南東北応援紀行 (1) -震災後の福島、山形へ

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「とりあえず東北へ行こう」
またまた友人とそんな話が持ち上がったのが2日前の夜である。
そして出発当日、仕事で遅くなり終電で帰ると、ほぼちょうどいいタイミングで静岡の実家から、彼が車で私の自宅へやって来た。仮眠して朝出発しようかと考えていたのだが、今寝たら二人とも起きれないと悟り、とりあえず出ることにした。深夜の関越道は、土曜日ということもあってか思ったより交通量が多かった。
上里SAで仮眠し、すっかり明るくなった6時すぎに運行再開。渋滞ポイントをとっくに抜けてしまったから、あとの行程は快調そのものだった。
長大な関越トンネルを抜ければ新潟県。さあ、ここからどこへ行こうか。
お互い寝起きですっきりしなかったので、朝風呂に入ることにした。このあたりで風呂、温泉と言えば越後湯沢である。
作戦会議をしたのが塩沢石打SAだったので、併設のインターから下道に降り、湯沢まで少し戻る。いくつかある町営の共同浴場の中で、朝7時から開いている「山の湯」に入った。
共同浴場とか元湯といった類の施設は、どんな一大温泉街であってもたいていは静かでこじんまりとしていて、いい情緒と雰囲気を醸しているところが多い。ここもご多分に漏れずそうだった。
湯沢から国道17号線を北上する。ここは日本一の米どころ、道路の周囲には水田が広がる。奥には八海山に代表される山々がそびえ立ち、綺麗な田園風景である。
小出から奥只見方面へ向かう国道352号線に入ると、どんどんと道が狭まり、国道とは名ばかりの林道と趣になる。その先にあるのが駒の湯温泉である。勢い良く湧き出る源泉は温度が低く、その隣に普通の温度の湯が張ってある浴槽がもう一つある。これらを交互に入るのだ。面白い趣向だと思うし、初夏のこの季節にはこのくらいの温度がむしろちょうどよい。
この浴場は日帰り専用で、泊まり客にはもっと凄い露天風呂があるらしい。いったいどんなものなのだろう。
駒の湯から先の冬期通行止が解除されておらず、352号線を走破することはできなかった。6月なのに?と思ったが、もしかしたら震災の影響で、福島側の道路の復旧に手と金が回らないのではないか…と推測した。邪推であるが。
というわけで一度小出まで戻り、同じく会津方面へ向かう国道252号線に車を進めた。途中、道沿いで蕎麦を食べた。遠出すると蕎麦が食べたくなる、たいてい美味いから。そんな理由だ。
252号線はやがて険しい六十里越峠を越え、越後から会津へと至る。新潟側のサミットへのアプローチはヘアピンカーブの続く急峻な峠道で、友人のプリウスでは少し厳しかった。しかしトンネルを抜けて福島側に到達すると景色は一転、田子倉湖を眼下に見下ろす爽快なワインディングが続く。
田子倉湖のほとりにJR只見線の田子倉駅がある。周囲に人家の類は一切ない、いわゆる秘境駅である。しかもこの駅は臨時駅という扱いで、毎年12/1から3/31の冬期は全ての列車が通過してしまうのだ。もっとも国道も冬期は通行止になってしまうので、誰も困らないのだろうが。
平時ですら上下合わせて1日7本の列車しか来ない駅であるから、列車で来るのは至難である。本来は列車で訪れるのが趣味上の筋であろうが、自分で自分に勘弁してもらって秘境駅探訪を楽しんだ。
峠を下りると福島県最西部、只見町の中心街に至る。しかしここから県都福島市は遥か先で、ここを福島と呼ぶこと自体に違和感がある。ましてや、地震や原発の影響などあろうはずがない。
この時点で何となく、今日の宿は会津若松辺りに取ろうと考えていた。そうすると252号線を只見線沿いに走っていくのが最短ルートだが、ここで地図上に良さそうな温泉を見つけ、もう一風呂浴びてから向かおうということになった。
進路を国道289号線に変え、少し走るとあったのが「湯ら里むら湯」。ここの特徴はいかにも鉄分たっぷりな赤茶色の湯で、露天風呂はないが、大きな窓からの景色が良かった。
そのまま289号線を走る。交通量が少ない割に良く整備された道で、特に駒止峠越えは楽しく走れた。
これを越えると南会津町の中心、かつての田島町である。ここから会津若松までの国道121号線はそこそこ交通量もあったが、混むほどではなく通過できた。この沿道にも湯野上、芦ノ牧といった温泉があり、今回は時間の都合でパスしたが、機会があれば行ってみたい。
会津若松の市街地から、会津の奥座敷こと東山温泉へと車を向ける。携帯で見つけた温泉旅館「御宿 東凰」は温泉街の一番手前にあり、立派な建物を目印にするまでもなく簡単に見つかった。
市街地を一望できる部屋に荷物を置いて、夕食を取るべくレストランへ。ここはレストランが1箇所しかなく、それもバイキング形式だった。よろしいですかと予約時に念押しされていたが、好きな物を好きなだけ食べたい我々としてはむしろ好都合だった。郷土料理も豊富に揃っていて、思わず目移りしてしまった。何を食べるか迷う、これもまた最高の贅沢とは言えないか。
ウェイターの対応も印象的だった。最初に注文を取りに来た人は新人さんらしく、たどたどしさとズーズー弁が抜けていなかったが、かえって真摯さが伝わって来たし、他の人に利き酒セットを頼んだら、お二人なのだから…と、メニューにない別の銘柄をわざわざ見繕ってくれた。必ずしもマニュアル通りではない態度や気配り、これが「おもてなし」の本質なのではないかと思う。
今回の震災で会津が味わった境遇は、まさに巻き添え以外の何物でもないと思う。同じ県内というだけで受けた、言われもない被害は計り知れないに違いない。しかし無責任ではあるが、どうかここは踏ん張ってこの逆境に耐えてほしいと思った。ここには再び足を運びたくなるほどの魅力があるのだから。

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