国境を目指す道・山陰編 - 壱岐・対馬から韓国上陸、そして山陰へ戻る -

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目が覚めると6時を回っていた。境港着は9時だから、まだ大分時間がある。デッキに上がると、昇り始めた朝日が東の空を橙に染めているところだった。
朝食を取りたくても持ち合わせがなく、とりあえず風呂に入ったり、寝台で寝転んで過ごした。やがて携帯が電波を拾い始めたので、今日の行程を考え始めた。船が時間通りに着くとは限らなかったから、行程は行ってから考えようと思っていたのだ。
そんな心配をよそに、船は定刻の9時に鳥取・境港に到着した。入国審査を受け、パスポートに"SAKAI"の入国印が押された。境港(さかいみなと)という名は市の名前にもなっているほど一般的だが、港湾としてはあくまで「境」の「港」、つまり「さかい」である。ちなみに港湾を指すときは「さかいこう」と読むようだ。
税関のレーンでは、申告書に書かれた住所を見て、係員氏に「東京の方ですか?」と尋ねられた。対馬から釜山に渡って、それで東海から…と説明すると、笑顔交じりの妙な顔をされた。
そして、これから鈍行列車で東京に帰るんですと言うと、更に物珍しげな表情になった。
境港駅の方向に向かって歩き始めたが、なかなか街の中心らしき空気が漂ってこなかった。道を間違えたかと不安になり、たまたまあった銀行でキャッシュを下ろすがてら、道を尋ねた。
ただ実際、駅までは距離があって、徒歩で40分くらいかかった。駅の近くには、境港出身の水木しげるに因んで「水木しげるロード」なる通りがあって、観光客で賑わっていた。街灯が目玉の親父を模していて、夜は本当に怖いのではと…思えた。
予め調べたところでは、列車もバスも数十分後までないはずだった。だが何気なくバス停の時刻表を見てみると、ネットに載っていないバスがあるらしい。しかも発車は1分後、このバス停ではなく駅裏手の波止場前から出るという。慌てて猛ダッシュし、何とか間に合わせた。
バスは中海に浮かぶ江島、大根島を通って松江に向かう。堤防の上にも道路が敷かれ、視界の左右に湖が広がっていた。
松江からは再び列車の旅である。5日ぶりに取り出した18きっぷで改札を通った。
出雲市行きの普通列車に乗った。2両編成のディーゼルカーだったが、多くの乗客が松江で降りたので、ガラガラになった。この先列車は宍道湖沿いに走るのを知っていたので、進行方向右側のボックス席を狙った。そして予想通り、車窓には湖の景色が広がった。
途中の荘原で6分停まり、後続の特急を先に行かせた。動き出したと思ったら、次の直江では7分停まり、対向の特急と快速をやり過ごした。普通列車は最後の最後である。18きっぷ旅行の宿命だが、小さな駅のホームに降り立って、辺りの風景を眺めるのが醍醐味でもある。
直江の次は終点、出雲市である。時間があれば、出雲大社にも立ち寄りたかった。あいさつもなしに通り過ぎるのは、出雲の神様に失礼なような気がしたのだ。
出雲市では、反対側のホームに停まっていた浜田行きに乗り換えた。キハ120系、セミクロスシートの軽快気動車1両で、4つしかないボックスシートは既に埋まっていたが、ロングシートの先端、前方が見える席に座れた。
乗り換え時間が20分ほどあったので、売店で駅弁を買い、待合室で食べた。ロングシートで弁当を食べるのはどうにも憚られる。
発車間際になると、車内は結構混雑してきて、椅子に座れない客も複数いた。1両はさすがに減らし過ぎでは…と思った。
これまでの景色もローカル線そのもののだったが、出雲市から先は更にそれを濃くした。時折日本海沿岸を走行し、真夏の青空の下、青い海が車窓に広がった。ほぼ線路に並行して走る国道9号線も、決して交通量が多いわけではなく、視界を妨げるものは多くない。
大田市で列車を降りた。1回の旅で、韓国と日本の大田に立ち寄れた…どうでもいいが。
駅前からバスに乗り、石見銀山を訪れた。2007年、日本では14番目の世界遺産に登録された場所だ。
間歩(まぶ)と呼ばれる坑道の跡や、銀山の運営を支えた人々が作りだした街並みが保存されているのだが、ではそれらがここでしか見られない類のものかというと、決してそうではないように思えた。
実際、石見銀山が世界遺産に選ばれた大きな理由は、環境に配慮した鉱山開発が行われたことにあるらしい。このご時世、認められて然るべき理由とはいえ、一方ではっきりと目に見えにくい点でもある。ガイドマップにさえ「しばしば『価値がわかりづらい』とも言われる」と書いてある。
往時を偲びつつ、物思いに耽りながら散策した。
メインルートから少し分け入ったところに、明治時代に稼働していた清水谷精練所の跡がある。石壁が幾重にも重なった様は、堅牢な城壁を思わせた。
精錬所跡からは更にトロッコ道の跡が伸びていて、細い山道と化したそれを歩いて行くと、選鉱所跡に行き当たった。もっともここに今残るのは石壁だけで、ここにかつて選鉱所があったとは、案内板を見なければ分からない。ここまで来る観光客は僅かであるらしく、辺りに人気はなく、静寂に包まれていた。
案内板の写真によれば、かなり大きな規模の精錬施設だったようだ。だが巨額な費用を投じて建設されたにも関わらず、たちまち不採算に陥り、わずか1年半で稼働を止めたという。束の間の栄華の跡、そう考えると儚い。
ただ逆に、もし鉱山経営が軌道に乗っていたとしたら…足尾銅山とまでは行かないまでも、今の石見銀山の姿を留めてはいなかったかもしれない。
仁万(にま)駅行きのバスに乗り、駅で快速列車に乗り換えて2駅、温泉津で降りた。
これで「ゆのつ」と読む。湯本、熱海など、温泉を匂わせる地名は全国に数多くあるが、これほど直接的な例を他に知らず、前々から気になっていた。地名版キラキラネームと思われても無理もない響きだが、1300年もの歴史を誇る。
駅から歩いて15分ほどのところに、こじんまりとした温泉街が広がる。ここも石見銀山とその街並みの一帯に含まれるのだが、銀山と温泉津を直接結ぶ交通手段は車以外にない。バスがあればいいと思うのだが。
元湯と薬師湯という2つの公衆浴場があり、まず先に元湯に入った。こちらはまさに地元民向けの銭湯という趣で、早めの風呂を楽しむ人々で小さな浴槽は混んでいた。もっとも、落ち着いて長湯ができるような温度ではないので、5分も浸かれば十分だった。
もう一方の薬師湯は、元湯と道を挟んで対面にあり、レトロ調の建物が特徴的だ。こちらは若干温度が低かったが、それでもかなり熱い。そして褐色の湯は相当濃い成分だと一目で分かる。
雰囲気も泉質も、これまで訪れた中で最高級だった。
このあと松江の方へ引き返すのだが、逆方面、浜田行きの列車を待った。この先江津(ごうつ)までは今まで乗ったことがなく、山陰線の完全乗車を目論んだ。
列車は5分ほど遅れて到着した。しかも、結構な混雑だった。何だろうと思っていると、江津でほとんどの乗客が一斉に降りた。今日は江の川の花火大会の日だったのだ。
引き返す列車を待っている間、屋台で焼き鳥やビールなどを買って食べた。ちょうど花火が見られれば…と思っていたが、残念ながらその前に列車が来てしまった。
未練を感じながら外を眺めていると、列車が江の川を渡ったとき、川面に無数の燈篭が浮かんでいるのが見えた。亡き人々は黄泉の国へ還り、そして我々は日常へ戻る。
盆が終わる。そしてまもなく、夏も終わる。

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