内蒙古の空と風 (2)

夜は星空を見たいと思いましたが、パオがイルミネーションで彩られてしまって良く見えなかったので、皆が寝静まって消灯した頃を狙うことにしました。

朝3時に起きると、思ったより早く日の出を迎えていました。
果てしない大地に白み始めた空が映え、これはこれで良いものを見たと思えました。

この日は更に、雲一つない快晴となりました。
「五感全てで感じる」とはこういうときのことを言うのだと思います。

DiDiでタクシーを呼び、ハイラルのバスターミナルへ向かいました。
ドライバーは市街からやって来ましたが、草原エリアとタクシーで往来するのは一般的ではないらしく、
「「普通この辺りにタクシーはいないぞ」「車が見つからなかったらどうする気だったんだ?」
と言われました。

バスターミナルは市街の外れにあります。
ターミナル内か周辺の店で昼食を済ませてから移動しようと思っていましたが何もなく、かといって市街の中心まで移動するのも億劫だったので、直近で11:30に出発する満州里行きバスに乗ることにしました。
一応座席指定のようでしたが、私の券面に記載された座席16番には先客がおり、空いていた別の席に収まりました。

出発したバスはほどなくしてG10綏満高速道路に乗りました。
綏満の「綏」はロシアとの国境にある黒竜江省綏芬河市のことで、省都ハルビンなどを経由して内モンゴルに入り満州里へ至る1,520kmの道路です。
綏満高速道路 – Wikipedia

ハイラルを出発してから1時間半、西乌珠尔服務区(サービスエリア)で休憩がありました。
ハイラルから120km、満州里まで100kmというところなので、およそ中間地点となります。

「満州里」と記されたモニュメントが目に入りいよいよ到着かと思いましたが、ここから終点まで50分以上ありました。

観覧車の後ろにロシア正教会風の建物が見え、今度こそいよいよかと思われました。
バスは高速道路を降りたあと、市内の複数のバス停で停まって乗客を降ろし、終点まで乗り通した乗客は私含め数名でした。

終点は中心市街の西側、ハイラル方面(東)から来ると中心市街を通り抜けたところにあるバスターミナルです。
ロシアとの国際バスもこちらから発着するようで、ロシア人と思しき乗客が切符を買い求めているのを見ました。

宿はバスターミナルから国境方面に3kmほどの距離だったので歩いて行くことにしましたが、途中のショッピングモール内のケンタッキーで昼食にしました。
外の看板はモンゴル語、メニューはロシア語併記という、いかにも土地柄を感じる店でした。
実際、店内やモールにはロシア人と思しき客も複数おり、買い物や食事のために国境を越えてくるというのは珍しくないのだろうと思えました。

国境へ続く道は整然と真っ直ぐに伸び、沿道の建物もどことなくロシア風の装いでした。
そして何やら大きなマトリョーシカが2体見えてきました。

これが目当ての満州里套娃酒店、訳するとマトリョーシカホテル(そのまんま)です。
この発想にあっぱれでした。
中国人しか思い付かないでしょう。

建物自体がこんな形をしているのではなく、外見はガワですが、無数の小さなマトリョーシカが集まっていて、凝っています。
そして決して見掛け倒しではなく、

むしろ中の方が気合が入っていました。あっぱれです。

部屋で少し休んだあと、2kmほど離れた中露国境にタクシーで向かいました。
地表にある国門景区は軍事管理区域になっており、外国人は立ち入ることができませんでしたが、その横にある展望塔には登ることができました。

展望台の頂上からの景色はどの方向を向いても素晴らしいものでした。
果てしなく続く大地と青空、国境と異国の街。
中国生活の最後を飾るにふさわしい、いつまでも見ていたいと思えた風景でした。

隣接する貿易区に入り、国境線の間近に立ち入ることもできました。
門のモニュメントの後ろにあるフェンスの先はロシアです。

どこかで書いたような記憶がありますが、私は2007年にシベリア鉄道でウラジオストクからモスクワまで横断し、2010年にサハリンを縦断し、2011年から1年間仕事でモスクワに滞在していました。
そんな思い入れのある場所への、手を伸ばせば届くこの距離がなんと遠いことでしょうか。

ホテルに戻り、時間は経って夜になりました。
マトリョーシカはイルミネーションやプロジェクションマッピングで鮮やかに彩られていました。
光り物好きの趣向はもはや定番、お決まりと言えます。

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