走行距離は168.4kmでした。

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2017’夏

まず、72年目のこの日に哀悼の意を表します。

……

今年も旅の季節がやって来ました。
去年はいろいろと不慮の事故が重なり、思うように遠出できなかったのですが、今年はそのウサを晴らすべく動き回ろうと思います。

早速ですが今週から出かけるので、準備をしました。

1.車
いつものホンダツインカム杉並店にて。
ここ最近、エンジンチェックランプが消えない事象が発生したのですが、見立てではスプールバルブが少し怪しいようでした。
とはいえ、すぐにどうこうという程度でもないので、走らせながら様子を見ることに。

他は問題ナシ。

2.スマホ
Googleマップでナビを起動しても、自車の動きに追随しないという問題があったのですが、“GPS Status & Toolbox”をインストールしてGPS情報を取得したら解決しました。

あと経路記録用のロガーアプリを探していたところ、Google Mapのタイムライン機能でも全く不自由ないことが分かりました。
細かいところは粗いのですが、これだけ記録してくれれば十分です。

3.地図
どんなにITが発達しようとも、紙の地図はツーリングに必携だと思います。

全国いろいろ走り回った結果、我が家には(発行年度は違えど)全地域のツーリングマップルが揃っています。
ライダー向けの地図ですが、4輪ツーリングにも非常に有用です。
道の雰囲気、食事や温泉情報も豊富ですし、「ダート20km」などと書いてある道には踏み込んではいけない、と分かりますし。

東北2011年版を持っていました。
あの出来事のあとの初夏、友人と南東北を訪れたときに購入したものです。
8月には東北を縦断し、北海道に渡ったときも重宝しました。

今日、最新版を買い求めました。
今回の旅には両方の版を持参して、在りし日の姿に思いを馳せながら今を確かめたいと思います。

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一足早い宗像大社

(前日からの続き)

福岡行きの手配を終えたところでニュースがありました。
『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』世界遺産登録決定の報です。
しかも除外されかけていた宗像大社まで含まれたとのこと。

東京に帰るフライトは14:00でしたので、午前中に行って帰ってこれる距離です。
今後観光客が押し寄せるでしょうから、一足早く訪問できるチャンスと思いました。
若松線と日田彦山線に乗ってJR九州完乗、と思っていましたが計画は変更です。

はっきり言って今はあまりアクセスが良くありません。
(今後改善されるでしょうが)
天神からの直通バスか、JR東郷駅からバスに乗るかですが、いずれもバスの本数が多くありません。
今回は休日に限って増便される、朝7:50天神発のバス「特急むなかた号」に乗りました。

バスは香椎まで都市高速、その後は国道3号線を走り、天神から1時間ほどで宗像大社前に到着します。
朝早い便を選んだおかげで、日差しも強くなく、訪れる人も多くなく、静かな雰囲気で参拝できました。

このあと大島にも渡ってみたいと思い、9:16発の神湊(こうのみなと)波止場行きバスに乗りました。
9:25発の大島行きフェリーに接続するだろう…と踏んでいたのですが、道の駅むなかたに寄り道するなどして時間がかかる便なのでした。
結局、波止場に着いたときは船は出航した後でした…。
もっとも、乗れたとしても大島の滞在時間はわずか25分だったのですが。

せっかく来たので神湊周辺を散策しました。この地名も因果めいたものを感じます。
浜辺から大島、更には沖ノ島の方へ二礼二拍一礼しました。
(ちなみに写真中、手前のはっきりした島は勝島)
信仰のベースには、海の安全への願いがあるそうです。
であれば陸から彼方の聖地に思いを馳せるのも良いのではないかと(こじつけ)。

大島との船便は1日7往復しかありません。
Twitterにも書きましたが、大島への観光客も増えるでしょうから、住民向けの船のスケジュールから見直す必要が出てくるのでしょう。
いろいろな人が興味持ってくれるのは良いことだと思いますが、一方いくら世界遺産とはいえ、観光客に媚び過ぎないで欲しくない気もします。

一旦宗像大社に戻りました。
第二宮、第三宮は工事中でした。もしかしたら世界遺産に登録されるなどとは想定外の工事スケジュールだったのかもしれません。
境内の奥、高宮祭場は宗像三女神降臨の地とされ、パワースポットでもあるらしいです。

ここでほぼ昼になりました。
帰りは東郷駅経由で博多に戻り、福岡空港から東京へ帰路に就きました。

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