エンジンチェックの顛末

車について書くことと言えばトラブルネタしかない気がしますが、今回はエンジンチェックランプが消えなくなった話です。

去年の夏ごろから、キーをひねってもエンジンチェックランプが消えないという症状がちらほら出ていました。
最初は一度エンジンを切って再始動すると消えていたので、しばらく様子を見ていましたが、だんだんと消えなくなったり、走行中に点灯するようにもなりました。

最初の診断では、スプールバルブが怪しいということでした。
確かに配線が見るからに古くなっていたようで、年末に修理に持ち込みました。
このときには常時点灯するようになっていました。

数時間車を預けて帰ってくると、
・配線は修理したが、消灯せず
・試しに他のECUを接続したら、消灯
というわけで、どうやらECUがおかしいらしいということになりました。

EG前期のECUなど新品が出ているわけもなく、まずはDC2やEK9も含めて中古品を当たることにしました。
が、これもモノが出ず。
途方に暮れかけていたときに友人のアドバイスで、ECUの修理を依頼することにしました。

株式会社キャニーエクイップ様
http://cannyequip.com/

コンタクトを取った結果は「修理可」とのことでした。
ECUを取り外して(もらって…ろくすけ君いつもありがとう)、先方に送ります。

ECUの中です。
案の定、電解コンデンサから液漏れしていて、1か所はかなり浸食が進んでいました。
これ、直せるのかな…。

2/19月曜日に発送して、翌朝には到着と作業開始の連絡がありました。
見るからにダメ、ということではなさそうでした。

そしてその翌日の夜、作業完了と返送の連絡を受けました。

受け取った現物と作業明細がこちら。
目に見える不良部分だけでなく、直せるところは全て直して頂いたようです。
料金はWebに記載の通り、30,000円でした。

再度接続して数時間車を走らせましたが、今のところ点灯していません。
ランプが常についているのは気持ち悪かったので、ひとまず安心です。

同社はWebで調べているうちにたまたま見つけましたが、ECU修理専門、実績豊富の信頼感もさることながら、何より”Long Life is Beauty”を掲げてられているところが決め手でした。
長く付き合う上で、いざというときに選択肢がある、選択肢を提供されるということは非常にありがたく心強いことだと思います。

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エアコン修理(2年連続)

昨年コンプレッサーやコンデンサを交換したうちのシビックですが、再びエアコン不調に見舞われました。

  1. スイッチオフなのにコンプレッサーが動く。
    A/Cスイッチのオンオフだけでなく、風量をゼロにしても同じ。
  2. ブロワーが回っているのに風が出ない。
    具体的には風量が徐々に弱まり、最終的に全く出なくなる。
    一晩明けると回復するが、弱まって止まるのは同じ。

1の症状は前々から感付いており、夏の旅行前の点検で確認できず様子見ということにしていましたが、症状2がよりによって旅行初日に現れてしまいました。
(行き先が東北だったので、エアコンなしでも何とかなりましたが…)
それからは症状1も完全に顕在化していましたし、更にアイドリングが不安定になる始末。
踏切前の一時停止でエンジンストールしたときは恐怖を感じました。

調べてもらったところ、コンプレッサーの配線が焼けていたそうです。
スイッチ操作を受け付けなくなり、クラッチが常につながった状態になっていた、というわけです。
これが症状1の原因です。

症状2ですが、そのせいでエバポレータ周りが凍結したようです。
だから「だんだん風が弱くなって止まる(凍る)⇔しばらくすると復活する(溶ける)」を繰り返したのかと合点は行ったのですが、制御不能に陥って相当な強さで冷却されたのでしょうかね…。
アイドリング不安定の原因もコンプレッサーの出力過多のせいかもしれません。

ひとまず解決はしたので一安心なのですが、配線焼損とは危なっかしい事態でした。
恐らく経年劣化だろうね、との診断です。

次はこの辺りのリニューアルが必要かと考えましたが、ECUだってコンデンサが破裂することはあるとか、どうせ下ろすならエンジンオーバーホールもとか…。
どこまでやるかです。

今日は友人の協力で、外れかけたドアバイザーも修理しました。
遅ればせながら、年式相応の不具合がいろいろ顕著になってきましたし、主に部品在庫の問題から決断を先送りしにくくもなってきました。

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渡星 (5)

シンガポール滞在も最終日。
再び一人になって向かった先は、ハーバーフロントの国際旅客ターミナルです。


イミグレを通り(今回の旅行中4回目)、高速船に乗り込みました。


シンガポール海峡を隔てて約1時間の距離にあるバタム島は、インドネシアに属する島です。
かつて必要だったアライバルビザは不要になった…と各方面で見かけたのですが、入国するまでは果たして本当だろうかと少し心配していました。
結果、取得は求められませんでしたが、この手の規制は場所や役人によってまちまちなこともあるので油断なりません。


港の近くを歩き回ってみました。
隣にあるショッピングモールは人気が少なく、また車通りも少なくて、大都会のシンガポールからわずか20kmの距離にあるとは思えないような長閑さがあります。


タクシーで島の中心、ナゴヤにやって来ました。
なぜナゴヤなのか?日本の名古屋と何か関係があるのか?
その辺は不詳のようですが、少なくとも本名のルブッ・バジャとは誰も呼んでいないようです。


ここを歩いていて感じたのは人々、そして街が発する熱気です。
それは行き交う人々の会話だったり、見えない秩序があるらしい露店の並びだったり、あるいはゴミや溝水が発する臭いが元であったり。
生活感、とでも言いましょうか。
それもまた、対岸のシンガポールとは全く異なる風景です。
(良し悪し、優劣では決してなく)


ガイドマップの大雑把な地図と、モールのWi-Fiで更新したGoogleマップを頼りにハーバーベイのターミナルへ歩いて辿り着きました。
想像していたより遠く、なかなか姿が見えないときは「道を間違えたか?」と焦りましたが。


わずか数時間でしたが、インドネシア滞在終了です。
再び高速船に乗り、シンガポールへ戻りました。


帰りはチャンギ空港に近い東部のタナ・メラ・フェリーターミナルに戻ってきました。
ナゴヤから来てトーキョーに帰る…ウソではないです。
滞在日数「1日」が気になったらしいイミグレ係官に「フライトは何時?」と聞かれ意表を突かれました。
良く見ていらっしゃる。

そしてみるみる埋まる査証欄。
国の空気の違いを簡単に感じられ、そしてこうして証拠が残るのですから越境は楽しいです。


少し時間が早かったですが、混む前に…ということで夕食を文東記(Boon Tong Kee)で取りました。
王道ですが、チキンライスはシンガポールのベストフードだと思います。
旅の締めくくりに相応しい、シンガポール最後の晩餐でした。


往路と同じシンガポール航空のプレミアムエコノミーで帰国の途に就きました。

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渡星 (4)

この日も午後から人に会う予定があったので、昼過ぎに戻ってこれる場所を探索することにしました。
まずは宿の近くでタクシーを拾い、マウント・フェーバーへ車で一気に登ると、ケーブルカー(ロープウェイ)のフェーバー・ピーク駅があります。
このケーブルカーには途中のハーバー・フロントからも乗れるのですが、標高115mのマウント・フェーバーを出てから景色が三方に開ける様が爽快でした。


ハーバー・フロントから先は海峡を渡り、セントーサ島へ至ります。
島全体がテーマパークとでも言うべきで、島内には様々な娯楽施設があり、無料のバスで移動することができます。


週末ということもあってかレジャーを楽しむ人々で賑わう一画を抜け、島の最西端、シロソ砦を訪問しました。
第二次大戦中、1942年のシンガポールの戦いにおいて最後までここに立て籠もったイギリス軍を日本軍が攻め落とし、シンガポールが陥落します。
時の首相チャーチルはこれを「イギリス史上最悪の惨事であり、最大の降伏だ」と評したそうで、どれほどの衝撃的な出来事であったかが伺い知れます。


シンガポールを落とした日本軍は早々に軍政を敷き、「昭南島」と名を改められました。
砦の遺構が良く保存されている一方で、日本施政下のシンガポールに関する資料も公開されていました。
日本に対する露骨な敵意や嫌悪感を表現したものではありませんでしたが、決して好ましい過去ではないという雰囲気でした。


シンガポールと日本の関係は良好とされ、親日国というイメージもあるように感じます。
街を歩いていても、看板や店に並ぶ商品に日本の名を良く見かけ、日本のプレゼンスがひときわ高い国だという印象を受けました。
そのことは嬉しく思いましたが、今の両国の関係も、過去の紆余曲折、時に悲劇や惨劇を経て築き上げられたものだということは覚えておくべきでしょう。


セントーサ・エクスプレス(モノレール)で島を離れ、MRTに乗り換えて中心部へ。
昨日元上司に勧められたバクテー(肉骨茶)を食べに「松發肉骨茶」(Song Fa Bak Kut Teh)に入りました。
昼食時の有名店とあって列ができていましたが、相席にてほどなく入店できました。
コショウが利いたスープが米に良く合い、ご飯がいくらでもお替りできそうでした。


午後は大学時代の部活の大先輩にお会いし、世界最大級の観覧車シンガポール・フライヤーに乗ったり、市街地を車で流して案内して頂きました。
夜はチリクラブを堪能し、場所を変えてバーで飲み、思い出話や近況報告に花が咲きました。

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渡星 (3)

前夜はかつての勤務先の人々と飲み、昼は上司ご家族との会食。
仕事の切れ目を縁の切れ目にしない…3月の福岡、5月の山梨に続く御礼行脚第三弾でした。


ようやくシンガポール観光らしいことを始めました。
マーライオンにマリーナ・ベイ・サンズ、いずれもシンガポールを代表するランドマークです。

この辺りは明るいうちでも近未来都市的な雰囲気を味わえますが…


夜の方が断然凄いです。
夜景とは言わば人工的な景色ですが、ここの美しさの所以はここが同じく人工的な街だからか、と思いました。
例え造られた景色であったとしても、ここまで造り込めるということです。


最後は老舗ラッフルズ・ホテルで本物のシンガポール・スリングを頂きました。
同じく名物のロング・バーは工事中だったので、ビリヤードホールにて。


おつまみに袋に入ったピーナッツがついてきます。
「殻をその辺に投げ捨てるのが粋なんだ」
とは上司のアドバイス。
おびただしい量のピーナッツの殻が辺りに散乱していました。

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渡星 (2)

朝起きて向かった先は…

廃駅、


そして廃線跡でした。


2011年にシンガポール国内の鉄路が廃止されたマレー鉄道の跡です。
MRTダウンタウン線のキング・アルバート・パーク駅近くに旧ブキ・ティマ駅跡があり、廃線跡は遊歩道として開放されています。
写真のように、線路が残っている部分もあります。


ビューティー・ワールド駅から再びダウンタウン線に乗り、新交通システムのようなサークル線などを乗り継いで、南北線マルシリン駅で下車しました。
ここから北へ歩くこと約20分…


ウッドランズ・トレイン・チェックポイント。
マレーシアとの国境です。
シンガポールのいろいろをそっちのけで、早くも出国してしまいます。


イミグレを抜けるとバス乗り場に出ました。
どれに乗ったって行くところには行くでしょ…というわけで、行き先も良く分からないまま適当なバスに乗りました。


ジョホール水道を越えます。
シンガポールとマレーシアの陸路はここと、西部のトゥアスのみです。


ジョホール・バル(通称JB)は、首都クアラルンプールに続く、マレーシア第二の規模を持つ都市です。
サルタン王宮やアブ・バカール・モスクといった名所の辺りを散策し、昼はイッ・ルー・カフェの名物チキンチョップを食べました。
マレーシア名物…というわけではないと思いますが、日本人の口にも合う味付けで非常に満足でした。


都市化の度合いを除いては、個人的にシンガポールと比べて極端な異国感はありませんでした。
ただ、高層ビルやアパートの建築が進み、まだまだ発展途上という感はあります。


マレー鉄道の雰囲気の片鱗だけでも感じたくて、帰りは列車に乗りました。
JBセントラル-ウッドランズ間はシャトル列車の便があります。


すぐ車窓に3本の太いパイプが見えます。
2本はマレーシアからシンガポールへ輸出される原水が流れ、1本は浄化してマレーシアに送られる水道管です。

水資源に乏しいシンガポールにとってはまさに生命線であり、マレーシアに握られた弱み、という見方もできると思います。
実際、マレーシアより水の供給停止や値上げをちらつかされてもいます。
建国の経緯などからして良好ではない、一筋縄ではいかない両国の関係がここに垣間見えます。


再びMRTを乗り継いで、旧シンガポール駅にやって来ました。
中心市街地の外れにあり、面する道路の交通量は多くても、人通りは少なくひっそりとしていました。
駅舎は封鎖され中には入れず、プラットホームの跡地は再開発が行われるようで、工事中でした。

往時はもっと賑わいがあったのかもしれませんが、それにしても国や町の玄関口という雰囲気とは違っていました。
ここの場合、国や街とを結ぶ鉄道の意味合いを見限られていたように感じます。
あるいは、シンガポール国内の施設もあくまで所有者はマレー鉄道(つまりマレーシア)だった、ということも背景にあるのかもしれません。

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渡星 (1)

成田空港第一ターミナル。
今でこそ羽田発着の国際線も増えましたが、やはり海外に行くなら成田…と思ってしまいます。
もはや古い感覚かもしれませんが。


フライトはシンガポール航空11便、このくらいなら手は届くということでプレミアムエコノミーを選びました。
世界でも最高級評価と言われる機内サービスと合わせて楽しみなフライトでした。


非常に快適な空の旅でした(空いていたのもありますけど…)。
次第に空が夕闇に染まり、すっかり夜の帳も降りたところでシンガポール・チャンギ国際空港に到着しました。


シンガポールはタバコの持ち込みが厳しく、入港時に納税した証明を持ち歩かないと、万一見咎められたときに多額の罰金を課せられるそうです。
税関の窓口でタバコを見せると、係員の女性が手慣れた手付きでレジを操作していました(お釣りもOK)。
この気軽さは罰金文化が根付いているせいなのでしょうか。


MRTで市街地に移動し、宿にチェックインしてこの日は終了です。

シンガポール、かつては「星加坡」などと表記されていました。
これに因んで略称は「星」、シンガポールに行くことは「渡星」です。
知人とのメールで初めて目にして、主題に拝借しました。

今回は人に会うのが目的だったので、いつもの旅とは趣が違いました。
翌日以降の記事にて、どうぞ。

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現代版奥の細道 (5)

夏の東北ツーリング記録その5。

……

東京に向けて更に南進する前に、寄り道で男鹿半島方面へ。

途中、秋田港のふ頭に24系客車が留置されているのが見えました。
「どこか海外に行くのだろうな、グッドラック」などと思いながらその場を過ぎ去りましたが、後で調べたところでは早2年近く、この場から動いていないそうです。
JRから都内の貿易代理店に売却され、コンゴに輸出される予定だったものの、そこから先の商談が頓挫している模様です。
もとは2014年3月に廃止された最後のブルートレイン「あけぼの」に使用されていた車両です。
一度は役目を終え、走り慣れた秋田から新天地に旅立つはずが、再び目的地を無くしたまま風雪に耐え、佇んでいるのでした。

男鹿半島は、鵜住居に泊まったのと同じ旅行で訪れましたが、如何せん前の話であまり良く覚えておらず、フィルムカメラで手あたり次第に目に留まったものを撮るわけにもいかず、記憶も記録もおぼろげでした。
そういう意味では初めて足を運ぶようなものです。
まずは手近なところで、寒風山に登りました。
半島の輪郭、日本海に八郎潟も見渡せ、最後の最後で天気も良くなり、旅の締めくくりとして言うことのない景色でした。

続いて半島の先端入道崎に八望台と、景観スポットを巡りながら半島を一周しました。

次に八郎潟周辺を走りました。
どこまでも真っ直ぐに続く道に驚きました。まるで北海道のようです。

日本一低い山、大潟富士の登頂に成功しました。
頂上からは広大な田園地帯が一望できません。
目線と大して変わらない高さから、「あぁ、これが社会科で勉強した、八郎潟の干拓地か」と。

もう一つ、ここには東経140度北緯40度の地点があります。
日本で唯一、経度と緯度が10度単位で交わるポイントです。

そろそろ帰ろうと思い、改めて、国道7号線を南へ走り始めました。
秋田・山形県境は鳥海ブルーラインへ迂回しました。
あいにく山の上は霧が濃く、名峰鳥海山の姿は拝めませんでしたが。

同じく県境付近に、JR羽越線の女鹿(めが)駅があります。
周囲に人家などは少なく、普通列車すら一部は通過する、いわゆる秘境駅です。
午前中に酒田方面の上り列車が2本、午後に秋田方面の下り列車が4本しか止まらず、つまりこの駅から下り列車に乗ると、同日中に戻ってこれません。
もちろん利用の実態に即した設定なのでしょうが。

徐々に日が暮れ、1日の終わりとともに旅も終わりを迎えます。
最終的には聖篭新発田インターから高速に乗り、脇目も振らずに東京を目指しました。
深夜の高速もそれなりに交通量が多く、盆の終わりも同時に感じました。

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現代版奥の細道 (4)

夏の東北ツーリング記録その4。

……

朝風呂と朝食を頂いてから出発。
国道280号線を北上し、津軽半島の先端、龍飛崎を目指します。
実は国道経由は遠回りなのですが、海沿いの景色を見ながら。

高野崎。
岬の先の先まで行けるワイルドな場所です。
海峡の先にうっすら見えるのは北海道。
ここまで来るならもう一歩と思ってしまい、これまで青森は経由地であることが多かったです。
北の大地へは、またいずれ。

今別町の青函トンネル入口広場では、トンネルを出入りする列車を間近に見ることができます。
新幹線がようやく走るようになりましたが、貨物列車との兼ね合いで大分速度を落とさざるを得ず、世紀の大事業がボトルネックになってしまっているのが残念です。
今後の技術の進歩と、札幌まで新幹線が到達したときの変化に期待します。

道は三厩(みんまや)村から国道339号線、通称松前街道と名を変えます。
奥州で命を落としたはずの源義経は、実はここから三頭の龍馬に乗って蝦夷に渡った…つまり「三馬屋→三厩」、だそうです。
この類の言い伝えは北海道にも多く残されていて、義経という人物のカリスマ性を感じます。

竜飛崎に着くと、ようやく待望の青空が姿を見せ始めました。
ここに来たのはこれで2度目。最初はもう17年も前の話になります。
かつてはトンネル内に龍飛海底と吉岡海底という駅があって、見学ツアーに参加して乗り降りすることもできました。
あのときは竜飛海底駅から坑道を登り、龍飛崎の青函トンネル記念館を見学するというコースに参加しました。

そういえば最近、再訪を語ることが多くなりました。「ここに来るのは〇年ぶり…」というふうに。
つくづくいろいろなところを巡り周ったなと思いますし、年月が経つのは速いとも思ってしまいます。

339号線には、一見遊歩道のような階段が含まれています。
通称「階段国道」、自動車すらまともに走れない、ある意味究極の酷道です。
こんな国道は日本全国ここにしかありません。

ここから進路は完全に南向きになります。
この旅に折り返し地点を設けるとしたら、ここだったでしょう。
339号線と県道を走り、国道101号線で秋田方面を目指しました。
この路上で、走行距離が80,000kmに達しました。
1991年10月の納車から約26年…少ないですよね。

101号線は風光明媚な路線です。
日本海に沿って伸びる素晴らしいシーサイドラインであり、沿道には千畳敷や十二湖のような景勝地もあります。

秋田県に入ってから少し寄り道して、白神山地の登山道を登ってみようと思いましたが、気軽にハイキングできる雰囲気ではなかったので、早々に撤退しました。
玄関で世界遺産の雰囲気だけ少し味わった、ということで…。

ツーリングマップルに「みかん色の湯」と紹介されていた、能代市の「船沢温泉」で入浴。
色もそうですし、成分も日本トップクラスに濃いそうです。

この日は県都秋田市で投宿することにしました。
夜は川反飲食店街の居酒屋で、ハタハタや比内鶏、地酒を堪能しました。

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現代版奥の細道 (3)

夏の東北ツーリング記録その3。

……

この朝も雨は止んでいませんでした。
私はどちらかというと晴れ男の気があって、ここまで雨に降られた旅はほとんど記憶にありません。
下北半島の東側を縦に貫く国道338号線で、半島の先端を目指します。

下北半島といえばマグロの大間が有名ですが、今回はまず尻屋崎へ向かいます。
人気のない森の中を走り続け、岬が近付くと、突如三菱マテリアル青森工場の巨大なプラントが現れました。
そのギャップに少し驚きました。

尻屋崎、半島の北東部に突き出た岬です。
確かに「最〇端」でありませんが、いくらか観光地化されている大間と比べて、果て感がより強く漂うのはこちらです。
ここには寒立馬という馬が放牧されているはずなのですが、岬周辺には姿がありませんでした。
いないなぁ…と思いながら立ち去ろうとすると、

いました。
ここは馬優先。パシャパシャ写真を撮りながら、彼らが道の外へ去るのを待ちました。

続いて下北半島最大の名所とでも言うべき、恐山へ。
早速散策…の前に、境内に温泉があるのを見つけました。
お参り前に身体を清めましょう。熱々の良湯です。

ここの風景は浮世離れしていました。
古くから霊場として畏れられていたのも、この異世界じみた風景が理由に違いないと、
改めて理解しました。

次は前々から訪れたいと思っていた薬研温泉へ向かいました。
無料の公衆浴場「かっぱの湯」は、あいにく女性用の時間帯になってしまい、近くの「夫婦かっぱの湯」に入りました。
刺激の強い恐山の湯と違い、無色透明のさっぱりした温めの湯で長湯できましたが、次はきちんと時間を調べて来たいと思いました。

意外と時間がなくなってしまい、脇野沢から出るフェリー最終便に間に合うためには、一旦むつ市中心に戻り、南岸を回るしかないと分かりました。
大間崎に寄って西岸を走りたかったのですが、断念せざるを得ませんでした。

下北は広いです。なかなか全域踏破できません。
「かっぱの湯」もありますし、またいつか訪れることにしましょう。
陸奥、陸の奥とは良く言ったものですが、その更に深いこの場所には再訪したくなる魅力があります。

脇野沢から1時間で、対岸の津軽半島・蟹田に到着しました。
津軽半島最古の湯「平舘不老不死温泉」に投宿。
当日予約にも関わらず、海の幸満載の夕食もご用意頂いて満足でした。

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