北緯69度 - 北極圏の街ムルマンスク訪問記 -

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モスクワの北の玄関口であるシェレメチェヴォ空港。今回の旅はここから始まる。
ロシアのフラッグキャリアであるアエロフロート(SU)が拠点とするのがこのシェレメチェヴォである。かつては施設、サービスなど全ての面で最低ランクとされる悪名高い空港だったというが、今は近代的なターミナルが建ち、鉄道の開通でアクセスも改善し、今や「普通の空港」になった。
チェックインはアエロエクスプレスに乗る前にベラルーシ駅で済ませたし、荷物はリュック一つで預けるものもない。パスポートコントロール(ロシアは国内線でもパスポートチェックがある)も保安検査もさっさとパスして、余った時間でカフェに入り、ビールを飲んだ。
朝の一杯はたまらない。
10:40発のSU4160便はノルダヴィア航空とのコードシェア便で、ノルダヴィア機材での運航だった。機材こそ普通のボーイング737なのだが、座席の表皮が破れていたり、背もたれがグラついていたり、トイレの戸棚が閉まらなかったりと、お約束のような国内線だった。客に見えるところはきちんとメンテナンスしてほしい。さすがに不安になる。
空港混雑の影響で離陸も遅れたが、誰も意に介していなかった。こうして北緯55度のモスクワから、更に北を目指して飛び立った。
2時間強のフライトだが機内食も出され、それを食べて片付ける間に結構時間が経った。機長のアナウンスで、25分遅れで航行中と知る。
眼下は雲に覆われ、地表を眺めることはほとんどできなかった。やがて着陸態勢を入ったことを告げるアナウンスが入り、雲を突き抜けて高度を落としていった。
滑走路に機体が降り立つと、いつものように拍手が鳴った。
空港からムルマンスクの市街までは40kmほど離れており、バスかタクシーで移動することになる。バス乗り場はターミナルの目の前にあり、頻度もそこそこだったので、乗り継ぎには苦労しなかった。
バスには車掌が乗務していて、運賃を回収して歩いていた。拙いロシア語で、途中のバス停で降りたい旨と、そこに着いたら教えてほしいと伝えた。そこまでの運賃はたったの31ルーブル(約85円)、市街のバスターミナルまで乗り通しても37ルーブルである。
空港からの乗客は10人いるかいないかだったが、途中の小さな街で乗客をどんどん拾い、結構な混雑になってきた。やがて北極海に注ぐ川に沿うようにして、ムルマンスクを目指す。
車窓の風景をカメラに収めていると、私の後ろに座っていた乗客が「一緒に写真を撮ってあげようか?」と英語で話しかけてきた。お断りしたのだけれども、ロシアで英語で自分から話しかける人がいるとは…少なからず驚いた。
ファデーエフ・ルチェイというバス停でバスを降りた。ここの近くに町の境界を示す塔が建っており、ここが北緯68度58分、紛れもなく北極圏まで辿り着いたことを示している。
もう一つ、ムルマンスクはГород-Герой(ゴーラド・ゲロイ)、英雄都市と呼ばれている。第二次大戦中にドイツ軍などの侵略に対して抵抗し、重要な役割を果たした都市に、旧ソ連邦から贈られた称号である。
ムルマンスク港は北極海に面した不凍港であり、物資の供給ルートを確保したいドイツ軍の猛攻撃を受けた。市街は壊滅状態に陥りつつも、激しい抵抗の末にドイツ軍の攻略は失敗に終わり、連合国側の物資供給ポイントとして重要な役割を果たした、という。
Город-Геройの単語は町の境界、空港のターミナルビル、市内のバス停など、至るところで目にすることができた。ソ連時代の称号とはいえ、今も昔も街の人々の誇りであることに変わりないことが伺えた。
後続のバスで街の中心部を目指した。ムルマンスクの人口は約30万、北極圏の街としては世界最大である。ちなみに、上位3都市はいずれもロシアにある(ムルマンスク、ノリリスク、ヴォルクタ)。
北極圏というと極寒の地というイメージがあるが、ムルマンスクの場合は暖流の影響で、それほど気温は下がらない(この日も-10℃前後だった)。この暖流が世界最北の不凍港を作り出し、ムルマンスクの発展の礎になった。
メインストリートのレーニン大通りには商業施設や映画館、カフェなどが立ち並び、土曜の午後ということもあってか道行く人も多く、賑やかな雰囲気だった。
バスはムルマンスク駅の横にあるバスターミナルに辿り着いた。宿はここのすぐ近くで、チェックインすることもできたのだが、万一フロントでパスポートを預かられてしまうと身動きが取れなくなってしまうから、先に行ってみたいところに行こうと考えた。
ガイドブックの案内に従ってトロリーバスに乗り、緑の岬を訪れた。ここは小高い丘になっていて、ムルマンスクの市街、そして港を一望することができる。
ここに高さ40mを超える兵士の石像が立っている。第二次大戦で戦死した兵士たちの功績を称えて造られたものだといい、アリョーシャの像と呼ばれている。造られた経緯といいサイズといい、ムルマンスクのシンボルと言っていいだろう。
バスターミナルへ戻り、街の中心にある憲法広場に面して建つホテル「メリディアン」にチェックインした。立地は申し分ないのだが、値段はかなり高かった(朝食付き4,900ルーブル)。今回はアクセスを考えて敢えてここを選んだけれども、いつもの旅であれば絶対に使わない価格帯である。
部屋で持ってきたパソコンを取り出し、無料の無線LANでインターネットに接続する。どうせパスポートが返ってくるまで動けないのだから、休憩も兼ねてしばらく部屋で過ごすことにした。
しばらくすると外は暗くなり、いい具合に腹も減ってきた。フロントでパスポートを受け取り、外出することにした。
ガイドブックに載っていたレストランに入ると、ロシア人でないと見るやSmoking?と英語で尋ねられた。ロシアはこんな簡単な英語すら話してくれないレストランが本当に多いのだ。メニューもロシア語と英語で書かれていて、全く苦労しなかった。
空港からのバスの車内でのエピソードといい、英語でコミュニケーションをとることを厭わないのは、かつて連合国側の補給基地として多くの欧米人を受け入れたこの街のDNAかもしれない…と思うのは、あまりにこじつけが過ぎるだろうか。
店を出て夜空を見上げた。ここムルマンスクは、時折オーロラが見られることでも有名で、この時期を選んだのも観測回数が一番多いのは2月というデータがあったからだった。
天気が悪いせいか、あるいはそもそも発生すらしていなかったのかは分からないが、残念ながらオーロラを拝むことはできなかった。0時、4時に起きて空を見たが同じだった。運次第とは分かっていても、やはり残念でならなかった。見る者全てを魅了するという天体ショー、死ぬまでに一度はお目にかかりたいものだ。
翌朝、8時に起きたが空はまだ暗かった。北国の冬の朝は遅い。ホテルのバーで朝食をとり、部屋でコーヒーを飲んだあと、10時過ぎにチェックアウトした。
ムルマンスク駅の裏手に港湾地区が広がっていて、ムルマンスク港を間近に見てみようと思ったのだが、ここはあまりウロウロしない方がいいかもしれない…というような空気が漂う場所だったので、ほどほどに引き返した。
そういうわけで市街地散策に切り替えた。丘陵地帯が広がるムルマンスクは坂が多い街で、フィジカルに歩き応えがある。そして坂を上りきったところで振り返ってみると、意外と絵になる風景が広がっている。日本で言うと、函館に近いものがある。
ソ連式の街並みはとかく画一的で殺風景のように見えるけれども、地理や歴史にフォーカスを当てながら捉えてみると、街それぞれの表情が見えてくるものだ。既に残り8ヶ月のロシア生活となってしまったが、いろんな街を歩いて、それぞれの街だけが持つ独特の表情を探り当てたいと思う。
バスターミナルへ戻り、空港へ向かうバスを待っていると、フィンランド語を纏ったバスがやって来た。フィンランドからの中古車と思われるが、土地柄フィンランドとの交流も少なくはないのだろう。ここから少し行ったところにフィンランド、ノルウェーとの国境があるのだ。
バスは乗客を次々に乗せながら空港を目指したが、ほとんどが途中で降りてしまい、空港まで乗り通した乗客はわずか数名だった。空港までの道のりは約1時間ほどで、バスを降りてすぐ、モスクワ行きの搭乗手続きの案内放送が聞こえ、すぐにカウンターへと向かった。
SU4161便は往路同様、ノルダヴィアによる運航のコードシェア便だった。行きとは打って変わり、上空の天気も良く、終始地表を見下ろすことができた。これなら今日はオーロラが見えただろうか…と、後ろ髪を引かれながらモスクワを目指した。

<おわり>

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