1日目 (2012/8/18)

アエロエクスプレスのビジネスクラスに乗る 車両中央に荷物置き場 水は自由に飲める ドモジェドヴォのパスポートコントロールを抜けて 搭乗口へ向かう ドモジェドヴォは狭い そしていつも混んでいる 搭乗開始 機内食 天候晴朗、順調なフライト 眼下に広がるは肥沃なクリミアの大地 ウクライナ・シンフェローポリ空港に着陸 小さな国際線ターミナルへ そそくさと中央駅へ向かうバスに乗る バスに揺られて シンフェローポリ中央駅に到着 ヤルタ行きのトロリーバス乗り場 「クリムトロリーバス」 乗車券売り場の列に並ぶ 「ヤルタ行き」 都心の路線バスと変わらない雰囲気 シンフェローポリからヤルタへ のんびりとした歩みで走る 峠を越えて行く 途中の街並み 黒海、そしてヤルタの街が見えてきた 渋滞中 まもなく到着 ヤルタ着、そして同時に雨が土砂降りに 雨足が弱まるのを待ったが… 埒が明かないのでタクシーに乗車 道は水浸し リヴァーディア宮殿へ ヤルタ会談の会場だった 当時の新聞、写真 米英露の国旗が置かれていた ルーズヴェルトとスターリンがこのソファに座って話し合いを持ったという どんな言葉が交わされたのか 当時の様子、情勢を伝える写真 もとはピョートル大帝の別荘として造られた、豪華絢爛な建物 ビリヤード場だったという 白亜の豪邸 2階は皇帝一家が過ごした空間が再現されている 肖像画、そして一家の写真 眺めもいいはず…だが空は一向に晴れず 水路ではない、通路である 堂々とした佇まい 再びタクシーを捕まえる ヤルタ屈指の景勝地、ツバメの巣 古城のような建物はレストランになっている 海岸線に沿って道路が伸び、いくつもの宿が軒を連ねる まさに保養地の雰囲気 歩いているうちに日が暮れてきた 日没後、ライトアップされたツバメの巣 バスで市街に戻った 近くの公園のレーニン像 小さな遊園地のよう ホテルのレストランで夕食 海沿い…というだけで魚のフライを選んだ クリミアワインはとにかく濃厚で甘い

 2日目 (2012/8/19)

ホテル「ブリストル」 朝、雨上がりのレーニン広場 街の背後に聳えるクリミア山脈 レーニン海岸通りを歩く 海水浴を楽しむ人々 山と海のコントラストが綺麗 海沿いから1区画隔てた通りへ ビーチへ向かう…一人だが 無料の海水浴場 こちらは有料区画 海水浴中 防水カメラで良かった 同じく海水浴中 バスターミナルを通り過ぎた 歩いてバスターミナルまで戻る ターミナル前で出発を待つバス シンフェローポリ行きのバス車内 シンフェローポリに到着 空港へ シンフェローポリ空港 出発を待つ バスで機材へ 青と黄色はウクライナの国旗にも使われている色 どうしてここだけ… キエフ・ボリスピリ空港に到着 ボリスピリ空港のターミナルビル 市街へ向かうバスを待っていたが… 相乗りのタクシーでハイウェーを飛ばす 地下鉄ハリキフスカ駅 通路の売店、露店商…ロシアと同じ 地下鉄の改札口もロシアと同じ 車両も駅の雰囲気もロシアと同じ 絢爛な装飾もロシアと同じ 長く速いエスカレーターもロシアと同じ かつてのキエフの玄関、黄金の門 ホテル入口 普通のアパートである ホテルを示す表示は何もない 血の赤に染められた、国立キエフ大学 キエフ大学の対面に建つシェフチェンコ像 一番下、日本食レストランへの距離が示されている キエフ最古の教会、ソフィア大聖堂 1037年建設 大聖堂前のソフィア広場 聖ミハイルの黄金ドーム修道院 こちらは2000年までに再建されたもの 修道院前のミハイル広場 ウラジーミルの丘から中州を見渡す 丘の上に建つ、ウラジーミル聖公像 一度丘を降り、ケーブルカーで再び丘の上へ ケーブルカーの頂上駅から アンドレイ教会 アンドレイ坂を下る 夕日に輝くアンドレイ教会 まもなく日没 坂を下りきるとボディール地区へ 緑のボルシチ キエフ風カツレツ ナイフを入れるとバターが勢いよく広がる レストラン「ヴーリク」 街を彩る、国章のイルミネーション 独立広場のウクライナ独立記念碑 独立広場はキエフの人々の憩いの場

 3日目 (2012/8/20)

朝、あいにくの雨模様 地下鉄ドニープロ駅から見たペチェールスカ大修道院 地下鉄ドニープロ駅 地上区間にある 駅の隣をドニエプル川が流れる 丘の下、「下の修道院」側の入口 「上の修道院」へ至る道 坂の途中で振り返る 上の修道院 金色の屋根が聳える 場違いな雰囲気に耐えられず退散中… バスの車内から見たホテル「サリュート」 あまりに特徴的な外観 チェルノブイリ博物館 街の名前が並ぶ 中央に映るのは3.11の光景 博物館内部 防護服を着たマネキン 1986年4月26日午前1時23分、事故は起きた これらの人々はどうなったのか 怨念めいたものと感じる こんな展示物も 奇形を起こした仔犬 日本の協力で置かれたものらしい あまりに悲痛な叫び これには言葉が出なかった 絆 今、周辺はゴーストタウンと化している この子供たちも今はどうしているのか 退路 ここで看板の裏側の違いに気付く 「チェルノブイリ2」(裏) 「チェルノブイリ2」(表) チェルノブイリ周辺の今 整然とした近代的な街が広がっていたという 立入禁止の街…直感的に気付いた 直近の街プリピャチだけが逆になっている 事後処理に使用されたという車両 荷物を拾って空港へ これが黄金の門 ボリスピリ空港国際線ターミナル ロシアでもお馴染み、ショコラートニッツァで昼食 いざブダペストへ エンブラエルの小さな機材に乗り込む 座席は1+2の1の方 天候晴朗、カルパチア山脈を越える ブダペスト到着 読めそうで読めないハンガリー語 バスで地下鉄駅へ 左端のオレンジの装置が改札機 改札忘れは問答無用で罰金 駅へ向かう乗客 地下鉄ケーバーニャ・キシュペシュト駅 モスクワと同じ車両 違うのは軌間だけ ブダペスト市内の路線図 地下鉄、トラム、郊外電車が一緒になっている カールヴィン広場駅から歩いて宿へ ドナウ川沿いに聳えるゲッレールトの丘 宿は川を渡ってすぐのところ ホテルゲッレールト 気温は37℃…本当に? 今渡ってきた自由橋 建国1000年を記念して架けられたもの ゲッレールトの丘の一帯は公園になっている 旧ソ連軍が立てた、丘の頂上の女神像 ドナウ川と両側のブダ、ペストの街並み 東側がペスト 西側がブダ、そして奥の方にオーブダ エルジェーベト橋 戦前の姿とは全く違う形で再建された 丘を下りて温泉へ ルダシュ温泉 クローズしていた 地下鉄に乗るため、エルジェーベト橋でペストへ エルジェーベト橋の隣にくさり橋が架かり、王宮の麓へ至る ペストの街並み やっと見つけた、キラーイ温泉 ばっちり営業中 温泉から出たところ 何やら人が集まっている ペスト側のドナウ川に面して建つ国会議事堂 くさり橋は通ることができなくなっていた パプリカはハンガリー料理に欠かせない いろんな種類がある パプリカをたっぷり乗せたソーセージ すっかり日が沈み、ライトアップされたくさり橋 国会議事堂もライトアップ 食前酒パーリンカ 果実酒だが40度近くある強い酒 夜9時、花火大会スタート 色とりどり、様々な形の花火が至る所から上がった 夏の夜である まもなくフィナーレ 帰路につく人々 川面に光が反射する姿がまた綺麗

 4日目 (2012/8/21)

朝、ホテル併設のスパへ 宿泊者は入浴1回無料 早朝だったが、入浴客は意外と多かった 朝食を済ませて街へ 再び自由橋を渡る ペストの中心を通る環状通り くさり橋を渡る 背後には王宮 橋を見守るライオン像 近くで見ると重厚さが良く分かる 一つ一つのパーツ、装飾に魅入る 王宮へ向かう ケーブルカーで王宮の丘の頂上へ ケーブルカーから見たペストの街並み ケーブルカー頂上駅の広場 丘の向こう側にも市街が広がる 白い石造りのマーチャーシュ教会 白い城壁で囲われている 中世の城中を歩いているよう ドナウ川とペストの街並みを一望する とんがり屋根の漁夫の砦 下から見上げたところ 抜き打ちの検札 改札で待ち構えていて、有効な切符を見せなければ罰金 地下鉄フランツ・ヨーゼフ線 地下鉄唯一の世界遺産 路面電車のような小さな車両が走る セーチェニ温泉駅 駅は温泉のすぐそば プールのような装いのセーチェニ温泉 屋外プールと、屋内の浴場がある 英雄広場 ハンガリーの歴史に残る14人の彫像が並ぶ 一度宿に戻って、荷物をピックアップ ハンガリー名物グヤーシュ 左の辛いパプリカを混ぜるとなお美味い レストラン「チャルノク・ヴェンデークルー」 ブダペスト東駅から列車に乗る 想像通りのヨーロッパの駅 ブダペスト東駅の駅舎 オーストリア鉄道の車両が待っていた ウィーン、ザルツブルグ経由ミュンヘン行きの国際列車 ブダペスト郊外の車窓 国境手前の駅、ヘーギエスハーロム 質素なコンクリート製のアパートは何となく共産圏の匂いがする ヘーギエスハーロムの次はウィーン 大いに役立った電子ブックのトマスクック中欧版 国境を越えてオーストリアの農耕地帯をひた走る 車内のカフェテリアでビールを買った ウィーン・マイトリング駅に到着 マイトリングの次が西駅 ウィーン西駅に到着 列車はミュンヘンに向かう 西駅の駅舎 Uバーン(地下鉄)で宿へ 地下鉄の雰囲気がハンガリーと全然違う ホテル「モーツァルト」 地下鉄はUの字が目印 シュヴェーデンプラッツ駅から繁華街へ 突如視界に現れるシュテファン寺院 観光馬車が行き交う 中世にタイムスリップしたような気分になる 近くで見ると大迫力 こんな街のど真ん中にあるとは思っていなかった 更に王宮方面へ歩く 王宮は入口だけ見て退散 日が暮れてきた レストラン「フィグルミュラー」 これが名物のヴィーナー・シュニッツェル レモンだけでひたすら食べる ワインしか置いていない、まさに「食べる」場所(なのだと思う)

 5日目 (2012/8/22)

早朝のウィーン、フランツ・ヨーゼフ駅前 マクドナルドも開店前 チェスケー・ヴェレニツェ行き列車 ホームにも人影はまばら 「チェスケー・ヴェレニツェ」と書いてある(手ブレ失礼) 電気機関車が牽引する客車列車 ボックスシートが並ぶ車内はガラガラ オーストリアの農村地帯を駆け抜ける ドナウ(Donau)川の何か? 色とりどりの大地 小さな町をこまめに結ぶ オーストリア最後の駅、グミュント 次は終点、チェコのチェスケー・ヴェレニツェ チェスケー・ヴェレニツェに到着 列車はウィーンへ引き返す チェコ語は難しい… チェスケー・ヴェレニツェ駅舎 駅前通り 人通りはなく静か チェスケー・ブディェヨヴィツェ行きに乗り換え ここからチェコ国鉄の列車の旅 通路側にドアのついたコンパートメント チェコの農村地帯を駆け抜ける 小さな駅にこまめに停まる まもなくチェスケー・ブディェヨヴィツェ 年季を感じるプラットホームの雰囲気 コカ・コーラが幅を利かせる駅舎内 乗る列車はどれだ… どうにか乗り換え完了 更に濃くなるローカル色 チェスキー・クルムロフに到着 かなりの乗客が降りた 発車を見守る駅員さん ビールの国チェコ コクがあって本当に美味しい 駅から市街へは歩いて20分ほど バスも走っている 城が見えてきた ブディェヨヴィツェ門から旧市街へ 右手に城が見えた 門をくぐると市街地 ブディェヨヴィツェ門(後ろから) 門を境に、街の表情はガラリと変わる ヴルダヴァ川沿いのカフェで昼食 旧市街はヴルダヴァ川に抱かれるように広がっている ヴルダヴァ川に面して聳え立つ城 旧市街の中心、スヴォルノスティ広場 街の至るところから城が見え、そしてことごとく絵になる 近くで見るとなお大迫力 満を持して入城 満足するのは早い…もっと高い場所がある 上へ、上へ… まだまだ… 増築が繰り返されたというが、ツギハギには見えない 城の内部にも広場がある もっと上へ… ザッザッザ(ドラクエ風に…階段を昇る音) 登り切った! 市街一望 城も一望 城の向こうは庭園が広がる 満足し切って、帰路 綺麗な街だった、本当に 駅舎の隣にある安食堂 地元民に混じってビールを煽る 帰りの列車を待つ 手動の転轍機が現役 列車に乗り込む旅人たち 対向列車が到着 乗り場はこんなに狭い 感動に浸りながら、ローカル列車に揺られる チェスケー・ブディェヨヴィツェ着 サイクルトレインはヨーロッパでは当たり前? チェスケー・ブディェヨヴィツェ駅舎 重みのある造り 広場を目指して歩く 街の中心、プシェミスル・オタカル2世広場 広場に面して立つ黒塔 これに登る ザッザッザ 塔の窓 塔の鐘 あと15段…荷物が大きいとキツい ようやく登り詰める 広場はほぼ正方形 塔を昇って降りて、水分補給 妙な雲… 駅に戻って、プラハ行きの列車に乗車 こちらも6人掛けのコンパートメント チェコ版ゆるキャラ!? 機関車連結のシーン 見物しているのは鉄ちゃん…かな オーストリア・リンツ発プラハ行き スドムニェジツェ・ウ・ターボラ駅 運休につき、代行バスに乗り換え ちゃっかり一番前に鎮座 どこまで連れて行かれるやら ベネショフ駅でバスを降りる ここから再び列車の旅 無事プラハ着 すっかり夜 ホテルに荷物を置いて夜歩き開始 火薬塔から旧市街へ 火薬塔横の市民会館 夜の旧市街広場 右端がフス像 天文時計(上のではない)を掲げる旧市庁舎 天文時計 仕掛け人形が姿を現す時間は過ぎていた ティーン教会は一際明るくライトアップされていた 旧市庁舎とティーン教会の並び ビールとローストポークと、どっさり盛られたクネドリーキ

 6日目 (2012/8/23)

宿を出発 細長く伸びるヴァーツラフ広場 聖ヴァーツラフ像と国立博物館 広場を旧市街へ向けて歩く 狭い路地を抜けて 時計台を見上げる人々 仕掛け人形が動き始めた 一晩明けた旧市街広場 ヤン・フス像 信念を貫き殉教した彼は英雄とされる これは何だろう… ヴルダヴァ川河畔、カレル橋とプラハ城 ドイツ語名「モルダウ」 カレル橋を渡る 観光客と露店商で賑わう橋上 橋の左右には様々な銅像が立ち並ぶ 橋を渡り切って 河川敷に降りる ペトシーン公園 丘の上へ登るケーブルカー 乗車券を買う 乗り場の外まで列ができていた 上へ上へ 丘の上、聖ヴァヴジネツ教会 丘の上に建つテレビ塔 テレビ塔頂上からの大パノラマ 中央に見えるのがプラハ城 赤い屋根の街並みが広がる プラハ城をズームアップ 右手に伸びるのが「飢えの壁」 ランチとビール プラハ城へ 入城 城の広場もビューポイント 聖ヴィート大聖堂 荘厳な外観と緻密な装飾を併せ持つ 見方を変えると全く別の建物のよう 頂上には登ることができる ステンドグラス 鐘 尖塔頂上からの眺め 広場を見下ろす 足のすくむ高さ 先端まで細かく造りこまれているのが分かる 展望台の中 向かいに建つ正面の建物が920年完成という聖イジー教会 街へ下りる 丘の下に広がる街並み 地下鉄駅 エスカレーターはソ連風 駅の造りも車両もソ連風 市民会館 立像ではなくパフォーマーの人 賽銭を置くと動き出す 日も傾きかけた旧市街広場 ビアホール「ウ・フレクー」 ビールと付け合わせ(にしてはかなり量が多い) 度数がキツイ プラハ本駅へ 目当ての列車は上から7番目 発車まであと10分

 7日目 (2012/8/24)

列車が動き出した プラハを後に 朝5時、国境の駅ボフミーン 2時間遅れで発車 ポーランド最初の駅、ジェブジドビツェ 一晩明けた三段寝台 オシフィエンチムで下車 やはり2時間遅れであった 上からポーランド語、ドイツ語、英語、ロシア語 人気の少ない駅構内 オシフィエンチム駅 案内板を頼りに歩く ここがアウシュヴィッツ 各国の要人も訪れたという 日本人は見当たらず 有刺鉄線に囲まれた収容棟 収容棟が整然と立ち並ぶ 収監の詰所…だろう 人気のなくなったところでもう一枚 何かは言うまでもない ガス室 中で写真は撮らなかった 囚人票…とでも言うのか 収容所へ送られるユダヤの人々 有名な一枚 囚人から奪い取った荷物の山が見える アウシュヴィッツとビルケナウの位置図 夥しい数の、チクロンBの空き缶 チクロンBの発注書 痕跡を消そうと書類に火を放つ 没収された眼鏡 義足、杖も奪われた 食器類 持ち主の名が書かれたスーツケース 囚人服 囚人たちの写真 写真すら残らない人々もいた さながら家畜小屋の中のよう 布団だろうと粗悪さは変わらない 囚人が多くなりすぎて捌き切れなくなったのか 収監の部屋 プール? 11号棟横、「死の壁」 「死のバラック」と呼ばれた11号棟 裁判とは名ばかりの、一方的な仕打ちがここで決められた 拷問に使われた器具の数々 自由のために立ち上がった人々もいた 無料の連絡バスで第二アウシュヴィッツ、ビルケナウへ ビルケナウへ通ずる鉄路 その先は言うまでもない 囚人たちが詰め込まれた貨車 辿り着く前に命を落とす人もいた 平原の中、鉄条網で囲まれた一帯が収容所 白地に青いダビデの星…イスラエル国旗を掲げたユダヤの人々 事態の発覚を恐れて、ナチスは痕跡を消そうとした ビルケナウに建ち並ぶ収容棟 アウシュヴィッツより更に粗末 バカにしているのか…そう思う気力さえあったのか アウシュヴィッツ=ビルケナウ博物館 ポーランドも極寒の地 こんなバラックで冬を越せるわけがない お情け程度の小さな暖炉が痛ましい 歩いてビルケナウを後にする クラクフへ向かう普通列車 長閑な農村地帯を通ってクラクフへ 日本の近郊列車のような車内の雰囲気 クラクフ駅に到着 クラクフ駅前 駅前のホテル「アパートホテル・ステーション」

 8日目 (2012/8/25)

ヴィエリチカ岩塩抗入口 各国語のガイドツアーがある 日本語はない ヴィエリチカは初代世界遺産のうちの1つ 入場を待つ 岩塩の採掘風景が再現されている 坑道に建つ像も岩塩を彫り込んでできているという 白いものは全て塩 坑内の礼拝堂 何もかもが塩でできている 岩塩でできた教会そのもの 地底の空間だとは思えない シャンデリアも塩の結晶でできているという 岩塩製「最後の晩餐」 ここは地底100m超の世界 地底湖に通路が架かる 見難いが、地底湖に反射する光の筋 初代世界遺産登録を記念するレリーフ ヴィエリチカ岩塩抗 そしてクラクフ歴史地区 出口付近にあるレストラン 結婚式も催されるとか 鉱夫よろしくエレベーターで地上へ帰還 地下鉄のような雰囲気のトラム駅 クラクフ駅の旧市街側 円筒型の砦バルバカンがお出迎え 旧市街の入口、フロリアンスカ門 ポーランドを代表するスープ、ジュレック 例によってガッツリ頼むとガッツリ出てくる フロリアンスカ通りを歩いて中央広場へ 中央広場と織物会館 二つの塔からなる聖マリア教会 中央広場に建つ、詩人アダム・ミツキエヴィッチ像 左の塔は旧市庁舎 1820年にこの塔を残して取り壊されたという 路地の建物にも歴史を感じる 歴史的な街並みを馬車が行く ヴァヴェル城へ 城壁の向こうに尖塔が頭を覗かせる 城壁の中へ ヴァヴェル大聖堂 様々な様式が組み合わされたことがすぐ分かる 門の隣に建つのはタデウシ・コシチュシコ像 城のほとりを流れるヴィスワ川 ヴィスワ川の対岸から見るヴァヴェル城 この方角からの眺めが多分一番いい なぜか時計塔だけ残された旧市庁舎 再び中央広場 再びフロリアンスカ門 再びバルバカン クラクフ駅

 9日目 (2012/8/26)

クラクフ・バリツェ行き 空港行きは2両編成のディーゼルカー 近代的な車内にエンジンの音が轟く 長閑な田園地帯を行く 踏切には遮断機も警報機もない 踏切ごとに最徐行して進む 空港駅 ここでターミナル行きのバスに乗り換える 空港駅である チェックインカウンターはすぐに見つかった SU2005便モスクワ行き 搭乗開始 馴染みのSU機 さよならポーランド、そして中欧 SVO着 帰ってきてしまった… 全く変なところのなかったSVOターミナルF バルティカはロシアの味 そして家路につく
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