麗しのサンクト - 満を持してのサンクトペテルブルグ訪問 -

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サンクトペテルブルグ−かつてのロシア帝国の首都、現在のロシア第二の都市であり、多くの歴史的、文化的なバッググラウンドに彩られた、随一の観光都市でもある。
先に言ってしまうと、ロシアに足を運ぶのであれば、是非サンクトを訪れて頂きたい。絵画や文学に興味があるなら別だが、単なる街歩きであれば、モスクワに時間を使い過ぎる必要はない。事実、モスクワの人間も口を揃えて「ペテルブルグに行け」と言っていた。しかしながら、何かの機会で訪れることもあるだろうと思って、後回しにし続けたのである。
そういうわけで先にシベリアのヤクーツク、北極圏のムルマンスク、そして飛地のカリーニングラードを訪れた。モスクワから遠い順なのは特段意識していなかったが、結果的にそうなった。
そうしている間にロシアでの生活も3分の2が過ぎた。そろそろ、その気になってプランニングせねばと焦りを覚え始めたとき、その「機会」はこの上ないタイミングで訪れた。
6月12日は「ロシアの日」という祝日である。2012年の6月12日は火曜日だったが、9日(土)を全国的に稼働日とし、代わりに11日(月)を振替休日とすることで、三連休になった。その9日に、泊りがけでのサンクト出張が入ったのである。待てば海路の日和あり、遂に来た!仕事とは言え、心が躍り上がったのは言うまでもない。
朝の便でサンクト入りし、21時過ぎに一通りの仕事を終えて街に出た。北緯59度に位置するサンクトの夏の日は長く、日本で言えばまだまだ夕方5時の雰囲気である。
まずは血の上の救世主教会へ足を運んだ。タマネギのような屋根を頂いた、まさにロシアの教会といった風体で、正面から見ても威風堂々であるし、反対側から運河に面した様を見ても絵になる。一見、モスクワのワシリー寺院と混同しそうになるが、建造されたのはワシリー寺院が1560年、対してこちらは1907年である。実は全く異なるバックグラウンドを持っているのである。
24時出発のクルージングに参加することにして、夕食と時間潰しを兼ねて、メインストリートであるネフスキー・プロスペクトを歩いた。連休を控えた週末の夜、街の賑わいはむしろ勢いを増しているように思えた。
ガイドブックに載っていたいくつかのレストランを尋ねたが、閉店したのか見当たらず、3軒目の中華料理屋でようやく食事にありつけた。
船着き場に戻り、クルーズ船に乗り込んだ。迷路のような運河を右へ左へ、1時間ほど走り回ったあと、エルミタージュ横の水路からネヴァ川に出て、急に視界が開けた。黄昏とも暁ともつかない空の下、綺麗にライトアップされた建物が河畔に連なっていた。
そして一刻の後、宮殿橋が上昇を始めた。随所から歓声が上がり、フラッシュが炊かれる。無数の観光船も川岸の見物客も、この瞬間を待っていたのだ。
翌日は昼過ぎまでに仕事が終わり、夕方の飛行機までの間、街を散策することにした。
ネフスキー・プロスペクトを昨日とは逆の方向へ、まずは宮殿広場を訪れた。建物自体が美術品と言っても過言ではないエルミタージュと、半円形の旧参謀本部に囲まれた、サンクト一の名所と言うべき場所である。
そこから宮殿橋でヴァシリエフスキー島に渡ると、岬からネヴァ川と街並みを一望することができた。
更に証券取引所橋を渡ると、うさぎ島という島に築かれたペトロパブロフスク要塞に辿り着いた。名前の通り、ピョートル大帝が築き上げた要塞で、頑強な城壁の中にはピョートル大帝以後の歴代皇帝が埋葬されている、ペトロパブロフスク聖堂が聳え立つ。城壁の外は遊歩道になっていて、ネヴァ川を眺めながら散歩することもできた。
城壁の上を歩いて見たかったが、ここで時間が来てしまった。モスクワに戻るべく、空港に向かった。
ここから先は6月12日火曜日、キジ島から帰ってきたあとの話になる。一度モスクワの自宅に帰り、翌日朝の便でペトロザヴォーツクを訪れてから、再びサンクトにやって来た。もともと11-12日の旅の計画が先にあって、その後9-10日の出張の話が出て来たので、こういうことになった。
サンクト市街の東部、ラドーガ駅で列車を降り、地下鉄を乗り継いでバルチースキー駅へ向かった。余談だが、サンクトの地下鉄はモスクワより進んでいる。駅の案内は全て英語との二カ国語表記で分かりやすいし、ホームドアがある駅もある。むしろモスクワが相当遅れていると言わざるを得ない。
駅前からマルシュルートカ(小型の乗合バス)に乗った。案内放送も何もないので乗り過ごさないかどうか不安だったが、目的地の停留所のところだけ運転手が「ファンターン(噴水)」とアナウンスをしたので、ここが目的地だとすぐに分かった。
ここはペテルゴーフ、北方戦争に勝利したピョートル大帝が作り上げた宮殿である。
バス通りに面した門の先に、まずは「上の庭園」が広がる。大宮殿を背景に、左右対称に噴水や植樹が配置され、幾何学的な美しさがある。
大宮殿には入場を待つ列ができていたが、どうやら既に予約済みのツアー客らしく、一般客のチケット売り場は見当たらなかったので、中を見物するのは諦めた。
庭園の隅に、第二次大戦で廃墟と化した宮殿と庭園の写真が飾られていた。お得意のプロパガンダの臭いは否めないにせよ、ここまで完膚なきまでに破壊されたものを、よくぞここまで復元したものだと思った。
900日近くに及ぶ包囲戦に耐え抜いた、サンクトペテルブルグの―かつてはレニングラードといったが―意地と誇りの表れであるようにも感じた。
大宮殿の背後、フィンランド湾との間には「下の庭園」が広がる。少し高い丘の上にある宮殿から真っ直ぐに運河が掘られ、段々のテラスが設けられている。
そして午前11時、音楽とともにテラスや運河、そして庭園中の噴水から、一斉に水が噴き上がるのだ。
この見事さを言葉で表現するのは難しいので、YouTubeにアップした動画を見て頂きたい。
この大滝が最高の見どころではあるが、他の噴水もそれぞれ趣向が凝らされていて、それらを一つ一つ見ながら庭園を散策するのも面白い。庭園全体が至高の芸術品と言っていい。惜しむらくは天気が悪かったことだ。
帰りは運河の先端の船着き場から高速艇に乗って、エルミタージュの前まで戻ってきた。
遅めの昼食をと思い、ガイドブックに載っていたステーキハウスに入った。毎日食べているロシア料理を、旅先でまで敢えて選ぶ必要はなかった。ロシア旅行で残念なのは、食い歩きの楽しみがないことだ。多少の差はあれど、何処へ行ってもメニューは同じである。
帰りの飛行機まであまり時間がなかったが、エルミタージュのチケットを求める列に並んだ。ところがここで時間を食った挙句、内部も見物客でごった返していて、とてもゆっくりと観察を楽しむ環境ではなかった。そもそも根本的に、私は絵画や装飾といったものに大して興味がないのだから話にならない。定番という言葉に流されたツケだった。
これはあくまで私見である。芸術に関心のある方であれば、きっと楽しんで頂けるに違いない。
これならイサク聖堂の展望台に上ってサンクトの街を見下ろした方が良かったなぁ…と思いながら、ある一角を目指していた。
見学ルートから外れた建物の端の端、打って変わって静まり返ったところに、シベリアや中央アジアなどから出土した遺物が展示されていた。これまた見識が疎く、恥ずかしながら何がどう貴重なのかは理解していないのだが、あまり知られていないエルミタージュの一面がある、ということだけ書き記しておきたい。
地下鉄とバスを乗り継ぎ、サンクト・プルコヴォ空港へ。レターコード(LED)がレニングラード時代の名残であることには最近気付いた。いかにもソ連時代に作られた空港という風体だが、新しいターミナルの建設も進んでおり、近いうちに大きく姿を変えることだろう。
満足し切ってあとは帰るだけ…と思いきや、いきなり搭乗便の遅れを知らされた。待てども待てども搭乗開始のアナウンスはなく、まさか欠航か?と思い始めた矢先、ようやく搭乗が始まった。定刻から2時間以上遅れた22:00過ぎのことだった。

<おわり>

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