南東北応援紀行 (2) -震災後の福島、山形へ

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朝起きて朝風呂を楽しんだあと、そのまま出られる支度をして朝食会場に下りた。朝も朝で、節操なく自分の好きなものを並べた。会津名物朝ラーメン、これはなかなか印象的だった。しかし友人によれば、静岡にも同様の文化があるという。日本も広い。
すっかり満足しきって宿を後にした。せっかく会津に来たのだから、城に行ってみようと提案した。もっとも私は歴史や城郭がさほど好きではなく、それよりも城を中心にどう街が形成され、そして栄えたのかということに興味があった。
城に向かう途中に、千利休亡き後の茶の湯の伝統を守るために会津に移されたという茶室があった。これには茶農家の友人が反応して、二人で抹茶を頂いた。
会津城の内部は良くありがちな展示室と展望台だったが、展示量が豊富で見応えがあった。会津と言えば戊辰戦争、こと白虎隊のエピソードが有名だが、悲劇はそれに限ったことではなく、戊辰戦争にまつわる会津の境遇と運命自体が悲劇だと感じた。それを機に地に墜ちた会津の権威は、未だ回復することなく今に至っている…というのは言い過ぎかもしれないが、早々に福島県に編入されたのはその辺りを如実に物語っているような気がする。
そして城の最上階から見た市街は、人口12万の地方都市とは思えないほど発展しているように見えた。街中を走る通りも広々としているし、何となくその雰囲気にかつての会津の国力を垣間見ることができたような気がする。
国道121号線で北を目指す。会津若松の隣は喜多方だが、ラーメンは朝食べたので満足したことにしてスルーした。
喜多方からはかつて旧国鉄日中線という鉄道が走っていて、県境を越えて米沢を目指し途中まで開業したのはいいものの、国鉄改革の煽りで未全通のまま廃止されたという、ありがちなローカル線だった。
その終着駅、熱塩駅のかつての駅舎が日中線記念館として、今も往時の趣を止めたまま保存されている。赤い三角屋根が特徴的な、洋風の小洒落た駅で、一ローカル線の駅舎とは思えなかった。鉄道利用者は少なかったのだろうが、それはそれとして沿線住民には親しまれていたのだろうと思う。近くには除雪車と客車が保存されていたが、保存状態の良さにこれまた驚いた。
更に先に歩を進めると、県境の大峠である。真新しく広々とした高規格な道路が貫いているが、周囲は相当山深い雰囲気で、工事も相当困難を極めたと想像できる。事実大峠トンネルが貫通して通年走行が可能になったのが1984年、その周囲も含めた大峠道路が全通したのは何と去年(2010年)のことであったから、先ほどの日中線計画など、当時の土木技術からすれば夢物語であったに違いない。
トンネルを抜けると山形県である。豪快に峠道を駆け下り、米沢の市街に至る。
米沢と言ったら米沢牛である。調べたところでは、「最上質の米沢牛は舌の上で溶ける、だから箸は要らない」らしい。我々の手の届く範囲でそんな肉を味わえるのかどうかはともかく、米沢牛を食すしかないと思った。
牛肉料理の老舗として有名な「登起波」に立ち寄った。事前に調べなくても、何でも携帯でその場で調べられるから便利なものだ。一瞬迷いながらもすき焼きコース(特上)を頼んだ。東北に少しでも金を落とそう!…というのは建前で、二人とも気分がハイになっていたことは言うまでもない。
一刻して、まるで草履のような大きな肉が運ばれてきた。割下に浸して頂くと、実に濃厚な肉の旨みが口中に広がった。量は要らなかった。本当に美味しいものは、時として一口二口食べるだけで十分なのだ。
米沢からJR奥羽線に沿って走る県道232号線に入ったが、次第に道がグレードダウンし、最終的には車一台走れるのがやっとの林道と化した。今でこそ国道や高速道路が開通しているが、古くは江戸時代、米沢藩の大名行列がこの道を往来したという。
この沿道に笠松旅館という宿があって、地図などでは笠松温泉とか笠松鉱泉と書かれている。大名行列御用達の旅宿か何かか?と思ったが、後で調べたらそういうわけでもないらしい。ともかく山奥の一軒宿に沸く温泉、興味の対象としては十二分なので迷わず車を止めた。
ごめんくださいと中に入ると、民家の玄関よろしく宿主さん一家のものと思しき居間があった。ご主人と思しき人に入浴したいと告げ、浴室に案内してもらう。二人で入るのがやっとのタイル風呂。湯に強烈な個性はないが、これはこれで実にいい雰囲気だ。
話が多少前後するが、この道路と並走するJR奥羽線は、赤岩・板谷・峠・大沢と4つのスイッチバック駅が連続した難所中の難所であった。
今回、232号線から離れた赤岩駅以外の他の3駅に立ち寄った。それぞれの駅で旧駅は廃墟と化しながらも存置され、一方で新しい本線上に設けられた現駅はスノーシェッドに覆われ、独特の雰囲気を醸していた。どこも駅周辺に人家はまばらで、1日数本の普通列車が停まるだけだが、真新しい新幹線車両は頻繁に往来するのだから、このミスマッチが楽しい。
峠駅は、「峠の力餅」でも有名だ。駅前にある「峠の茶屋」で製造されているこの菓子は、スイッチバックが現役だった頃の列車を待ち時間を利用してホームで売られている絵が有名だが、今でも駅売りは行われている。できれば普通列車に乗って駅売りの品物を求めたいところだったが、店の軒先で楽しめるだけでも良しとしよう。
峠駅は鈍川、姥湯という2つの温泉の最寄駅でもある。風呂に入ろうと車を走らせたが、途中の立て看板で既に入浴時間は終わっていると知り、あえなく撤退した。この翌日に抜け駆けして入浴した友人が送り付けてきた写真が、たまらなく良かったので悔しい限りだ。この夏に訪れる算段はもう立ててある。
最後に一風呂はどうしても行こうと思い、福島市郊外の飯坂温泉に車を走らせた。ここはあまりに有名な温泉だが、ここにも「鯖湖湯」という、やはりいい雰囲気の共同浴場があった。その前には「温泉神社」なるものがあったので手を合わせた。これまでたくさんの温泉に行ったが、温泉の神様にお参りするのは初めてかもしれない。念じたのは「至高の道楽をありがとう」、それだけである。
飯坂温泉の駅前で友人と別れた。友人は宮城の知人を訪ね、私は列車で東京に帰る。飯坂電車の福島行きは、かつて東京で走っていた元東急の車両。都市型の鉄道だがローカル私鉄の情緒は十分味わえる。
2両編成の列車に揺られ、福島駅に着いた頃にはすっかり空は暗くなっていた。乗り継ぎ時間がわずかだったために、ここでどうこう思い返す暇はなかった。東京行きの新幹線に飛び乗り、動き出した列車の中に空席を見つけたところで、ようやく感傷に浸ることができた。

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【おわり】


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