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7/22(木)。職場から帰宅して荷物をまとめ、ガラガラの上り列車で都心へ向かう。 池袋でJR、新宿で小田急線に乗り換え、小田原に着いたのが0時19分。 あとは夜行列車に乗って寝るだけと思いきや、「車両トラブルで東京駅を出ていない」という。 幸い運休ではないらしいので、同じ境遇の旅行者がたむろするコンコースでしばし待つ。 「先ほど東京駅を発車しました」「ただいま品川〜川崎間を走行中…」と、さながら実況中継のような放送を聞きつつ。 結局1時間遅れて「ムーンライトながら」はやって来た。中高生時代は休みのたびに乗っていた「ながら」も、今回の乗車は実に7年ぶりのこと。 今や18きっぷシーズンのみの臨時列車に格下げされてしまっていて、臨時になってから乗るのも初めて。 「ながら」はなかなか寝られない列車だったのだけれども、今回は浜松で1回目が覚めただけで、次には空が明るんでいた。 臨時化で車両が変わったせいか、はたまた列車を待つ間に飲んだビールのせいか。
列車は遅れを取り戻し、終点の大垣には定刻に着いた。ほぼ全ての乗客が米原行きの接続列車になだれ込む。 米原ではその混雑を嫌って、列車を1本落とした。どうせこの先は同じ列車に乗ることになるのだから。 そんなわけで出発時は空いていた次の新快速も、京都そして大阪に近付くにつれ通勤客で混雑してくる。暦は金曜日。 明石でいったん改札を出て、関西風のかけうどんで朝食を済ませ、姫路と相生で列車を乗り継いで更に西を目指す。
尾道で列車を降りた。 小高い山と瀬戸内海に囲まれ、坂と小路が多い尾道は眺めが綺麗な街だった。 雰囲気は長崎などに似ているようで、大小様々に浮かぶ島並みは瀬戸内ならでは。 瀬戸内の景色はどこも風光明媚で、観光で訪れたいというより、是非ここに住んでみたいと思わせる。 今日は本当に天気が良くて絶好の街歩き日和…いささか暑過ぎる以外は。 汗だくになりながら街の裏手の山に歩いて登り、展望台から街を見下ろす。
ここから先のことは何も考えていなかった。広島辺りで一泊するか、それとも山陰に出るか。 ふとしまなみ海道は自転車で通れることを思い出し、半ば衝動的に四国に渡ろうと決めた。 尾道駅前で自転車を借り、市営の渡船で対岸の向島に渡って自転車を走らせる。 20分ほどで向島を駆け抜け、隣の因島へ渡る因島大橋へ。橋へのアプローチはかなりキツい坂を登らされる。 しかし潮風を一身に受けながら海を渡る気分は爽快だった。 時間の都合で自転車は因島で返してしまったけれども、いずれ尾道〜今治全区間走破を目指そうと思う。
高速道に因島重井というバス停があって、ここから今治行きの高速バスに乗る。 いくつもの橋を渡るごとに沈みゆく夕陽が綺麗に見え、瀬戸内の島々の景色と相まって美しい絵を描いていた。 1時間弱で今治駅に到着。列車を待つ間に夕食にしようと駅の外に出るが、食事を取れそうな場所がない。 少し歩くと繁華街のような場所に出た。しかしそこはいわゆるシャッター通りで、2年前に閉店した大丸の残骸とともに深刻なまでに寒々しい限りだった。結局食事は駅弁を買って、缶ビールを空けながら待合室で食べた。 1時間ほどで松山に到着。松山か八幡浜からフェリーの夜行便に乗ろうとも思ったが、道後温泉は外せなかったのでここで泊まることにする。ちょうど駅前に安いビジネスホテルを見つけた。 松山の奥座敷こと道後温泉へは路面電車で約20分。やはり温泉はいい。街歩きとサイクリングで散々汗をかいたから殊更そう感じた。
朝は比較的ゆっくり起きて、JRではなく伊予鉄道の大手町駅から電車に乗る。 最近松山に来たばかりのニューフェイスがやって来た。かつては井の頭線で走っていた車両。 三津駅で電車を降り、歩いて15分ほどで三津浜港へ。山口県は柳井行きのフェリーに乗る。 柳井までの3時間はただ寝転んで過ごした。何もせず怠惰の限りを尽くす、これもまた船旅の醍醐味だと思う。 不満はビールの自販機がなかったことくらいか。
柳井港は知る限り鉄道とのアクセスが最も良い港だと思う。山陽線の柳井港駅は目の前、徒歩3分。 もっとも列車と船を乗り継ぐ客の数など高が知れているらしく、駅は無人で閑散としていた。 駅の傍らには「急行停車記念」の碑が建てられていた。往時の賑わいが偲ばれるが、残念ながらもはやその面影はない。 やって来た新山口行きの列車はわずか2両編成。山陽「本線」といえども、地域輸送だけではこれほどか。 風景もローカル線そのもので、そして実際に2両で十分事足りてしまう乗客を乗降させ、1時間半ほどで新山口に到着。 接続する下関行きの列車もこれまた空いていて、下関に近付くにつれて少し賑やかになった程度だった。
下関。散々寄り道したとはいえ、ようやくここまで辿り着いた。そしてトンネルで海峡を渡る。 九州の景色は、最後に訪れてから1年も経っていないのにあまりに懐かしく、改めて九州が大好きだったのだと思い知る。 だから、トンネルを抜けて最初に「着いた」ではなく「帰ってきた」と思ってしまった。 博多に近付くにつれその感覚は強くなり、高架の上から2年間過ごした箱崎の街並みを見渡したとき、それが頂点に達した。 もっとも快速列車は、かつて自分が何度もそうされたように箱崎の駅を呆気なく無視して通過してしまうのだが。
博多の駅の見栄えは一変した。かつて工事中だった覆いが取れ、駅ビルが真新しい姿を堂々と晒していた。 九州の玄関口に相応しい佇まいを目指したいのだろうけれども、同じくシンボル的なランドマークが建った札幌や名古屋のように背が高くないのは、空港が近過ぎる土地柄のせいだったりする。 駅まではかつての上司が迎えに来てくれた。博多の駅も変わりますね、人の流れも変わるんじゃないですかと聞くと、「俺らは博多には行かんよ、やっぱ天神よ」と言っていたが…どうなることやら。 とはいえ新幹線の開通も来春に迫り、地域にとって一大転機になることは間違いあるまい。 次にここを訪れるとき、第二の故郷というべきこの街はどんな姿を見せているのだろう?
【おわり】