現代版奥の細道 (2)

夏の東北ツーリング記録その2。

……

「二又復興交流センター」に泊まりました。
2011年3月(地震と同時期だったのは恐らく偶然)に閉校となった旧矢作小学校を簡易宿泊所として改築した施設です。

あの日の翌日、壊滅した陸前高田の市街地の写真が朝刊に載りました。
荒浜と並んで、その名前を衝撃とともに強く記憶している場所です。
そこで、陸前高田には是非泊まりたいと考えていました。

車で10分ほど走ると、JR大船渡線の線路が見えてきます。
震災後、大船渡線の気仙沼~盛間はBRTによる仮復旧が比較的早く行われましたが、復旧費用がネックとなり、鉄路の再開は断念されました。
BRTに転用されなかった区間は、施設や設備も撤去されず荒れるに任され、何も知らないまま、二度と来ない列車を待っているかのようで哀愁が漂いました。

陸前高田の中心市街地だった場所を訪れると、津波の高さを感じる遺構がいくつか残されています。
復興のシンボルとも言うべき、奇跡の一本松もここにあります。
周辺は新しい市街の造成工事が進んでいました。
震災をきっかけに人口減少が進み、苦しい状況ではありますが、単なる「復旧」に留まらず、真の意味での「復興」を成し遂げてほしいものだと思います。

再び国道45号線を走ります。朝食は隣の大船渡市の魚市場にて。
無料の三陸自動車道もありますが、地域の姿を見たいので一般道を走りました。
並行する三陸鉄道南リアス線は、三陸地方を縦に貫いて宮城から岩手、青森に至る鉄路の最後の区間として開通したところです。
それから30年足らず、気仙沼線と大船渡線が途絶し、鉄路が絶えてしまったことになります。

釜石市鵜住居にやって来ました。
中学3年生のとき、合宿で鵜住居の駅前にある民宿に泊まったことがありますが、駅もろとも集落が流され、面影はありませんでした。
釜石と宮古の間のJR山田線も運休が続いていますが、ここはJRが鉄路を再建し、三陸鉄道に引き渡されることにになっています。
真新しい線路を見て、気仙沼線も大船渡線もこうなれば良かったのに…と感じました。
あくまで趣味人としての感想です。復旧断念の決断は尊重します。

大槌町、山田町と、やはり大きな被害を受けた街を横目に見ながら、重茂(おもえ)半島へ通じる県道41号線に進路を変えました。
曲がりくねった狭い道をしばらく走り、姉吉キャンプ場の駐車場に車を止めます。
朝からぱらついていた小雨はこの時点で本降りになっていましたが、最低限の荷物と傘を手に、登山道へ歩を進めました。

足元は良くはないものの、歩けないというわけでもなく、1時間ほどで本州最東端、魹ヶ崎(とどがさき)に到達しました。
天気が良くないのは残念でしたが、踏破は踏破です。雨が降りしきる中、一人感動に浸りました。
これで、本州の果てで残すは毘沙ノ鼻(山口県)のみになりました。
ここもシビックで行けたらいいと思います。

宮古の道の駅「みなとオアシスみやこ」で昼食を取りながら、今日は青森県に入ることを決めました。
スマホで宿を取り、三陸海岸沿いを北上します。
途中、北山崎展望台で寄り道しました。ここも天気が良ければ絶景だったのでしょうが。

ちょうど日が沈みかけた頃、青森県に入りました。
月並みですが、ようやくここまで来たという感じです。

青森県三沢市の「ホテルルートイン三沢」にチェックインしました。お盆休みのせいか、県外ナンバーの車が多かったです。
当地品を味わおうと思い、近くの居酒屋でパイカという豚の軟骨を食しました。
かつては捨てていた部位を名物にできないか、という発想で発案されたそうです。
非常に興味深いです。

カテゴリー: シビック, パーマリンク

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