国境を目指す道・韓国編 - 壱岐・対馬から韓国上陸、そして山陰へ戻る -

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韓国船社による運航の「コビー」は、16時ぴったりに比田勝を出港した。
韓国ビールのhiteを飲みながら、果たして携帯がどこまで日本の電波が拾えるかを追っていた。結果は出港後20分くらいは粘っていた。釜山までは1時間の船旅だから、半分近く、ということになる。
まもなく船はスピードを落とし、釜山港に入港した。大きなコンテナヤードやいくつもの造船所があり、ガントリークレーンが林立する釜山港は堂々とした佇まいを見せていた。釜山港のコンテナ取扱量は世界第5位で、東京や横浜のそれを遥かに上回る。
イミグレも難なく通り抜けた。ここで初めて私以外の日本人を見かけたが、行商帰りのように荷物を山ほど抱えていて、何をしている人なのだろうと気になった。
釜山の旅客ターミナルは繁華街のすぐそばにあって、釜山駅へも歩いて20分ほどで着いた。自動券売機で在来線ムグンファ号の切符を買おうとしたのだが、何度やってもうまく行かず、その間に発車時間が迫ってしまったので、諦めて次のKTXの切符を買った。
駅の中の店でプルコギを食べたあと、指定の列車に乗り込んだ。少なくとも、私が乗った車両はほぼ満席のようだった。シートは回転することができない見合わせ型の配置で、私の座席は進行方向と反対側を向いていたが、どうせ夜で景色も見えないだろうから、あまり気にならなかった。
19:30、列車は釜山を発車した。先頭と最後尾に電気機関車が連結され、中間の客車には動力がないフランスのTGV式の高速鉄道である。日本の新幹線と比べて一長一短あるのだろうが、少なくとも乗り心地という点では、特に違いは感じなかった。
2時間弱で大田(Daejeon)に着いた。宿に向かう前に、明日乗る列車の切符を買っておこうと自動券売機を操作したが、またもや上手くいかなかった。そこで切符売り場に並んだが、幸いカウンターの女性は英語が通じたので、難なく買うことができた。途中で乗り換えが必要になるので、切符に書き込みながら「こう乗り継いで下さい」とも教えてくれた。ありがたい。
その後地下鉄1号線(今は1号線しかないが、2号線の建設計画もある)に乗って8駅、政府庁舎駅で降りると、大田駅前のやや雑然とした雰囲気とは打って変わって、幅の広い道路に高層の建物が整然と建ち並んでいた。そしてその建物群の中に、東横イン大田政府庁舎前がある。
フロントの女性は皆日本語が話せた。部屋の中の案内も、廊下の広告も全て日本語、そして部屋のレイアウトも、日本のそれそのままだった。部屋のコンセントも日本と同じA型が採用され、電圧も100Vに落としているという。不自由など全くなかった。
夜が明けきった頃の早い時間に宿を出た。ここにも日本同様、無料の朝食サービスがあるのだが、時間が早すぎた。是非賞味してみたかったと思う。
地下鉄で大田駅に戻り、07:00発の堤川(Jecheon)行きムグンファ号(Mugunghwa…日本でいうところの急行列車、もはや日本に急行はほぼないが)に乗った。電気機関車が牽引する客車列車だった。大都市圏を除けば、韓国の鉄道はまだまだ客車が幅を利かせている。
大田を発車すると少しの間、ソウルと釜山を結ぶ京釜線(Gyeongbu Line)の線路を走り、鳥致院(Jochiwon)から忠北線(Chungbuk Line)に入った。堤川へと通じる忠北線の本数は1日10本程度で、ローカル線そのものである。
大田から約2時間で堤川に到着し、約15分の待ち時間で、ソウル近くの清涼里(Cheongnyangni)からやって来た江陵(Gangneung)行きムグンファ号に乗り換えた。ここから太白線(Taebaek Line)、嶺東線(Yeongdong Line)を通って、東海(Donghe)へ向かう。
この区間はかなり険しい道のりであるようで、景色も山深く、長大トンネルもあった。あとでGoogle Mapを見てみると、川や地形に沿って線路が大きく蛇行している区間が数多くあるのが分かった。韓国という国に山のイメージはあまりなかったので、少なからず驚いた。また、営業を休止しているらしい駅もいくつか見かけた。恐らく人口は希薄なのだろう。
約2時間の山越えを終えると、一気に視界が開けた。そこが東海の街だった。
東海は日本海に面した人口約10万の都市である。先述のような山越えもあって、ソウルからは列車で約5時間かかる。駅前に広がる商店街にも人影は少なく、静かな街だった。
20分ほど歩くと、東海港の国際旅客ターミナルに辿り着いた。ここには鳥取の境港と、ロシアのウラジオストクとを結ぶフェリーが寄港していて、私も今夜出航の船に乗って、日本へ帰る。
港の付近にはロシア語の看板を掲げた店がいくつかあったが、どれもが廃業していた。多くのロシア人が訪れていた時期がかつてはあったのだろうか。少なくとも今は、その雰囲気は微塵もない。外国人の姿すらまばらで、ターミナルの前の喫煙所で欧州系と思しきバックパッカーの男女二人組がタバコを吸っていたのを見ただけだった。
ターミナルには日本語、ロシア語の観光パンフレットがあって、日本語版を自分用に、ロシア語版をかつてロシア駐在していた上司のお土産に手に取った。
そのパンフレットを手に街を歩き始めたが、歩ける範囲では限界があり、目ぼしい見所には辿り着けなかった。もっとも、それほど見所が多い場所でもなさそうなのだが、見知らぬ、それも異国の街をあてもなく歩き回るのは、それだけで楽しいものだ。
2時間ほど歩きまわってターミナルに戻り、カウンターで予約していたチケットを受け取り、イミグレの列に並んだ。出国審査は難なくパスし、"DONGHAE"の出国印が押される。わずか1日足らずの韓国滞在が終わった。
韓国のDBS CRUISE FERRYが運航する「イースタンドリーム」は、鳥取の境港とロシア・ウラジオストクとを週1回、東海経由で結んでいる。「東方の夢」とは何なのか…日本海の韓国での呼称「東海」と無関係ではないのだろう。
そしてこの航路は、稚内−コルサコフ(サハリン)航路を除けば、日本とロシアを行き来する唯一の航路である。空路の成田−ウラジオストク線も毎日は飛んでおらず、1日2便のソウル・インチョン線とは対照的だ。海を隔ててわずかな距離というのに、つくづくロシア、極東との交流は少ないことを思い知らされる。
乗船し、所定の寝台に収まる。雰囲気は日本のフェリーとほとんど変わりないが、それもそのはずで、もともと鹿児島と沖縄を結んでいた「クイーンコーラル」を改装したものだ。
船は予定通り、18時に出航した。沈みかけた夕日を見ながらしばらくデッキで過ごし、夕食はバーで取った。本当はレストランに行きたかったのだが、ウォンのキャッシュを下ろし忘れ、足りなくなってしまった。東海で暇を持て余していたのに…と思ってももはや遅い。
乗客はほとんどが韓国人だったが、ほぼ定員いっぱいのようだった。私が1ヶ月前に予約したときも、最初は2等寝台が空いておらず、「もうすぐ団体さんの人数が確定するので…」と保留されたほどだ。
私の部屋は8人部屋だったが、他の乗客は全員、鳥取のサッカーチームに所属する小学生だった。聞けば、ウラジオストクで交流試合を行った帰りだという。こうした経験、機会も、航路があってこそのことなのだと思う。

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