またここへやって来た (4) - シビックを駆って関西方面、紀伊半島へ -

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昨晩勝浦の宿で見つけた、豊岡駅前の「Oホテル豊岡」は、良くあるビジネスホテルといった趣だが、建物も設備も真新しく快適な宿だった。
朝食を済ませてから国道178号線を東へ走ると、すぐに京都府に入った。ときどき国道を反れ、かつて県が置かれた久美浜の街並みを眺め、久美浜湾や日本海に沿う道に入って寄り道をしながら、丹後半島の先端を目指した。
丹後半島という場所に、特に見たいものがあったわけではなかった。ただ行ったことがない、走ったことがない、というだけである。
昨日、47都道府県の全てに足を踏み入れたが、それでも細かく見て行けば、行ったことのない場所はまだある。ここ丹後地方も、高校の修学旅行のときに天橋立に行ったくらいだ。
人生のうちで、この国の様々な姿をどれだけ多く目に収めることができるだろうか。途方もない挑戦だと思う。
半島の先端に位置する経ヶ岬は、関西地方の最北端に位置する。最南端はいわずもがな潮岬で、直線距離にして260kmほど離れている。ここまでなだらかな海岸線沿いを走って来たが、このあたりは切り立った断崖が続いていた。
更に178号線を走れば、やがて左手すぐに若狭湾、そして宮津湾が広がり、天橋立に辿り着いた。ここは高校の修学旅行で訪れたことがある。宿は京都市内だったが、ここぞとばかりに友人を誘って、列車で足を伸ばした。私たちが作った行程を見た教師に「さすがだな」と言われたのを覚えている。
あのとき天橋立を眺めたのは、駅からも近い有名な場所だったはずだったから、今回は違う場所に登ってみようと思い、大内峠の一字観公園の方へ車を走らせた。股から覗いて天に登る龍のように見える景観が有名だが、ここから見えるのは横一文字に伸びる砂州の景色である。
引き続き178号線を走って、舞鶴に辿り着いた。
市街地に入る手前に道の駅「舞鶴港とれとれセンター」があって、様々な海の幸を買ったり、その場で食べたりできるのだが、どこもかしこも人だかりができていた。ややげんなりしつつ、建物の外で食事を売る店であご汁定食を頼んだ。すると割り箸の袋に海上保安学校生徒募集の告知があって、これも土地柄かと一人ごちた。
西舞鶴から東舞鶴に至る途中に通称「自衛隊桟橋」があり、週末に一般公開されている護衛艦が係留され、多くの見物人で賑わっていた。この国が軍隊を持たなくなった今も、舞鶴の港の姿は変わっていない。
港町という響きに魅力を感じるようになったのは、港に密接に関わる今の仕事に就いたからに違いない。多くの船が行き交い、それをきっかけに街が栄えたことには、様々な背景や風情があるものだ。それを感じるのが楽しい。商港であれ軍港であれ、それは変わらない。
舞鶴の港の全体像を見てみたいと思い、記念館もある引揚記念公園へ車を走らせた。ところが記念館の改修工事が行われていて、記念公園も閉鎖されてしまっていた。
そこでツーリングマップルによれば「高台から市街を一望」できるという東舞鶴公園へ向かったのが、確かに市街は見られても、港の全景までは見ることができなかった。
次に来るときは宿を取って、少し腰を据えて見て回ろう…と思いながら、舞鶴を後にした。舞鶴から先の道は2ケタ国道の国道27号線であり、少し走ると福井県、若狭地方に入った。
若狭湾と言えば原発銀座と言われるくらい、原子力発電所が林立しているところだが、その中の一つ、大飯原発を抱えるおおい町の道の駅「うみんぴあ大飯」に車を止めた。道の駅周辺の施設はとても立派で真新しいが、その財源が何かは言うまでもない。
海を隔てた対岸にある大島半島の先端に発電所はあり、そこから伸びる何本もの送電線が、地形に這うように張られている。
その光景に、原発が多くのエネルギーを供給していたという事実と、原発に支えられてきた地域があるという現実の両方を重ねた。
更に隣の小浜市まで27号線を走り、303号線に折れて琵琶湖畔の滋賀県高島に向かった。ここを走る路線バスと、近江今津で接続する湖西線とを乗り継ぐのが、小浜から京都、大阪方面への公共交通機関の最速ルートとされる。ここに鉄道を敷く構想もかなり昔から存在するが、実現には至っていない。一方で北陸新幹線を若狭地方経由で新大阪に延伸させるという案もある。
高島は琵琶湖畔に位置する街で、市内のマキノ町には、直線の道路にメタセコイアの木の街路樹が植えられているという場所があって、周囲の田園風景の中でそこだけが異彩を放っていた。車を止めて写真を撮ると、画としては最高だったものの、バンパーについたゴミが目立ってしまった。家に帰ったら綺麗に洗車して、メンテナンスもきちんとしてやろうと思った。
そのあと奥琵琶湖パークウエイに入り、琵琶湖の北岸を沿うようにして東へ向かった。琵琶湖の景観もさることながら、適度なコーナーが連続する峠道の様相も呈している楽しい道で、帰路の憂鬱が少しだけ晴れた。
もうやりたいことはやり尽くしたので帰るだけだ。すぐに北陸道の木之本インターがあったが、この時間から乗ってもどうせ関西や中部圏のUターンラッシュにぶつかるだけだと思い、国道303号線を通って岐阜県に入り、最終的には東海環状道の関広見インターから高速に乗った。走っているうちに暗くなったので、この間ひたすら走るだけだったが、都市圏を避けるルートを取ったのが功を奏してか、混雑には巻き込まれなかった。
高速では美濃加茂SAで夕食を取ったのと、長野県内のどこかのPA(恐らく座光寺)で用を足した以外はノンストップで走り抜けた。自分でも不思議なほどのテンションの高さで、眠気は全く感じなかった。
甲府昭和インター付近でちょうど日付が変わり、その先もしばらく順調だったのだが、相模湖と小仏トンネルの間だけ渋滞が発生していた。時刻は深夜1時過ぎ、関東のUターンラッシュは激しいと改めて思った。

【おわり】

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