国境を目指す道・帰路編 - 壱岐・対馬から韓国上陸、そして山陰へ戻る -

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花火大会の混雑の影響で、この列車も9分ほど遅れて江津を出発した。江津でほとんどの乗客が降りてしまい、車内には私含め数名ほどの乗客しかおらず、途中駅での乗り降りもほとんどなかった。駅で停まってドアを開け、数秒で閉めて出発するということを繰り返し、終点の出雲市では遅れを回復してしまっていた。
出雲市で米子行きに乗り換え、米子駅前の東横インにチェックインした。私が国内旅行で宿を探すとき、まず真っ先に東横インをあたる。全国の主要駅近くの便利なところにあるし、値段も手ごろで、どの店舗も画一的な構造で、逆に外れがないのがいい。
翌朝、今度はきちんと朝食も食べ、鳥取行き快速列車に乗った。この列車は鳥取出身の作者に因んで「名探偵コナン」のラッピングが施され、線路を隔てた境港線の列車を見れば、鬼太郎仕様になっていた。
2時間着で鳥取に到着した。長大な高架のホームに通過線や側線もある立派な駅なのだが、今はこのホームを使い切るほど長い列車は来ない。国鉄時代の設計に特有の、無骨で味気なくそして巨大な作りが、かえって哀愁を誘う。
一旦改札を出て、駅前の大丸で梨を1箱買って実家に送ったあと、ホームに引き返して浜坂行き普通列車に乗った。
京都から鳥取、松江を通って下関に至る山陰線は、ところによっては本数もごく少なく、通しで乗るのがなかなか難しい。
2000年夏 : 京都〜福知山
2001年夏 : 福知山〜和田山・伯耆大山〜松江
2003年春 : 江津〜幡生・長門市〜仙崎
2003年夏 : 伯耆大山〜鳥取
かくいう私も、このような感じで細切れに乗車率を上げてきた。昨日松江〜江津間を乗車し、いよいよ鳥取から和田山までが最後の1区間になった。
2003年と言えば、私が19歳のときだ。当時既にJRの9割近くに乗車し、「20代の間にJR線100%乗車を目指す」と考えていたものだが、それ以降山陰線のみならず、数字がぱったり止まってしまった。
あれから10年が経つ。山陰線の乗車達成を皮切りに、今度こそJR線完全乗車を、30代の目標の一つに掲げようと思う。
鳥取と兵庫の県境を越えるこの区間は、特急列車も走っておらず、ローカル色が再び濃くなる。
浜坂で向かいのホームに停まっていた豊岡行きに乗り換えて2駅、餘部(あまるべ)で下車した。駅や線路は日本海の入江に面した小さな集落を見下ろす高い場所にあり、餘部を出た豊岡方面行きの列車は、集落の頭上を橋梁で越えていく。
現在使われているコンクリート製の橋は2010年に建設されたものだが、それ以前に使用されていた橋の一部は「余部鉄橋空の駅」として開放され、上を歩くこともできる。集落に下りる道から旧橋を見上げると、鉄骨が聳える様はまさに「鉄橋」という単語がふさわしいと思えた。
橋は完全に解体するという意見もあったらしいが、こうして一部だけでも保存され、往時を偲ぶことができるのは、現役時代に訪れることができなかった身としては嬉しいことだ。
ただ観光客や鉄道ファンには人気が高かった橋も、集落に住まう人々にとっては騒音のもとであったり、落下物に悩まされたりと、負の側面があったことも覚えておくべきだろう。1986年に起きた列車転落事故の慰霊碑に手を合わせ、そう思った。
1時間半ほど後にやって来た城崎温泉行きに乗り、集落を眼下に、日本海をその先に見ながら餘部を後にした。
城崎温泉の駅を出て、温泉街に向けて歩いた。城崎もまた、古くは平安時代から始まる歴史ある温泉だという。温泉街の中心は大谿川(おおたにがわ)が流れ、川岸には柳が立ち並ぶ。柳という木は風にそよいでいるだけで風流だと思う。読んで字の如くである。
城崎温泉には7つの外湯があり、とても全てには入れない。最も有名と思われるのは「海内第一泉」の石碑が建つ一の湯だったが、ちょうど15時に開く柳湯があり、どうせなら一番風呂を楽しもうと思った。
城崎の湯はさっぱりとして湯当たりがいい。インパクトは強くないが、上品という表現が当てはまる気がする。帰り際、駅前に飲泉場があったので飲んでみると、ほんのりと塩味がしてコクがあった。飲んで美味しい温泉は初めてかもしれない。
城崎温泉から先は電化されているが、やって来た豊岡行きの列車は浜坂発のディーゼルカーだった。
豊岡からは電車に乗り換えた。この車内で眠気を催し、ハッと目が覚めると「和田山」の文字が飛び込んできた。山陰線完全乗車の瞬間はあまりに突然、そして呆気なくやって来た。
福知山で京都行きに乗り換え、京都へ向かう。夕食は京都でと思っていたが、ふとラーメン屋の天下一品は京都発祥だったことを思い出した。本店はJRから遠いので、近いところに店はないかと探したところ、二条の駅の近所に店を見つけた。
あの独特なスープは同じだったが、店の雰囲気は大分違い、背の低いカウンターから広い厨房が見渡せるようになっていた。メニューも多く、ラーメン屋というより中華料理屋のような感じだった。
腹ごしらえも終えて京都に出、長浜行きの新快速に乗った。この列車を米原で降りて、大垣行きに乗り換えれば、ムーンライトながらにちょうど接続する。
18きっぷ旅行者と思しき乗客が多く、皆この先の行程は同じだろうと、容易に察しがつく。多くの人にとっては旅の終わりだろう。そしてここには、飛行機や新幹線とは全く違う帰路の雰囲気がある。
それは少し寂しくも、十数年前と全く変わらない懐かしい感覚だった。

<おわり>

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