Diary in Russia (2012/05-2012/12)
2012/12/29(Sat)

ロシアを去ってから2ヶ月半、ワケあって船便で送った引越荷物が届きました。

土産物を色々詰めて帰って来ました。
以下ご紹介。

Tシャツ。
フィンランドで買ったやつとか、オランダで買ったやつも。


キジ島のマグカップ。
キジ島については旅行記参照。


プラハで買った、ボヘミアングラスの灰皿。
グラスよりは灰皿の方が置き物になるかなぁと。


個人的に最高の逸品、ロシア鉄道車内で使っているのと同じマググラス。
こんなものをわざわざ探してくれた日本人スタッフのKさんに感謝!


ロシア人スタッフからのプレゼントその1。
ゼンマイを巻くとくるくる回って「白鳥の湖」が流れるオルゴール。


ポーランド・ヴィエリチカ塩鉱のお土産。岩塩でできてる。


ロシア人スタッフからのプレゼントその2。
我が家にお越しの際はこれでウォッカパーティーを開きますので。


リトアニアにも一緒に行った日本人スタッフYさんのチョイス。
…何て書いてあるんだっけ(笑)


ロシア的帽子。


向こうの下請業者からもらった。
スタッフの寄せ書き入り。


家の随所にこんなものを置いたおかげで家が一気にロシア臭くなりました(笑)
何にしても、一つの破損もなく無事届いて良かったです。

2012/11/11(Sun)

ご報告がすっかり遅くなりましたが、先月14日に無事日本に帰ってきました。
帰国前後は本当に慌ただしくて振り返る暇もなく、ここへ来てようやく少しのんびりできるようになった次第です。

帰国直前は何をしていたかと申しますと…




バレエを見に行ったり(10/1)、




サーカスを見に行ったり(10/7)、




サッカーを見に行ったり(10/7)、




旅(出張ですが)に出ていました(10/9)。

それぞれの日にちで駄文をアップしました。

とうとう友人に「Twitter見てると遊んでるようにしか見えない」と言われる始末です。
そんなことはないのです…よ?

今は誰と会いたい何をやりたいどれが食べたい何処へ行きたいということを考えるのに夢中で、おいおい行動に移していきたいと思います。
しばらく日本にいると思いますので、よろしくどうぞ。

……


この1年の総括と言いますか、肌で感じたことを。


「ロシアは意外と(?)親日である」


とかくロシアという国は不気味なイメージが先行しがちだと感じます。
領土問題もあって、少なくともロシアを歓迎する雰囲気はあまりないのが日本国内の実情でしょう。

翻ってロシア国内に目を向けるとどうでしょう。

日本製品に対するリスペクトは非常に高いものがあります。
タクシーに乗って「日本人だよ」と言うと、皆口を揃えて「素晴らしい!」と言います。
日本のポップカルチャーを取り上げたイベントは、年々物凄い勢いで参加者が増えています。
領土問題に関して言えば、少なくともモスクワの人間はあまり興味がありません(あれだけ離れているんですから…)。

プーチン大統領は日系タイヤ工場の開所式に全権特使を送り、極東での日系自動車メーカーの操業開始にあたっては自ら足を運びました。
日本の投資を歓迎しているわけです。

もちろん相変わらず古い体質を引きずっているところ、意味が分からないところもあって両手放しというわけにはいきませんが、パートナーとして良い関係を築ける素地はあると思うのですね。
そのために日本人ももう少し理解を深める必要があるんじゃないか…と思います。いいところも悪いところも。

それにあたって、この1年ぽっちの経験でも何かしらの役に立つのであれば、もう言うことはありません。

2012/10/09(Tue)

最後の旅に出ました(仕事ですけど)。

クラスノダール

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出発地はヴヌーコヴォ。ここを使うのはリトアニア旅行以来です。
何故かヤクーツクのヤクーチヤ航空がクラスノダール線を運航していて、時間がちょうど良かったのでこれにしました。
この1年でロシアのエアラインも大分使いました。アエロフロート、S7、トランスアエロ、UTAir、ノルダヴィア、ラスライン、パリョート、そして今回のヤクーチヤ。
かつて乗ったウラジオストク航空とサハリン航空を入れたら、記念すべき(?)10社目です。

…で、空港に着いて知らされたのは出発遅れ。
食事を済ませても時間を潰し切れず、出発時間もゲートも分からず悶々としたまま、出発を待つ羽目に。
結局2時間半遅れで飛び立ち、クラスノダールの宿に着いたのは日付を越えて1時過ぎでした。
最後までロシアは一筋縄では行きません…まったく。




クラスノダールはモスクワから約1,500km離れた、ロシア南部の都市です。オリンピックが行われるソチも、この地方に属します。
気候は大分温暖で、気温一桁台のモスクワとは打って変わって、この日も20℃ほどありました。
ソチも極寒の地というわけではなく、黒海に面したリゾート地です。

街並みも他のロシアの街とは少し異なるものがありました。
ソ連式の無骨な高層アパートが林立しているのがロシアの定番ですが、ここのアパートはそれほど背が高くなく、赤褐色の家が建ち並びカラフルな感じがしました。
もう少しゆっくり歩いて見たいところでしたが、仕事を終わらせてそそくさと帰路につきました。

ロシア南部はこの1年で唯一足跡をつけられなかったところでした。
さすがに無理かと思った矢先に、仕事とはいえ足を運ぶ機会ができたのは本当にラッキーなことでした。
とりあえず、未練はありません。




空港にて搭乗手続き中。
上からヴヌーコヴォ、ドモジェドヴォ、シェレメチェヴォが揃っていました。

2012/10/07(Sun)

最後の日曜日、思い出作り第二弾です。



まずはモスクワ大学近くのボリショイサーカスへ。
日曜の午後ということもあって、小さな子供連れの家族がたくさん。

曲芸に猛獣ショーというところはいわゆるイメージ通りのサーカスでしたが、ビジュアルやサウンドにも凝っているのですね。
同じような内容では当然二度足は運ばないわけで、演出にも日々見直しに見直しが重ねられているのでしょう。

一つ一つの芸も凄いですよ。
綱渡りなんてどこでどう練習すればできるのやら。
オットセイ君は良く玉を取りこぼしていましたが…それはご愛嬌ということで。



サーカスが終わって、その足で近くのルジニキスタジアムに足を運びました。
スパルタクスとCSKAのモスクワダービーです。
警官総動員、最寄りの地下鉄駅から両陣営セパレート、柵越しに互いが互いを侮蔑し合う物々しい雰囲気です。
身の回りには十分注意しながらスタジアムへ。

試合は本田の1ゴール1アシストでCSKAが快勝しました。
日本人としてはこの上ない結果でしたが、オフサイドの判定でゴールが取り消されたりと、スパルタクスサポーターは心中穏やかではなかったでしょう。
日本人だからとイチャモンをつけられては堪らないと、逃げるようにスタジアムを後にしたのは言うまでもありません。

2012/10/01(Mon)

ロシア生活もあと2週間。
最後の思い出作りをと思いまして、



ガラでもなくバレエ鑑賞して来ました。
あいにくボリショイ劇場ではバレエの上演がなかったのですが、スタニスラフスキー劇場で「白鳥の湖」をやっていました。

※ちなみにボリショイとはロシア語で「大きい」、つまり単に大劇場という意味です
 (ボリショイサーカスも同じ)

私は演劇にはとんと疎い人間ですが、一つ一つの動きが本当に綺麗で、見ているだけで楽しめます。
あまりに有名過ぎる「情景」の旋律には鳥肌が立ちましたし、トウシューズがフロアを叩く音も印象的でした。
これは劇場に行かないと味わえないですよね。
強引にスケジュールに捻じ込んででも行った甲斐がありました。

2012/09/16(Sun)

旅行記のテキストが大体書けました。
来週あたりに最初の方(ウクライナ編くらい?)を公開できればいいなーと思っています。

いろいろ調べながら筆を進めているのですが、これが面白いしためになります。
ゴシック様式とバロック様式の違いなぞ、これまで気にしたことすらありませんでしたもの。

……


ツイッターで書きましたが、10/14(日)に帰国することになりました。
日本のどこで仕事をするかは未定ですが、何にせよ4週間後の今頃はもう日本の人です。

早かった、あっという間というのは月並みな感想ですが、それ以上に色々ありました。
(いいことも悪いことも、それはもう色々…)

とはいえまだ残り4週間、まだまだ何かしら色々あるでしょう。
まとめに入るのはもう少し先にしておきます。

2012/09/02(Sun)



早くも気温が一ケタ台まで下がりました。
夏どころか秋も通り越して既に初冬の気配です。

ときに冬を謳った歌はいい歌が多いと思います。

hallelujah in the snow / MOON CHILD
POWDER SNOW / 浜崎あゆみ
Can't stop fallin'in love / globe
柊 / Do As Infinity
永遠をあずけてくれ / DEEN
白い花 / ZONE
SNOW AGAIN / 森高千里
winter, again / GLAY
雪の華 / 中島美嘉
winter fall / L'Arc-en-Ciel
雪幻 -winter dust- / T.M.R-e

(音楽の趣味が2000年前半くらいで止まっているのが良く分かりますが…globeなんか小学生のときですもん)

例年であれば寒くなり始める11月頃から、この手の曲で冬気分を盛り上げていくのですが、今年は早くもそれがピッタリの時期が到来してしまいました。

でも10月に日本に戻ったら、きっと季節が逆転するんでしょうね…。

2012/08/26(Sun)



(※8/27、加筆しました)

無事モスクワに帰り着きました。
9日間の旅行というのは、実は私にとってはシベリア横断に次ぐ二番目に長いものでした。

とりあえず後半戦のダイジェストです。
(ツイッターで書いたものと被りますがご容赦下さい…あれは忘備録なので)


【プラハ】
戦災の被害を受けずに残った、中世の街並みが広がる。
プラハ城を中心に、赤い屋根の建物が広がる景観は、チェスキー・クルムロフに続いて「綺麗」の一言。
そしてチェコは世界有数のビール大国。ビールが美味くてしかも安い。
休憩の都度一杯やっているうちに、何杯飲んだか忘れた。

【オシフィエンチム】
ドイツ名アウシュヴィッツ。
「死の門」に通ずる鉄路の写真は、第二アウシュヴィッツことビルケナウのもの。
ガス室跡、拷問具、押収された夥しい日用品…全てが現実を証言する。
どうしてこんなことが起きたのか―終始自問自答。

【ヴィエリチカ】
世界遺産第一号登録の岩塩鉱。
アリの巣のように張り巡らされた坑道の一部を見学する。
まるで体育館のような広大な空間に設けられた、坑内の礼拝所は圧巻。
彫刻もシャンデリアも岩塩で造られたもの。

【クラクフ】
ワルシャワなどが戦災で原型を留めない程に破壊された一方で、被害を逃れた歴史的な街並みが現存。
旧市街はヴィエリチカとともに世界遺産第一号にノミネートされた。
美しさの中にもくすんだ部分があって(わざと?)、それがかえって歴史の重みを感じさせた。


東西の情勢に翻弄され続けた中欧や東欧の国々には、どこにも「影」があると思います。
今はどの国も産業や観光に力を入れ、それぞれ繁栄を遂げているわけですが、今回はその裏の「影」の部分にフォーカスを当てながら、それぞれの国の表情を見ようと試みました。
(そんな風にこの周辺の国に興味を持ったのも、ロシアにいてこそ…)

ネガティブな切り口かもしれませんが、中東欧を見る上では避けて通れないことも、訪れて改めて実感しました。
(国によって差はあれど、共産主義の名残は今も見られます)
今のこれらの国々があるのも、共産主義の波に呑み込まれることなく、自分たちの大事なものを守ろうとし続けた結果のように思います…想像ですが。

ところで数カ国の周遊旅行というのは実は初めてで、隣町に行くような感覚で国境を越え、言葉も文化も違う世界が広がっている…というのはなかなか新鮮な体験でした。
そしていつも通り、良く飲み、良く食べ、良く歩いたのは言うまでもありません。
温泉も最高でした。

頑張って紀行文書きます(日本に帰る前に、なんとか…)。




※おまけ

写真1
5ヶ国とも通貨が違うのでこんなことに。
左上:グリブナ(ウクライナ)
右上:フォリント(ハンガリー)
左中:ユーロ(オーストリア他)
右中:コルナ(チェコ)
左下:ズヴォティ(ポーランド)

写真2
近所のスーパーで売っていたチェコ産ビールで余韻に浸る。

2012/08/23(Thu)



概ね予定通り行程を消化して、現在チェコ・プラハにおります。
旅も折り返し地点ですが、毎日が濃密過ぎて、土曜日にウクライナに飛んだのがもう遥か昔のように思えます…。

ここらで前半戦のダイジェストをば。
(もちろん写真はもっとあるのですが…改めてということで)


【ヤルタ】
クリミア半島先端、山脈と黒海に挟まれた伝統ある保養地。
ニコライ二世によって建造されたリヴァーディア宮殿は、ヤルタ会談の会場にもなったところ、会談時の様子が再現されている。
到着日は土砂降りの雨も、翌朝は打って変わって快晴。思わず海に飛び込む。

【キエフ】
「ルーシ(東スラヴ)の母」とも言われ、今のロシアのルーツになっている部分が多々。ロシア人もキエフは一目置いているとか。
一番インパクトがあったのはチェルノブイリ博物館。事故の凄惨さもさることながら、演出がまた強烈。

【ブダペスト】
ドナウ川を挟んで西側がブダ、東側がペスト、よってブダペスト。
世界屈指の温泉街でもあり、喜び勇んで温泉をハシゴ。国は違えど温泉はよい。
たまたま花火大会をやっていて、人知れず日本の夏を偲んでみた。

【ウィーン】
言わずと知れた音楽と芸術の都。見どころ満載…なのだが今回は行程の都合でほぼカット。
せめて美味いものを食べるべく、名物店で名物のヴィーナー・シュニッツェル(仔牛を薄く伸ばしたカツレツ)を食べる。皿からはみ出る超ボリュームを完食。

【チェスキー・クルムロフ】
チェコ南部の街。
13世紀に創建された城を中心に築かれた古い街並みが残る。
塔の頂上から見下ろした街の景観は見事の一言。


ではこれからプラハ散策に行ってきます。

2012/08/20(Mon)

突然ですが夏休みを頂いております。

シベリア再訪も目論んでいましたが、ヤクーツクの旅行代理店とちっともコンタクトが取れないので、行先を変えて東欧〜中欧にしました。

【ウクライナ】
ヤルタ
キエフ(←いまここ)

【ハンガリー】
ブダペスト

【オーストリア】
ウィーン

【チェコ】
チェスキー・クルムロフ
プラハ

【ポーランド】
アウシュヴィッツ
クラクフ
ヴィエリチカ

ヤルタは黒海とクリミア山脈に囲まれた、地形の美しい街でした。
しかしヤルタの名を世界的に広めているのは、やはりヤルタ会談に違いありません。
会場となった宮殿では、当時の様子が再現されていました。
こんなところで?日本人としては感じるものが別にありました。

ではそろそろ出かけますのでこの辺で。

2012/08/12(Sun)

旅行記を3本アップしました。
(「黄金の環」「キジ島」「懐かしのウラジオ」)
4本同時リリース予定と申し上げましたが、サンクトの分はまた改めて…。

……


モスクワは最高気温が20℃台前後で、すっかり秋の気配です。
逆に歩いて回るにはちょうどいい気候になってきました。

というわけで、今日はモスクワ市内を散歩してきました。



500年近い歴史を誇るノヴォデヴィチ修道院です。世界遺産です。
(もっとも、ロシアには世界遺産の教会がいくつもあるのですが…)
城壁に囲まれているのは、クレムリンの出城を兼ねていたからだとか。
隣接する墓地には数多くの有名人が葬られています。1枚目のロシア国旗のような墓碑は、エリツィン元大統領のもの。



雀が丘の方へモスクワ川を沿って歩きました。
騒々しいモスクワ市街も、この辺りは緑豊かで静かな雰囲気です。
リフトに乗って一気に丘の頂上へ。
市街を一望できる、モスクワ一の展望スポットです。



雀が丘のふもとから、モスクワ川のクルーズ船が出ています。
モスクワの名所を至近で見られるお勧めスポットです。
モスクワ850周年を記念して建てられたピョートル大帝記念碑、一度はスターリンに爆破され、2000年に再建された救世主キリスト聖堂を見て、さぁ次はいよいよクレムリン…。

…というところでカメラのバッテリーが切れました。
お粗末でした。

ナイトクルーズもある様子。
日を改めて行ってみますか。

2012/07/29(Sun)

昨日はモスクワから少し離れたスーズダリという街を訪れました。
(リトアニアで珍道中を繰り広げたY氏と一緒に)


大きな地図で見る

サプサン(ロシア版新幹線)の一等車に乗り、ロシアの田舎町の雰囲気を満喫し…と、日帰りながら濃い旅になりました。

旅行記は6月のサンクト、キジ島と、1月に出張に行ったウラジオ再訪記と併せて4作同時にリリース予定。
夏休みになるまでに仕上げないと…。

……


突然ですが、ロシア人の上の名前はレパートリーが少ないので有名(?)です。

男性だったらアレクサンドル、アレクセイ、アンドレイ、イワン、オレグ、セルゲイ、ミハイル、ユーリ、ワジム。
女性だったらイリーナ、エレーナ、ナターリア、オリガ、エカテリーナ、エフゲーニャ、マリア。
ウラジーミル(プーチン大統領)やドミートリー(メドヴェージェフ首相)といった名前も実に一般的。
シャラポワもフルネームはマリア・シャラポワ。

街でアリョーシャ(アレクセイの愛称)と叫んだら全員が振り返ったという笑い話がありますが、満更冗談というわけでもない気がします。
(実際、うちの職場にはアレクサンドルが10人ほどいますし…)

サプサンのチケットをネットで予約していたときなど、Y氏が笑いながら、

「上の名前入力しようしたら名前のリストが出てきたよ!」

と言うのです。
つまりリストアップすれば大抵は事足りるというわけです。

それでもロシア人は上の名前で互いを呼び合います。
不便じゃないのか…と要らぬ心配をしてしまいます。

2012/07/22(Sun)

5月頭のリトアニア旅行記「バルティック・ジャーニー」をアップしました。

もう2か月半も前のことなのですね…。
そして今から2か月半後はもう日本に帰っている、と。

……


最近日本からいいニュースが聞こえてきませんね。
思ったことを思ったままに、つらつらと。


【いじめ】

学校や教委の対応に問題があったことは事実だろうと思う。

次から次へと明らかになる真実。
しかしその中には、事実でないことを「言わされた」「つい言っちゃった」こともあるんではなかろうか?
こうして報道が更に過熱する。視聴者もそれに乗る。以下繰り返し。

誰かをみんなで吊るし上げて溜飲を下げる。
誰も解決策には言及しない。
忌むべき日本人の悪習。


【原発】

反原発運動は結構。
かの有名アーティストも「たかが電気ごときで」と言い放った。
その姿勢はいいと思う。

あとは、それと引き換えに訪れるであろう困窮や不便に耐える覚悟が人々にあるのかどうか。


【橋下知事】

もちろん不倫は良くない。
でもこのタイミングでこんな情報が飛び出したことに、何かしらの陰謀を感じてしまうのはマンガの読み過ぎだろうか…。

誰だって粗を探せば出てくるもの。
多少の粗相には目を瞑って、現状を本気で憂慮している人々に舵取りを託したいと思うのは甘い?
(全ての姿勢や政策に賛同はしないけれども)

出る杭を打ち続け、足を引っ張り合い続けて、緩慢に壊れていく祖国の姿を見るのが辛い。

2012/06/16(Sat)

ここ一月でいろいろと出かける機会がありました。

まずトリヤッティ(5/25-26)。



モスクワから約1,000km、サマラ州にあるヴォルガ川に面した人口約70万の街です。
観光地としては無名ですが、ロシアの自動車メーカーアフトワズが本社を構え、先日の日産・ルノー連合による経営権取得によって、ビジネス的には最もホットな場所の一つになりました。
全然トリヤッティ名物でもなんでもないのですが、初めてビーフストロガノフを食べてみたり。


続いてサンクトペテルブルグ(6/9-10)。



とうとうサンクトの地を踏みました。
「ヨーロッパで最も美しい街の一つ」(by地球の歩き方)という触れ込みは嘘ではありません。
ここは本当にロシアなのか?とさえ。


いったんモスクワに帰って、キジ島(6/11)。



サンクトより更に北、カレリア共和国の首都ペトロザヴォーツクから高速船で1時間。
全長約7kmの小さな島に、世界遺産にも登録された木造教会があります。
鮮やかな緑に覆われた島は歩くだけで心が洗われました。


列車に乗って、再びサンクトへ(6/12)。



この日はあいにくの雨模様だったのですが、ペトロゴーフへ。
ピョートル大帝によって造られた宮殿と庭園があり、11時に一斉に噴き上げる噴水は見事の一言でした。
そのあとエルミタージュに入りましたが、混んでいたのと時間が足らなかったのとでろくに見て回れず…。


話は変わって、ここモスクワ。



モスクワでは決まってこの時期に雪が降ります。
といっても本物の雪ではなく、ポプラの綿毛。
モスクワの至る所に植えられたポプラの雌株が一斉にこいつを解き放つのです…。

まぁ積もる積もる。真っ白になります。
こいつが歩いていれば顔にまとわりつき、窓を開ければ部屋の中に入ってきて…。

こんなのでも初夏の風物詩です。
4ヶ月前には凍り付いていたモスクワ川も、今ではすっかり夏の装いになりました。
いい季節になりました(↑を除けば…)。

2012/05/20(Sun)

5月も既に下旬。
いろいろありました。

・旅行に行ってきました (5/9)
・ネットがつながらなくなりました&ソフトボール始めました (5/13)
・海外出張してきました (5/18)

それぞれ()内の日付で日記にしました。
左メニューの2012年5月のリンクからご覧下さい。

2012/05/19(Sat)



出張でフィンランドに行ってきました。

ヘルシンキから東へ約120km、コトカという街に行ってきました。
観光地としては無名ですが、バルト海に面するフィンランド有数の港町であり、揚がる貨物の大半がロシア向けという、ロシア関係者には馴染みのある場所でもあります。

北国好きの私にとって、北欧は憧れの地でした。
今回は滞在1日未満の弾丸出張だったのですが、ヘルシンキの空港からコトカまでの道のりの風景は、森の国フィンランドのイメージそのままでした。
いつかまた行きます。絶対に。

2012/05/13(Sun)



旅行から帰ってきた翌日の朝、Yotaの端末が電波を拾っていませんでした。
一時的なものなら良くあること…と放っておいたのですが、仕事から帰ってきても、更に一晩明けても変わらず。
同じくYotaを使っている会社の先輩も同じ状況で、ただごとではない予感…。
そして更に翌日、先輩から電話で

「『ネットワークを変更して今の端末は使えなくなったから交換して下さい』だって!」

…なんですかそれは。
しかし今使っている端末は無償で交換してくれるらしい(もはや半信半疑)ので、ロシア語堪能な先輩とともに交換場所へ赴くことに。

というわけで5/13(日)朝、連休の代償で1日しかない週末。
人が殺到して混まないうちに、品切れにならないうちにと頑張って早起きしました。
それが奏功して、全く待たずに交換することはできました。
素っ気ない交換場所の案内、謝るでもなく事務的に手続きをする係のおねーさん…それもまたロシア。
待合場所に水とお茶菓子が置いてあったのはせめてもの謝意なのでしょうか。

"LTE OT YOTA"(OT = FROM)とパッケージに書いてあったのを見て、そう言えばYotaがWiMAXからLTEに移行するって聞いたなぁ…と思い出しました。
ネットワーク変更の正体はそれのようです。

とりあえず今のところは何の不自由もなく使えています。
LTE化で速度も上がったようですし。

……




端末を交換した足で、モスクワ大学の野球場へ。

日本人会のソフトボール大会が開幕しました。
7月頭までの短い期間ではありますが、皆が皆ここぞとばかりに張り切って凌ぎを削り合います。
モスクワの暑い夏が早くも始まりました。

2012/05/09(Wed)



※写真
1:ヴィリニュス旧市街
2:RPGに出てきそうなトラカイ城
3:元在カウナス日本国領事館、杉原千畝の執務机
4:クルシュー砂洲にてロシアの方角を向いたところ
5:カリーニングラードの大聖堂

連休はバルト三国の一つ、リトアニアに行ってきました。
モスクワから空路で首都ヴィリニュスに入り、トラカイ、カウナスといった街を訪れ、バルト海の港町クライペダへ。
ここからクルシュー砂州を通って、国境を越えるのが今回のハイライトでした。

クルシュー砂州


地図だけで凄そうなところだと思うでしょう?(笑)
実物はその期待を裏切らない風景でした。

国境を越えて帰り着いた先は、リトアニアとポーランドに隔てられた飛地カリーニングラード。
かつてのドイツ領、ケーヒニスベルクと呼ばれた場所です。

いつも通り旅行記にしますので少々お待ち下さい。

2012/05/01(Tue)



5月になりました。

4月の頭は冬景色(写真1枚目参照)だったはずが、日に日に気温が上がり、25℃の夏日に達した日もありました。
春を通り越してすっかり初夏の装いです。

緯度が高いだけあって、日が伸びるのも早いのなんの。
2枚目の写真は今日の午前10時半、3枚目は夜9時に撮りました。
これから夏至まで、まだまだ日が伸びていきます。

……


日本はゴールデンウィークの真っ最中かと思いますが、ちょうどロシアも祝日が立て続けに訪れます。
5/1の「春と労働の日」と、5/9の戦勝記念日です。

ロシアでは祝日を絡めて連休にするために、その前後の土曜日を全国的に平日にして振り替えるということが良く行われます。
例えば先の4/28(土)は平日扱いでしたが、代わりに4/30(月)が休日になり、4/29-5/1で3連休になりました。

更に戦勝記念日は、5/5(土)と5/12(土)が平日になり、代わって5/7(月)と5/8(火)が休日となって、5/6-9は4連休です。
実はこれは3月半ばに突如決まったことでした(選挙の結果と関係があったのかも?)。

今日までの連休はモスクワで過ごしたのですが、4連休は久々に羽を伸ばそうかと思っています。


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