バルチック・ジャーニー (3) - バルトの一国リトアニアと、ロシア領の飛地カリーニングラードへ -

[ 1 ] [ 2 ] [ 3 ] [ 4 ] [Photo]

朝起きると、抜けるような晴天が広がっていた。これは幸先がいい…と思ったが、Y氏曰く気温は一桁台だという…5月だぞ?
チェックアウトを済ませ、朝食をとりにホールへ入った。メニューはヴィリニュスよりいささかヨーロッパ風だった。
その後恐る恐る外に出ると、確かにひんやりとしてはいたが、寒いというほどでもなかった。日差しのせいか、それともロシア生活で寒さへの耐性がついたからだろうか。
歩いてバスターミナルへ辿り着き、クライペダ行きのバスに乗った。昨日訪れたカウナス城などを見ながらカウナスの街を通り抜け、すぐに高速道路に入った。なだらかな平原に伸びる真っ直ぐな道路を、バスは快調に進んでいく。
クライペダはバルト海に面した、リトアニア最大(唯一?)の港町である。もっともその規模は、タリン(エストニア)やリガ(ラトビア)と比べれば小さい。タリン・リガとも、それぞれ首都であるというのも対照的だ。
さてここからが今回のハイライト、クルシュー砂州である。リトアニアからロシア領の飛地カリーニングラードまで、細い砂州がバルト海に面して伸びているのだ。ここを通って国境の町ニダへ辿り着き、更にボーダーを越えてロシアに入るつもりだった。
バスターミナルでカリーニングラード行きのバス乗り場を尋ねると、海を隔てた砂州の上、スミルティネが起点だという。とりあえず砂州に渡るのが先決ということか。
バスターミナルを出ると、すぐ隣に鉄道の駅があって、市内の地図が掲げられていた。スミルティネへの渡船の乗り場へは少し距離がありそうだったので、駅前に停まっていたタクシーを使った。ところがY氏も自分もリタスのキャッシュが尽きていたので、途中で銀行に寄ってもらって両替をした。
15分くらいかかったと思う。タクシーに戻ると、Y氏と運転手がロシア語で会話していた。やはりこの国はロシア語の通用率の方が明らかに高いらしい。
渡船乗り場で降ろされたが、そこはターミナルどころか屋根すらない、ただの桟橋だった。しかしスミルティネはこれ以上に何もないと聞いていたので、船に乗る前に食事をすることにした。時間は13時過ぎ、予定の船は14時発である。
少し離れたところに中華料理屋があって、これはいいやと入ったのはいいのだが、頼んだ料理がなかなか出てこない。結局、待っている間に2時を回ってしまった。
そういうわけでその後、14時半の便でスミルティネに渡った。渡った先は前評判通りの場所で、小さな駐車場に面して小さな売店がポツンとあるだけだった。一本落としてでも食事を済ませて良かったと思った。
駐車場の片隅に、ロシア語が書かれた大型バスを見つけた。ピンと来て近付くと、案の定カリーニングラードへ向かうバスだった。出発まで暇を持て余していた(たぶん)ドライバーに(Y氏が)声をかけると、ニダからの途中乗車もできるという。
「今日は予約でいっぱいだから、立ってもらうことになるけど」とも言われたが、このときは気にならなかった。とにかくニダからカリーニングラードへ行く足が確保できたことで、2人揃って胸を撫で下ろした。このバスはロシアの会社が運行していて、Y氏にインターネットで時間を調べてもらっていたとはいえ、ニダから乗ることができるのか、そもそも本当に走っているのかどうかさえ、半信半疑だったからだ。
渡船を1本落としたせいで、ニダに行くバスとの時間が合わなくなってしまった。次のバスまでは2時間ほどあったので、辺りを散策することにした。
林の中の遊歩道を歩く。草木が生い茂る様を見て、ここが砂で築かれた土地だとは想像もできなかったが、少し歩くと視界が開け、白い砂浜と青い海が広がった。
バス停まで戻って、先ほどの売店で時間を潰したあと、改めてニダ行きのバスに乗った。左手にはリトアニアの本土が見える。
およそ30分のバスの旅を経て、ニダに到着した。バスターミナルの女性に、見どころとカリーニングラード行きのバス乗り場の場所を(ロシア語で)尋ねてから歩き始めた。三角屋根の小さな家屋が立ち並ぶ静かな街だが、有名な保養地でもあり、リトアニアのみならず海外からも観光客が多く訪れるそうだ。
だんだんと道が上り坂となり、足場も砂が露わになって、ときおり足を取られる。しかしこれを上りきると、そこが砂丘の頂上で、青いバルト海、赤い屋根が並ぶニダの町、そしてどことなく荒涼としたロシアとの国境を臨む大パノラマが広がるのだ。達成感と汗ばんだ身体に、砂丘を吹き抜ける風が心地良かった。
バス乗り場を目指して砂丘を下り始めた。携帯で時間を確認すると、既にロシアの電波を拾っていた。
バス停では既に10数名の人がバスを待っていた。時間通りに来たバスは予告通り既に満席で、ニダから乗り込んだ人々は通路に立つことになった。
数分で国境に着いた。生まれて初めての陸路での国境越えだ。まずリトアニア側で係官が乗客全員のパスポートを回収し、外国人の我々には、バスの運転手からロシアの入国カードも配られた。リトアニア側とロシア側のゲートの間には小さな免税店があって、乗客や自家用車で通過する人々が大挙してウォッカを買い漁っていた。
全員分のパスポートが返却されるとバスに乗り込み、少し先に行ったロシア側のゲートで入国審査を受けた。ここでは乗客全員が降ろされ、建物の中で係官のチェックを受けた。よほど日本人が珍しいらしく、Y氏が他の乗客の興味の的になっていた。更に入管でも、Y氏ともどもパスポートとビザの微妙な記載相違を指摘され、しばし足止めを食った。
最終的には2人とも放免となり、パスポートにКуршская коса(クルシュー砂州)の入国印が押された。
これは決して偏見ではなく、国境を境に沿道の風景は一変する。道は細く、陰鬱とした林の中を延々と走った。日が落ちるに従って、不気味な雰囲気を醸し出してきた。ロシア側も国立公園に指定されているはずなのだが、これを観光資源として活用する気はあまりないらしい。
ただでさえ満員の車内で、隣の立客がビールを片手に酒盛りを始めていた。それを見て、良くも悪くも、あぁロシアだと思った。ロシアに来て半年過ぎ、この国の人々の価値観やテンポは未だ掴み切れない。
立ちんぼのまま、カリーニングラードまでの2時間を過ごした。駅前(本当は我々もここで降りるべきだったが、アナウンスも何もないので気付かなかった)で大勢の客を降ろしたあと、その後は各自が各自都合のいい場所でバスを停める乗合タクシー状態だった。
終点のバスターミナルからタクシーで宿に乗り付け、チェックインを済ませた。食事を取りたかったが、時刻は23時を回っていて、空いている店は皆無だった。ガイドブックにチェーンの日本食レストラン(もちろんロシアナイズドの)を見つけ、再びタクシーで向かう。
どうにか食事は済ませ、宿に戻るや否や、二人揃ってベッドに倒れ込んだ。今日は本当に疲れた。

[ 1 ] [ 2 ] [ 3 ] [ 4 ] [Photo]


Homepage >> Travel >> バルチック・ジャーニー