もう一度、北へ (6) - ロシア・サハリン渡航記 -

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7:30に起きて身支度を整えようとすると、昨日宿に着いてから真っ先に干した洗濯物が乾き切っていなかった。仕方なく、裾がまだ濡れているTシャツに袖を通して出発する。
初日と同じ、宿から少し離れたカフェでバイキング形式の朝食を摂ったあと、その隣のバスターミナルでホルムスク行きのバスの切符を買った。ロシア語の案内しかなかったが幸い分かりやすく、時刻・運賃ともにすぐに理解できた。しかしバスの乗り場が一見分からず、拙いロシア語で尋ねると、おばさんが窓口からわざわざ出てきて教えてくれた。ホテルのフロントの女性も、朝食の場所を尋ねたら店まで案内してくれたし、一見無愛想だが世話焼きの人が多いのかもしれない。
10:00ちょうどのバスはほぼ満席だった。切符に記載された指定の座席に座る。発車して線路端を走っている時、日本からサハリンに渡った鉄道車両が展示されているのを見つけた。後で見に行ってみよう。

ユジノサハリンスクの市街はさほど広くなく、10分も走れば人家もまばらな原野、そして山の中である。時折アップダウンの急な峠越えもあり、客を満載したバスでは苦しい…と思いきや、一般車を次々追い越していった。
それにしても自分で運転したら楽しそうな道だ。サハリンはライダーにも人気で、自分のバイクを持ち込む人も少なくないらしいが、その気持ちが良く分かる。北海道在住経験のある上司も、日本から自分の車で乗り込んでアウトドアを楽しむ人もいると言っていたのを思い出した。
ユジノサハリンスクからホルムスクまでは、かつて日本が建設した鉄道が走っていた。その遺構は今でもいくつか残っていて、バスの車内からも放置された橋桁や、線路を外した跡が見つかった。この地形を見る限り、建設はかなりの難工事だったのではないかと思う。北海道のかつての鉄道網にも言えるが、厳しい気候と地理的条件の中で、短い時間の間に密な鉄道網を作り上げたことに、かつての日本の国力と、北方の開発にかけた意気込みを感じずにはいられない。

最後に大きな峠を一つ越え、坂を一気に駆け下るとホルムスクの街である。かつては真岡といい、今も昔も港町として栄えた。その点でいえばコルサコフと同じだが、こちらの方が街と港が接しているせいか、港にも活気があるように見える。実際、南の湾の奥まったところにあるコルサコフより、本土に面したホルムスクの方が利便性が高いのではないか。
ソ連侵攻時に街の大半が焼けてしまい、日本時代の遺構はほとんど残っていないという。代わって欧風の建物が小高い丘に建ち並び、港を見下ろしている風景はとても絵になっている。坂が多いことも、この街の風景に彩りを添えていると思う。
街歩きの途中、ふらりとショッピングモールの中の電器屋に入ってみた。素っ気なく品物が並べてあるだけで寒々しく、一体それぞれの品物のどこが違うのかさっぱり分からなかったが、今はこれでも皆喜んで買っていくのだろう。しかし皆が同じものを手に入れ、皆と同じものでは満足できなくなったとき、差異化や差別化が図られ、個性や華が生まれるのだろうと思う。とすれば、こと消費という観点で言えば、ロシアはまだまだ伸びしろのある国だということになる。

長/短距離のバスも発着する客船ターミナルの前から、ホルムスク北駅の方まで歩いてみた。特にプリモールスキー公園から見る港の景色がいい。
更に高台にあるレーニン広場から海を眺められそうだと思って坂を上ってみたが、一番景色の良さそうなところにショッピングセンターが建っていて、景色はイマイチだった。代わりに鉄道のホルムスク南駅を見渡せたので、近くで駅を見てみようと思った。
側線が何本もある大きな駅だったが、車両の姿は1両もなく、片面1本のみのホームに至っては駅舎、屋根すらない有様だった。ユジノサハリンスクと直結した路線が断たれた今となっては、少なくとも旅客輸送機関としての使命はほぼ終えたと言ってもいいのだろう。

到着からちょうど2時間後、14;00発のバスでユジノサハリンスクに戻った。行きと同じ景色ではあったが、雄大な峠越え、原野の風景と退屈しなかった。
ユジノサハリンスク駅前に到着し、さっき見つけた鉄道車両を見に行く。確かJRから無償譲渡されたものの、結局全部壊れて廃車になってしまったと聞いた。大方整備不良か何かだろうが、きちんと整備すればまだまだ走れただろうに。
鉄道絡みで、ロシアにはこども鉄道というものがある。遊園地のアトラクションではなく、子供たちが鉄道の運営を実習するための施設で、未来の鉄道員を育成する一環であるらしい。その存在を初めて知ったのはWOWOWのシベリア鉄道特集番組を見たときで、確かあれはハバロフスクだったと思うが、こんな試みがあるのかと感心したのを思い出した。そしてユジノサハリンスクにもそれがあると聞き、これが一度見てみねばと思った。
駅前から歩いて約20分、2日目に訪れたガガーリン公園の奥にあった。最終は17:00だから十分間に合ったはずなのだが、待てども待てども列車は来ず、誰かに「列車は終わりですか?」などと聞けようはずもなく、17:30になったところで退却することにした。明日また出直そう。

ホテルに帰る道すがら、駅前の「ふる里」という日本料理屋に入った。「高い」と評判の店だったが、サハリン最後の夕食は奮発しようと決めていたから、まずビールと刺身、握りの盛り合わせを頼んだ。例の上司が「北海道とネタは同じだから美味いぞ」と言っていたが、確かに美味かった。しかしやっぱりシャリが生温いのが気になった。続いてご飯物の代わりに焼きうどんを頼んでみた。これは日本の味が良く再現されていて、なかなか良かったと思う。高いけれども。
ふと周りの客を見渡してみる。現地の若い女性のグループが、日本のビール(やっぱり高い)をわざわざ選んで頼んでいるのを見た。高級品というか、やはり自国のものとは違うものとして認識されているのだろうか。
満足して宿に戻り、またビールを飲んで本を読んでから寝たのだが、窓を開けっ放しにしていたせいで、外の騒音で目が覚めた。金曜日、深夜の駅前広場は若者で賑わっていた。

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