キジ島 - 世界遺産の木造教会を尋ねて -

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今回の旅の始まりはドモジェドヴォ。余裕を持ってチェックインを済ませ、搭乗ゲートの前でいつものようにビールを一杯飲んだ。
Final Callのアナウンスを聞いてゲートへ向かうと、係員に制止された。訳が分からないでいると、係員が既にバスに乗り込んでいた乗客を降ろし始めた。嫌な予感がした次の瞬間、ゲート横のディスプレイが1時間の遅れを表示した。これはまずい、このあとの行程に関わる。
飛ばないものは飛ばないと諦め、おかわりのビールを口にしながら待つ。ところが1時間経っても何の情報も入ってこず、再び嫌な予感がすると、更に45分遅れるという。もはやいつ飛ぶか分かったものではない。
「RusLineは遅延率ナンバーワンだから気を付けた方がいいよ」―先日上司から受けた忠告であった。まさにその通りだということか。
これで完全に予定が狂ったのだが、とりあえず行ってみようと思う。何かいいリカバリープランが見つかるかもしれない。
結局2時間近く遅れて搭乗が始まった。RusLine243便の真っ赤な機体は、駐機場の端の端に止まっていた。ボンバルディアの小さな機材だったが、乗客はせいぜい20数名で、空いていた。
モスクワの市街を飛び越え、一路北を目指す。飲み過ぎたビールのせいでウトウトとしているうちに、着陸態勢に入ることを告げるアナウンスが入り、ペトロザヴォーツク・ベソヴェト空港に無事着陸したのは13時頃のことだった。1時間半遅れである。
空港というよりは飛行場という表現の方がしっくりくる、小さな空港だった。就航しているのはこのRusLineのモスクワ線1日1便のみ、しかも月〜金しか運航しない。
空港の前に止まっていたタクシーでペトロザヴォーツクの市街へ向かおうとすると、ちょっと待てと言われ、やがて他の客が乗り込んできて、相乗りとなって空港を出発した。
市街へはおよそ20分ほどで着いた。ペトロザヴォーツクはロシア連邦の一構成国、カレリア共和国の首都であり、ピョートル大帝が工場(ザヴォード)を造ったことが町の起こりである。つまり「ペトロ+ザヴォード=ペトロザヴォーツク」である。国境を接していることからフィンランドとの関わりも深いという。カレリア人という独自の文化を持った人々がいるらしいのだが、ペトロザヴォーツク自体は良くあるロシアの地方都市だった。
ここからキジ島に船で渡るのが、今回の最大の目的だった。ところが飛行機の遅れのせいで、予定していた船に乗れなくなってしまったのである。
他に便がないだろうか…と思っていたところ、タクシーは船着き場で後ろの客を降ろした。それを見て、もしかして彼らは何か知っているのではと思い、慌てて自分も車を降りて後を追った。
するとなんと、13時半にキジ島へ向かう船があるという。「早く行きましょう!」と言われ、岸壁を走って船に飛び乗った。
我々3人を乗せると、船はすぐに出航した。全席指定と言われていたが、誰も意に介していなかったようだったので、適当な席に座った。すると、どうにかなったという安堵からか、少し眠気を感じて目を閉じた。
気が付くと、深緑の木々に覆われた島々が左右に見えた。ところどころに木造の家屋もあり、美しい。森と湖の国、カレリアとうたわれるだけのことはある。
そしてひときわ変わった様相の教会が見えた。これがプレオプラジェーンスカヤ教会、いよいよキジ島である。他の乗客もこぞってデッキに出て来ては、写真を撮っていた。
船を降り、団体行動で教会まで向かった。近くで見ると、シルエットの美しさがより際立ち、それと同時に、1714年に建造されて以来300年もの間、厳しい風雪にも耐え抜いてきた力強さも感じた。釘を1本も使わず、また屋根も全て木片で葺かれているというから驚く。
その隣のポクロフスカヤ教会と鐘楼との並びも見事で、この一帯だけが絵画の中の世界であるかのように思えた。
プレオプラジェーンスカヤ教会は老朽化のため、中を見学することはできないのだが、ポクロフスカヤ教会には入ることができた。何やら日本語が聞こえると思ったら、日本人の団体もいた。
私も他のツアー客と一緒に添乗員の説明を聞いていたのだが、ロシア語が分からない私を見かねた(多分)先ほどの女性が親切にも「17:45に船が出るから、あなたはそれまで自由に行動していいのよ」と教えてくれた。
そういうわけで一人教会を出て、島の散策を始めた。キジ島は全体が景観保存区となっていて、他にも付近の村から移築したという木造の建造物が立ち並んでいる。例えば富農の家、中農の家、そして貧農の家というのがあって、中では当時の生活用具が再現されていた。違いはいまいち良く分からなかったが、貧農の家だけは明らかに小さかった。
こうした建物が密集しているのは島の南側で、これを一巡りしたあと、北の方へ向けて歩き始めた。こちらにも木造の家屋が建っているが、これは実際に人が住んでいる集落である。
本当は島の北端まで行きたいところ、時間の都合で、島のほぼ中央にある「救世主の礼拝所」で引き返すことにした。それは小高い丘にあって、今まで通ってきた南の方、そして更に続く北の方を一望することができた。
行きとは違った道で船着き場に戻り、カフェでビールを飲み、土産物屋でマグカップを買ったあと、帰りの船に乗り込んだ。帰りの船は、みな満足と言った感じで多くの人が寝入っていた。自分も御多分に漏れずであるが。
船の降り際に、先ほどの女性に礼を言って別れた。空港であんな風に出会っていなければ、キジ島訪問自体が危うかったかもしれないのだ。感謝感激である。
船着き場からオネガ湖畔、そしてメインストリートのレーニン大通りを歩いて、ペトロザヴォーツク駅まで30分ほどであった。まずは今日の列車のチケットを買わねばならない。窓口で買うのは少々骨が折れる…と思っていたら、自動券売機があって、二等寝台の1席を簡単に買うことができた。
そのあと一度駅を出て、ガイドブックに「ペトロザヴォーツクを代表する」と書いてあったレストラン、その名も「ペトロフスキー」に向かった。外観はそんなレストランのようには全く見えず、しかし建物の中は格式の高さを感じさせ、正直一人で入ったのが少し恥ずかしくなった。しかし旅の恥はかき捨てである。
拙いロシア語で「カレリアの料理はないか?」と尋ねると、ウェイトレスの女性はスープとカツレツを勧めてくれた。赤く澄んだスープはボルシチの一種なのだろうか?カツレツはあっさりとした味付けで、ボリュームたっぷりにも関わらず最後まで飽きずに食べられた。両方とも美味しかった。
レストランを出て、途中のカフェでコーヒーを飲んだあと駅に戻った。時刻は22時過ぎにも関わらず、まだまだ夕方のような明るさだった。モスクワも相当なものだが、緯度が高いここは更に日が長い。
22:50発のサンクトペテルブルグ行き657列車は既に入線していた。後ろまで良く見なかったが、客車を20両は連結していたようで、迫力があった。
車両に乗り込み、指定のコンパートメントに入ると、先客の男性3人が既に酒盛りを始めていた。ジョインする気はなかったので、早々とベッドメイクして横になった。
散々歩き回って疲れていたし、熟睡できるだろう…と思いきや、空調が壊れているらしく、あまりの暑さになかなか寝付けなかった。他の3人も耐えかねたのだろうが、全員が上半身裸で寝ていたのには、さすがに少し気が滅入った。
しばらくすると空調が復活したのか、涼しい空気が流れてきて、ふっと眠りに落ちた。次に目が覚めたのが6時前で、サンクトまであと1時間強といったところだった。トイレが使えるうちに(垂れ流しなので、街に近付くと施錠される)顔を洗ってから、荷物をまとめて2両隣の食堂車に移動した。食堂車と言っても、飲み物を売っているだけだった。運行時間を考えれば当然だが。
サンクトペテルブルグまであと僅かだというのに、車窓には人の気配がしない森が延々と広がり、ロシア第二の都市に近付いているとは思えない景色だった。建物や道路が見え始め、街の気配を感じるとすぐそこがサンクトペテルブルグ・ラドーガ駅であった。

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