国境を目指す道・往路編 - 壱岐・対馬から韓国上陸、そして山陰へ戻る -

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3年ぶりに、青春18きっぷを買った。
仕事の都合で、夏休みは盆に取ることにした。今の会社に入って7年、初めてのことだ。営業という仕事は客の都合がつきまとう。客の動きを見て、客に合わせてしか休めない。
そこで18きっぷを考え付いたのは自然なことだった。盆だろうと値段は変わらず、何より安い。予約も要らない。
最寄の駅を4時台の始発電車で出発して、東京駅から東海道線の普通列車に乗った。国府津から沼津へは御殿場線を通った。いわゆる乗り潰しである。都市圏の私鉄や地下鉄にまで対象を広げる気はないが、JR全線乗車は達成したい、と思う。それで日本の大よその地域に足を踏み入れたことになるからだ。
沼津からは再び東海道を下った。静岡県は同じような18きっぷの旅行者で、短編成の列車は結構な混雑になっていた。それが愛知県に入って、豊橋から先は快速列車も走り、一気に足が速くなる。転換クロスシートの快適な車両も相まって、多くの旅行者の気分が一層盛り上がるのがこの辺りから、だろうと思う。
名古屋を通り過ぎ、岐阜と滋賀の県境を越え、米原から新快速に乗った。相変わらずの俊足ぶりに懐かしさを覚えながら、大阪で列車を降りた。時刻は15時半、自宅を出てからまもなく半日になろうとしていた。
環状線と地下鉄、新交通システムを乗り継いで、大阪南港のフェリーターミナルにやって来た。九州・新門司港行きの「フェリーきたきゅうしゅう」は、既に人も車も乗せているところだった。
お盆の初めだからだが、乗客は多かった。私に充てがわれた2等船室の一角も、せいぜい畳一畳くらい、横になったらそれで一杯という程度の場所だった。これほど混んでいる船を見たのは、学生時代の夏休みに小笠原に行ったときくらいだと思う。
小さな子供のいる家族連れも多かった。一晩明けたら、田舎のお爺ちゃんとお婆ちゃんに会える!―子供たちにとってみれば、船中という非日常な空間を差し引いても、特別な一夜であるに違いあるまい。
私は両親も祖父母も東京の人間で、帰省というものがなかった。父方に至っては同居していたから、いつだって簡単に会うことができた。『田舎』が羨ましい―そんな風に思ったこともあったかなと、ふと思い出した。
出航して少しすると、明石海峡大橋を潜り抜けた。船は狭い瀬戸内海を抜け、九州へと向かう。
食事は混雑した船内のレストランで手早く済ませ、風呂に入り、寝る前に景色を見ようと思って外に出たら、まさに瀬戸大橋を潜り抜けるところだった。
2等室の所定の場所に戻り、横になったが、何故か寝付きが良くなく、寝たり起きたりを繰り返しているうちに朝になった。大浴場は閉まっていたので、少し離れたシャワー室を探し当て、寝不足の体に活を入れる。
朝5時半、船は予定通り、福岡・新門司港に碇を下ろした。フェリーターミナルの前から出発するシャトルバスで、古い港町の雰囲気が再現された門司駅に向かった。
改札は18きっぷではなく、Suicaで通過した。今日は18きっぷを使うほど列車に乗らないからだが、それにしても便利になったものだ。
鹿児島線の快速列車で博多に向かった。何度も書いているが、博多は第二の故郷である。例え目的地でなかったとしても、一つ一つと駅を通り過ぎ、博多の街が近付くたびに、到着が待ち遠しくなった。
私にとっての帰省があるとしたら、博多に向かう道のりしかない。
博多で列車を降りて、市営地下鉄のホームに降りた。地下鉄もSuicaで乗ることができる。
博多に住んでいた時も、西の方にはほとんど縁がなかったから、西新より先へ行ったことはなかった。姪浜で地上に出た先の筑肥線も初めて通る鉄路だ。筑前前原までは複線で、都市の近郊路線の趣だが、そこから先で3両編成の唐津行きに乗り換えると単線となり、一気にローカル色が濃くなった。
筑前深江を出ると、車窓の右手に玄界灘が一気に広がった。車両はロングシートの通勤型なので、景色を眺めるのに身体を90度曲げなければならなかったが、それを差し引いても眺めがいい。博多や天神から一本なことだし、JR九州お得意の観光列車を是非走らせてもらいたいところだ。
九州は、線路や駅といった施設は当然のこと、駅名標なども国鉄時代のものをそのまま使っているところが多い。他のJR各社がこぞって看板を自社仕様に架け替えた傍らで、これまた情緒を感じさせるアクセントになっていると思う。
福岡県から佐賀県に入り、虹ノ松原の横を通り抜ければ唐津の市街地に至る。高架の線路上を、国鉄型の車両が重厚なモーター音が響き渡らせて進んでいった。

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