またここへやって来た (2) - シビックを駆って関西方面、紀伊半島へ -

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朝起きると雨が降っていた。この日は本州最南端の潮岬に行こうと思っていたが、潮岬は是非天気のいいときに行きたかったし、片や近場の熊野古道は、むしろ雨が降る方がいい雰囲気なのではと思って、行程を変えることにした。そうすると多少遅くスタートしても良くなり、昨日の疲労回復も兼ねて、二度寝を決め込んだ。
この宿は日高川に面して建っているが、川向うに公衆浴場の龍字温泉元湯があって、別館の宿泊客は何度でも無料で入浴ができるという仕組みだ。部屋には風呂がなく、トイレも共同、台所はご自由にという形式で、その分料金は安い。
再び目が覚めたあとに出発し、車ごと元湯に移動した。龍神温泉は1300年の歴史を持つ古い温泉で、日本三美人の湯の一つともされる。熱々の十津川温泉と比べれば湯は温めで、かつ無色透明で肌当たりが実にいい。川に面して作られた露天風呂は、朝のいささか涼しい空気に包まれ、つい長湯をしたくなった。
若干後ろ髪を引かれる思いで龍神温泉を後にし、紀伊半島を縦に貫く道の1つ、国道371号線を南へ向かった。この道はところどころ未完成の区間があり、そこは細い林道でパスするのだが、時折、真新しい高架で山を駆け抜ける道ができつつあるのが頭上に見えた。一方で開通している区間は立派な2車線道路なのだが、全通するまでは維持コストを抑える気なのだろう、トンネルの照明は完全に落とされ、ヘッドライトだけが頼りという状態だった。
旧中辺路町から国道311号線、通称「熊野街道」を左折した。この道は熊野古道中辺路ルートと並走し、そして熊野本宮大社へと向かう。どこか古道の雰囲気を手軽に味わえる場所はないだろうと思いながら車を走らせていると、道の駅「熊野古道中辺路」が見え、そこから歩いて古道にアプローチできた。
15分くらい古道を歩くと、箸折峠の牛馬童子像に辿り着いた。こうしたものが古道を旅する人々にとって道標となり、あるいは安全を祈念する対象になっていたのだろう、と思う。 隣の近露王子までは距離にして1kmくらいだという。そのくらいなら十分歩いて向かって引き返せると思い、石畳が敷かれた細い山道を歩いた。
しきりに雨が葉を叩き、時折その音は強くなったが、木々に守られ傘を差さずとも良いくらいだった。雨音以外は何も聞こえず、より神秘的な雰囲気が漂う。雨の方がいいと思った直感は当たっていた。
近露王子まで20分ほどかかった。王子とは古道沿いにいくつも設けられた分社の名称で、その中でもこの近露王子は大規模な部類に入るのか、周囲には小さいながらも宿場街が広がっていたらしい。そして足湯が湧いていたので、休憩がてら足だけで湯浴みを楽しんだ。
ここから国道を歩いて引き返すのだが、途中のスーパーで水を買ってベンチで飲んでいると、隣で弁当を食べていた男性に「自販機で買ったら高くて勿体ないよ!」(元は関西弁)と話し掛けられた。見ると、銀行の封筒で紙飛行機を作っているらしい。他愛もない話をしているうちに、一機作ってあげようと言われ、その様子を見ていると、指で微妙な重量のバランスを測ったりと、かなり凝っている。こうして出来上がった飛行機は、悠然と宙を舞い、静かに地面に落ちた。
再び車に乗り込むと、既に13時近くなっていた。今日の宿の候補地を考えながら走っていると、次第に空が晴れ、やがて8月らしい青空が広がり出した。
旧本宮町に入った。本宮大社の周辺にも温泉がいくつかあって、その中の一つ、湯の峰温泉「つぼ湯」を目指した。熊野詣の湯垢離湯として長い歴史を持ち、世界遺産の一部にも認定されている。
一度に2-3名程度しか入れない広さのため、1組30分の時間制限がある。受付で先着順で札を取り、自分の順番を待つというルールだ。なので入浴希望者が殺到してしまったら入れないこともあり得る。この時間だから難しいだろうかと恐る恐る尋ねたところ、何てことはなく「次の次だね」とあっさり札を入手できてしまった。
しかし立て続けに「英語分かりますか?」と逆に尋ねられ、入浴ルールの英文訳や添削を頼まれた。世界遺産登録の効果だろうが、外国人客も多く訪れるようになったものの、英語が分からないので難儀しているという。
国を挙げて外国人観光客を呼び込む試みは良いと思う。世界中の人々に日本の良さを知ってもらえることも嬉しい。だが果たして、観光客を受け入れられる態勢は十分に整っているだろうか。観光立国を掲げようとするなら、その検証も必要だと思う。
運良くほとんど待つことなく入浴できた。湯は底から湧き出ているといい、熱かったら水で調節してと言われていたが、前のグループが相当水を入れたのか、既に冷まさずとも丁度いい温度になっていた。
私が入浴したときは藍色の湯だったが、時に応じて七色に変化するという。つくづく、この一帯は何もかもがどこまでも神秘的だと思う。
風呂から上がると、急に空腹を感じた。思えば朝から何も食べていなかったので、温泉街の中の食堂に入った。温泉がゆくらいしか用意できないけど…と言われたが、何の問題もなかった。 熱いのよりいいわよねと言われ、冷たい温泉がゆと、紀伊名物のめはり寿司が出された。それを食べながら、つぼ湯にほとんど待たずに入れましたと言うと、「いつもはもっと待つ」「暑いからみんな来ないのかしら?」という返事が返って来た。どうやら、相当に運が良かったらしい。
湯の峰から本宮大社までは僅かな距離だが、この間に近鉄大和八木駅から新宮へ向かうバスと擦れ違った。走行距離約170km、所要時間は6時間半という、一般道を走るものとしては日本最長の路線バスである。次に訪れるときは、列車とバスを駆使して見て回るのも面白そうだ。
本宮大社の本殿は、立派な茅葺き屋根を持つ重厚な佇まいだった。神社に来るといつでも落ち着いた気分になるが、ここは格別だった。天気はすっかり晴天になり、社殿の茶色と空の青と木々の緑のコントラストが瑞々しかった。
明治時代の水害で流されてしまったかつての本殿跡地も近くにある。田んぼが広がる中に見上げんばかりの巨大な鳥居が聳える。日本の原風景…と言ったら言い過ぎしれないが、日本という国を一枚絵で端的に描こうとすると、こんな感じになるだろうと思わせるような構図だった。
国道168号線を走って新宮へ向かった。新宮市から熊野市までは十数キロの距離だが、1日がかりで紀伊半島の中を大きく迂回したことになる。
新宮には熊野速玉大社があり、本宮大社とは対照的に朱色で彩られた社殿が建つ。市街地の中にあり、街のお神社様といった趣だが、本宮大社、那智大社とともに熊野三山の一つに数えられ、「新宮」の地の名の由来にもなっている。
あまり深く気にする必要はないらしいが、本宮、速玉、那智の順で回るのが一応の順序ということを今日出発する前に知った。なので急遽旅程を変えたことで順序に倣うことができた、ということにもなる。
その後無料の那智勝浦新宮道路を通って那智に行き、この辺りで宿を探すことにした。海水浴シーズンのせいか、つぼ湯の待ち時間で当たった新宮の宿はどこも満室、そして那智でも2件ほどの民宿に断られたが、勝浦町内のビジネスホテルが空いていた。
ビジネスホテル「ブルーハーバー」は中心街の外れ、港近くにあった。6畳1間の部屋で、寝るだけなら申し分なかった。
何本かビールを飲んだあと、夕食のために中心街に向かった。お盆だから、ということもあるかもしれないが、すっかり暗くなった街中は人影も少なく、静かだった。
紀伊勝浦と言えばマグロ漁業の基地である。マグロを売りにしている食堂に入って、南蛮漬けと刺身と丼がセットになり、熊野牛の石焼までついたおあつらえむきのセットを頼んだ。
正直なところ、築地で高値で取引されているようなものを東京で食べるのと、味の違いが分かるのかと言われたら分からないのだが、気分や雰囲気だけで美味さが増すものだ。そして違いは分からないが、美味いものは美味かった。

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