

深夜には橋のイルミネーションが消え、対岸の明かりが良く見えました。
朝は暁光を受け落ち着いた佇まいの橋を見ることができ、やはり川辺のホテルをリクエストしたのは大正解でした。
丹東郊外へ足を延ばすため、別に車と運転手兼ガイドを手配していました。
実は7月には一人で行くつもりで手配し、天気が悪かったのでキャンセルしたところ、「中止ならキャンセル料を請求する、延期ならいつでも良い」と言われて保留していたものです。
まず案内されたのは、朝鮮戦争時にここから中国軍が朝鮮に渡ったという場所です。
こういう場所に立ち止まってくれるのは地元ガイドならではかと思いました。


「一歩跨」と呼ばれる場所が複数あります。
文字通り、川とも呼べない程度の水路を挟んで、向かい側は北朝鮮という場所です。
同僚が「一歩跨はたくさんある、川は領土の境界線ではなく、共有しているのだ」と教えてくれ、なるほどそういう見方もあるかと思いました。
何事もなければ、明確な線引きは必ずしも必要ではなく、むしろはっきりさせない方が良いこともあるかもしれません。何も起きなければ。


市街から40kmほどの河口断橋を目指していると思っていたら、そこを通り過ぎて案内されたのが上河口の国境門でした。
ここにも鉄道橋が途切れずに対岸に掛かっていて、ここが国境であることを一番強く感じられた場所でした。
この場所は私も全く知らず、地元ガイドを頼んでいなければ、ここに来ることはなかったかもしれません。



この路線は鳳上線といい、鴨緑江を渡って北朝鮮の平北線に接続しています。
終点の上河口駅付近には観光列車が走っていたり、駅を模した遊歩道がありましたが、ほとんどの線路は草生してほとんど廃線の趣です。
鳳上線 – Wikipedia


改めて、河口断橋も鴨緑江断橋同様に日本が建設し、朝鮮戦争で破壊された橋です。
ここから遊覧船が出ていて、早々に船に乗り込みました。


船は対岸の近いところを航行し、道行く人々まで良く見えました。
「人がいるぞ!」と言いながらカメラを一斉に向けるこちらの人々。
それに見向きもしないあちらの人々に 、川向こうの景色はどう映っているのか。

もうもうと砂煙を上げて走るバス。未舗装なのでしょう。


船を降り断橋の端まで歩くと、こちらにも集落と思しきものが見えました。
「あれがかの国か…」
丹東は、そのことを手の届きそうな距離の中に感じることができる場所です。

毛沢東の長男、毛岸東は朝鮮戦争で戦死しましたが、この辺りから朝鮮に渡ったとされています。
そのことを記念して建てられたのが毛岸英学校です。




丹東の中心と河口断橋の中ほどにある虎山長城は、いわゆる万里の長城の東端です。
これを登りきると、両国の景色が一望できました。
「地球の歩き方」によれば1469年に建造が始まったとされていますが、この場所まで長城が築かれたということは、ここは今も昔も国境だったということだろうかと想像します。

虎山頂上付近にも一歩跨がありますが、厳重なフェンスで仕切られていました。
同僚も「前に来たときは無かった」と言っていたので、観光地ならではの処遇なのだろうと思いましたが、朝に視界を遮るもののない一歩跨を訪れることができていたのがラッキーでした。
ホテルでガイドと別れ、同僚の車で大連に戻ったのは18時頃でした。
何から何まで安パイ(安排=手配)してくれた同僚には感謝です。





















































































