もう一度、北へ (4) - ロシア・サハリン渡航記 -

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朝7時前、外が明るいのに気付いて目が覚めた。と同時に涼しさを通り越して寒さを感じた。時間通りであればティモフスクに間もなく到着するはずで、とするとユジノサハリンスクから500km近く北に上ったことになる。
列車が停まったそこはやはりティモフスクだった。列車はここで26分停車するので、外の空気を吸おうと外に出た。すると冷たく澄んだ空気が肌を刺し、吐く息は白くなっていた。
駅は列車を降りた人々と出迎える人々とで賑わっていた。しかし駅の周りには人里の気配が全くなく、この人々はどこへ向かうのだろうと思った。かくいう私も今日はこの街で一泊することになるのだが、一体どんなところなのだろうか。
ティモフスクを出発してから朝食にした。メニューは缶詰とインスタント味噌汁。ロシアの長距離列車の車内には給湯器がある。シベリアを横断したときも日本から缶詰と味噌汁とティーバッグを大量に持参し、たまにお湯で戻せる白飯を添えたり、キオスクで買ったカップ麺で食いつなぎ、食堂車は高いので2回くらいしか行かなかった。お湯があるだけでいろいろできるものだ。

ティモフスクから約2時間で終点、ノグリキに着いた。特にこの街に用があったわけではなく、単にここが鉄道の終点で、終点まで列車に乗りたかったから来たに過ぎない。しかし一昨日のセルゲイ家での会食では、私がここに来ることが随分と話題になった。「ティモフスクはダメ、ノグリキもダメ、何もない」「私たちでも滅多に行かないのに…わざわざ危険を冒されるんですね」とまで言われた。
ちなみに列車はここが終点だが、サハリン最北の街オハまでは、ここから更に230kmも北へ行かなければならない。サハリンは南北1,000kmもある大きな島だ。
ノグリキの市街は駅からかなり離れていて、歩いて40分くらいかかった。いくつも建ち並ぶアパートが市街地の目印で、人口は1万というが、日本でいうところの同じくらいの規模とは趣がかなり異なる。セルゲイ家で散々脅されたこともあって、一体どんなところかと思っていたのだが、街の中心に綺麗な公園と真新しい正教会があり、目抜き通りは広々と整備されていて、小さいながら美しい街だと感じた。

とはいえ特に見所があるわけではなかったので、当てもなく街を歩き、帰りも駅まで歩いて戻ったにも関わらず、駅でかなり時間を持て余すことになった。売店でビールと、明日までに必要な食料(カップ麺だが)を買い込み、待合室でビールを飲みながら時間を潰した。
17:25発のユジノサハリンスク行き2列車は、行きに乗って来た1列車の折り返しである。ティモフスクまでの短い距離ながら寝台車があてがわれ、さすがに寝具を使うのは憚られたので、そのままにしておいた。
往路も同じところを辿って来たわけだが、正直北の方の車窓はすぐに飽きる。延々と森の中を走るからで、手付かずの自然と言えば聞こえはいいけれども、裏を返せば単調で同じような景色をひたすら見せられ続ける。なのでバッグを枕に横になっていると、程よくビールの酔いが回って来て、すっと眠りに落ちた。
ふと目が覚めるといい時間で、そのあとすぐに車掌さんがやって来て、まもなくティモフスクに到着することを知らせてくれる。ホームでは多くの乗客が列車の到着を待っていた。

ここから宿まではロシア人のドライバーが案内してくれることになっていて、姿を探すと「日本人だ」という会話が聞こえ、続いて宿を確認して彼でいいということになった。フロントガラスにヒビの入った日本の中古車に乗り、やはり駅から離れたティモフスクの市街へと向かう。
宿の建物の裏口のようなところから部屋に案内された。ホテルアグロリテセイは、ティモフスク州立農業専門学校の付属宿泊所ということで正確にはホテルではないらしい。部屋はツインのベッドルームとリビングが独立していて申し分ないのだが、シャワーがなかった。場所を聞こうにも、応対してくれた女性はバウチャーを確認するとさっさと姿を消してしまったので、顔と頭は洗面所の水で洗い、ポットで沸かしたお湯で手拭いを絞って身体を拭くことにした。
明日の下見を兼ねて街の方へと歩いてみた。何せ明日は早朝4:20に発車する列車に乗るために、今来た道を深夜に一人で、しかも歩いていくのだ。
街の風景はというと、時間が遅く暗いせいかもしれなかったが、ノグリキより更に寂しく見えた。市街へ至る道は未舗装だし、人通りも車通りも少ない。
明日の出発に備えてさっさと寝ることにした。

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