渡星 (4)

この日も午後から人に会う予定があったので、昼過ぎに戻ってこれる場所を探索することにしました。
まずは宿の近くでタクシーを拾い、マウント・フェーバーへ車で一気に登ると、ケーブルカー(ロープウェイ)のフェーバー・ピーク駅があります。
このケーブルカーには途中のハーバー・フロントからも乗れるのですが、標高115mのマウント・フェーバーを出てから景色が三方に開ける様が爽快でした。


ハーバー・フロントから先は海峡を渡り、セントーサ島へ至ります。
島全体がテーマパークとでも言うべきで、島内には様々な娯楽施設があり、無料のバスで移動することができます。


週末ということもあってかレジャーを楽しむ人々で賑わう一画を抜け、島の最西端、シロソ砦を訪問しました。
第二次大戦中、1942年のシンガポールの戦いにおいて最後までここに立て籠もったイギリス軍を日本軍が攻め落とし、シンガポールが陥落します。
時の首相チャーチルはこれを「イギリス史上最悪の惨事であり、最大の降伏だ」と評したそうで、どれほどの衝撃的な出来事であったかが伺い知れます。


シンガポールを落とした日本軍は早々に軍政を敷き、「昭南島」と名を改められました。
砦の遺構が良く保存されている一方で、日本施政下のシンガポールに関する資料も公開されていました。
日本に対する露骨な敵意や嫌悪感を表現したものではありませんでしたが、決して好ましい過去ではないという雰囲気でした。


シンガポールと日本の関係は良好とされ、親日国というイメージもあるように感じます。
街を歩いていても、看板や店に並ぶ商品に日本の名を良く見かけ、日本のプレゼンスがひときわ高い国だという印象を受けました。
そのことは嬉しく思いましたが、今の両国の関係も、過去の紆余曲折、時に悲劇や惨劇を経て築き上げられたものだということは覚えておくべきでしょう。


セントーサ・エクスプレス(モノレール)で島を離れ、MRTに乗り換えて中心部へ。
昨日元上司に勧められたバクテー(肉骨茶)を食べに「松發肉骨茶」(Song Fa Bak Kut Teh)に入りました。
昼食時の有名店とあって列ができていましたが、相席にてほどなく入店できました。
コショウが利いたスープが米に良く合い、ご飯がいくらでもお替りできそうでした。


午後は大学時代の部活の大先輩にお会いし、世界最大級の観覧車シンガポール・フライヤーに乗ったり、市街地を車で流して案内して頂きました。
夜はチリクラブを堪能し、場所を変えてバーで飲み、思い出話や近況報告に花が咲きました。

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