懐かしのウラジオ - 5年ぶりのウラジオストク再訪記 -

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ウラジオストクに行くことになった。仕事であるが。
ウラジオストクは、自分にとって記念すべき地である。2007年3月、シベリア鉄道に乗りたいがために、富山・伏木港から船でウラジオストクに渡り、ロシアの土を初めて踏んだ。
あれからまもなく5年、こんな形でロシアと深く関わることになるとは思ってもいなかったし、まさか再びこの街を訪ねる機会が訪れるとも思っていなかった。
5年の月日は何を変え、また何が変わらずにいるだろう。
仕事とはいえ、心の高鳴りを抑えずにはいられなかった。
モスクワを金曜日の21:00に出発し、ウラジオストクには現地時間の12:45に着くフライトスケジュールである。フライト時間は8時間45分、そこに7時間の時差が加わる。+5時間の日本より更に進んでいるのだ。
手配しておいたタクシーで市街へ向かう。空港は市街から40km以上離れているのだが、広々とした高速道路が市街まで通じていて、スムーズに辿り着くことができた。今年9月にウラジオストクで開催されるAPECに備え、急ピッチで整備したものだという。
そのままホテルに乗り付け、部屋で客先を訪問する身支度を整えた。仕事というのはある客先に、ある品物を直接届けることだった。それだけのためにモスクワからウラジオストクへ飛んだのか?と思われるかもしれないが、そこにはロシアならではの事情、客先の事情…いろいろな事情があった。
客先の至近にあるホテルを選んだおかげで、仕事はすぐに終わった。早速街へ繰り出そう。
手近なバス停から路線バスに乗った。韓国の中古車らしく、車内にはハングルの広告や注意書きがそのまま残っていた。
駅に近付くにつれ、何となく見覚えのある街並みになってきた。中心街で道が混んできたので、これは歩いた方が速いと思い、途中でバスを降りた。
程なくして駅は見つかった。駅舎にはВЛАДИВОСТОК(ウラジオストク)の名が堂々と掲げられ、ホームには9,288kmのキロポストが立ち、モスクワの0kmから始まったシベリア鉄道の終点であることを誇示している。
私のシベリア鉄道の旅もここから始まったのだと思うと、感慨深いものがあった。漂う旅情は今も昔も変わっていなかった。
駅のすぐ横には客船ターミナルがある。そこから港を眺めると、建設中の大きな橋が見えた。APECの会場となるルースキー島へ架かる予定の連絡橋である。実物を見る限り、今年9月からの会期に間に合うかどうかは疑問なのだが、ともかく急ピッチで整備が進められているらしい。
(※後日談…なんと7月に完成してしまった)
空港や高速道路といったインフラ整備、ルースキー島のリゾート地化など、投資の対象は枚挙に暇がなく、そして大規模なプロジェクトが目白押しである。
しかし言うまでもなく、それはあくまで特需に過ぎない。これを永続的な発展につなげていけるかどうかはロシア次第である。今後の極東経済、そして日本を始めとする隣国との関係をどう変えていくだろうか。
かつて私が乗船した富山からの船も、このターミナルを利用していた。当時は日本からの中古車の輸入が盛んで、私が乗った船も、どうやって積んだのか?と思ってしまうほど中古車を満載していた。ところがロシア政府が関税を大幅に引き上げたことで、中古車の輸入が激減し、その影響で航路も2009年12月を最後に休止となってしまった。
ターミナルの中にあるショーケースには、かつては日本製の日用雑貨が大量に飾られていたのだが、今は全てがロシア製品に取って代わられてしまっていた。中古車の輸入引き締めが、日本との交易全体にも影響を及ぼしたように見える。
今は韓国船社のDBSクルーズフェリーが、韓国経由で鳥取の境港とを結んでいる。もっともクルーズフェリーという名の通り、船の性格は大分違うようだが。
一軒の日本食レストランに立ち寄った。「七人の侍」といい、5年前も訪れた店だった。まずビールを頼み、ウラジオ再訪を記念して一人乾杯した。キンキンに冷えたジョッキで生ビールを飲み下す―ロシアではなかなか味わえないのだ。
日本の蕎麦屋に入ったイメージで、天丼とざる蕎麦を頼んだ。天丼は以前にも頼んだメニューで、どれだけレベルアップしているか…と楽しみにしていた。
出された料理は丼というより、天ぷらの下に米を敷き詰めたような感じだった。
次に出されたざる蕎麦は、普通のざる蕎麦だった。不味くはなかったが、特段の感想もなかった。普通である。
全部食べ終わったあと、最初にお通しで出された浅漬けが一番美味かった…と感じた。

<おわり>

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