夜汽車は夢を乗せて走る - 廃止直前の寝台特急「あけぼの」乗車記 -
大宮から新青森行き「はやぶさ」に乗った。新幹線が青森に到達してからまもなく3年、初めて乗った。 駅前からバスに乗り、酸ヶ湯温泉にやって来た。2011年の夏に訪れ、「次は冬に来たい」と思った場所だ。この日は全国一だったという深い雪の中に一軒宿が佇む。その様には存在感、力強さを感じた。檜造りの千人風呂の風情はもはやここで語るまでもなく、強い酸味のある湯も超のつく一級品だと思う。
夜は青森駅前の東横インに泊まり、翌日は五能線の快速「リゾートしらかみ」で黄金崎不老ふ死温泉を訪れた。日本海に面して広がる岩礁に、茶色く濁った湯が湧く露天風呂がある。冷たく海風は容赦なく吹き付け、一度入ってしまったらなかなか出る気にならない。たまたま一緒になった人々ともども、1時間以上長湯した。
そのあと普通列車で東能代に出、奥羽線に乗り換えて新青森に戻って来た。
2日間の行程を一気にまとめたが、今回の旅の目的はここから先にある。
18:31発の上野行き寝台特急「あけぼの」。3月15日のダイヤ改正で定期列車としては運行を終え、事実上の廃止となる。
券面に従って、B個室ソロの上段に収まった。カプセルホテルを一回り大きくして、どうにか立てるようにした程度の部屋だった。ごんごんと音を立てて温風を吹き出す暖房、もはや使われなくなったオーディオ装置…至る所に時代を感じた。
これを見て、\6,300という寝台料金が安いと感じる人はほとんどいないだろうと思う。\5,000も出せば、駅前のビジネスホテルに泊まれて朝食も付いてくるのだ。かと言って足が速いわけでもない。新青森を1時間後に出る新幹線に乗れば、その日のうちに東京に着いてしまう。
それでも夜のうちに移動したいというのなら、高速バスの方がずっと便がいいし安い。夜行列車は、この国ではもはや移動手段という役目すらを失ってしまった。
一つの時代が終わる。―いやむしろ、もうとっくに終わってしまっていたに違いない。
時代から取り残されながらもただ黙々と走り続け、そしてようやく、最期の時を迎えるのだ。
車内を散策しに部屋を出た。このときは廃止前最後の三連休で、列車は満席のようだった。開放式寝台の通路には、椅子に腰を掛け外を眺める人々が多くいた。
家族連れの姿を多く見た。大方、親の趣味で連れてこられたのだろうが、列車の中で過ごす一夜は、小さな子供たちにとっては、多かれ少なかれ特別だろうと思う。この夜のことは、彼らの記憶にどんな風に刻み込まれるだろうか。
車内の設備や案内表示には、国鉄時代の名残を強く感じる。古さは隠せないにせよ、壊れていたり汚かったりするわけではなく、むしろ大事に丁寧に使われてきたことが分かる。
洗面所のコンセントでは、他の乗客の携帯電話が充電されていた。その行為自体の善し悪しはさておき、車両が誕生したときは、こんな使われ方をされるなど想像すらされなかったに違いない。今やコンセントの有る無しは、多くの人々にとって重要な問題だ。
部屋に戻り、JRのマークが入った浴衣に着替えて横になったが、なかなか眠気がやって来ず、秋田の先まで起きていた。
ややうるさい暖房のスイッチを切ると、コトン、コトンと、列車がレールを叩く音だけが小さく響いた。耳に優しく、それでいて旅情を誘う響きだった。
駅に停まるたびに、連結器が伸び縮みしてガチャンという音と揺れを立てるが、一旦動き出せば、余計な雑音を立てることなく、ゆっくり滑らかと加速していく。その様は本当に静かで、客車とはまさに、人を乗せるためだけに作られた車両なのだと思わせた。
絶え間なく周期的に響くレールの音を聞きながら、知らず知らずのうちに眠りに落ちた。その音色はまるで子守唄のよう、と言っても良かった。
車内アナウンスで目が覚めた。列車はまもなく大宮に到着するということだった。
荷物と寝台を片付け、朝の車窓に視線を移す。列車はやがて荒川を渡り、東京都に入った。まさに東の空から朝日が昇るところだった。
上野到着を前に、懐かしい音色のチャイムで車内アナウンスが始まった。乗り換えの案内では、上野から出る列車だけでなく、秋葉原や東京から千葉方面に向かう行き方も説明があった。上野駅が、上京し立てで不慣れな人々を迎えた名残かと思い、聞き入ってしまうものがあり、同時に慌ててiPhoneの録音スイッチを押した。
そして7:07、時間通りに列車は上野駅13番ホームに到着した。先頭の機関車の前面は雪で覆われ、青い車体にも雪がこびりつき、それは冬の北国を力強く駆け抜けてきた証に他ならなかった。その雄姿をしっかり目に焼き付けた。

【おわり】


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