国境を目指す道・壱岐編 - 壱岐・対馬から韓国上陸、そして山陰へ戻る -

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唐津では、タイミング良く佐賀方面から来た列車に乗り換え、すぐ隣の終着駅、西唐津で降りた。
改札口で壱岐行きのフェリー乗り場の場所を尋ねる。教えられた通りに歩くと、20分弱で着いたはいいのだが、船の出航が近いにも関わらず、待合室も出札口も人気がなかった。不思議に思って時刻表を見ると、この日はお盆の臨時配船ダイヤが組まれていて、船はあと1時間以上出ないのだった。時間を潰そうにも、桟橋は市街地の外れにあって、店の一つすら見当たらなかった。
運良く、数少ない唐津駅方面行きのバスがやって来たので飛び乗った。折しも昨日から携帯の調子が悪く、SIMカードを読み込まなくなっていたので、近くに携帯ショップでもあれば…と思ったのだが、あいにく唐津駅付近にはその類の店は見当たらなかった。あったとしても、携帯が使えないために調べようがなかった。
今日は月曜日、会社は通常通り営業している。気乗りはしなかったが、このあと携帯が復旧するまでの間、公衆電話を見つけてはオフィスに電話をかけ、自分に用はないかと尋ねる羽目になった。
再び路線バスと歩きとでフェリーターミナルに戻ると、今度は乗船を待つ人と車で賑わっていた。
「エメラルドからつ」は、建造から日が浅いらしく、小さいながらも綺麗な船体だった。売店で買ったビールをデッキで飲んでいる間に出航した。右手に唐津城を見ながら、船は玄界灘に繰り出していく。
ビールを飲み干して冷房の効いた客室に入ると、高校野球の中継をやっていた。長崎・佐世保実業高校対、鹿児島・樟南高校の九州ダービーだった。壱岐の人々にとっても佐世保実業は地元に当たるはずだが、人の流れとしては長崎よりも福岡や佐賀の方が縁は深いであろうから、佐世保実業の晴れ舞台をどう見ていたのだろう。
空いていた船室で体を横たえ、寝不足を少しでも回復しようと試みた。ひと眠りして目が覚めると、試合は5回にスクイズで挙げた1点を守り切った、樟南の勝利で終わった。
船は唐津から約2時間で、壱岐島・引通寺港に入港した。壱岐には他に郷ノ浦、芦辺という2つの港があるが、唐津航路の船だけがここ印通寺に寄港する。
船内にあった時刻表によれば、まもなく路線バスが到着するはずだった。フェリーターミナル前にバス停を見つけて待っていたのだが、時間より少し遅れて到着したバスは私の前を盛大に通り過ぎ、回転場で向きを変えたところで止まった。これが普通なのか、見落とされたのかは定かでない。
島で最も大きな市街のある郷ノ浦へは、バスで15分ほどで着いた。かつて郷ノ浦町といい、島内の石田町・勝本町・芦辺町と合併して壱岐市となったあとも、市役所の本庁はここに置かれている。今も壱岐の中心と言っていい。
少し遅い昼にしようと思いながら、盆の昼下がり、人気のない商店街を歩いていると、「壱岐牛」の看板が目に入った。それを見て即座にステーキが食べたくなり、手近な店に入った。
腹ごしらえを済ませたあと、商店街の通りにあるバスの待合所でバスの時刻を調べた。壱岐はさして大きな島ではないが、バスが至るところを走っている。系統一つ一つの本数は少ないとは言え、回り道をしてバスを乗り継げば、上手いこと芦辺を夕方に出発する船に乗れることが分かった。
バスを待つ間、郷ノ浦の集落を散策した。ありふれた漁村の趣で、島ならではの特徴というものはほとんどないように見えた。
だから、壱岐で最も特徴的なのは地名だと思う。詳しい説明はWikipediaに譲るとして、全ての地名に「浦」「触」「島」のどれかが付いているのだという。博多で勤めていた頃、先輩の本籍地が「壱岐市○○南触(みなみふれ)」という場所だったのを見て、珍しい地名だと思ったのだが、壱岐では至る所に「触」があるのだった。
その由来は諸説あるらしいが、壱岐ならではの何かがあるのだろう。名は体を表すというものだ。
待合所はバス通りには面していないので、出発時間が近付いたら通りに出てバスを待つことになる。目当てのバスを待っている間、各方面へのバスが次々に出発して行った。中にはそもそも時刻表に載っていないバスもあったと思う。
バスに乗ると、一人旅行客の私が珍しかったのだろうか、途中で運転手氏に話しかけられた。

『どこへ行くんですか?』
「湯ノ本で温泉に入って、そのあと芦辺から船で対馬に渡ります」
『船あるんですか?』
「いや、ある…はずなんですけど」
『今臨時配船中でしょう?私たちもいちいち覚えてなくてねー』

先ほどの唐津の一件があったので、少し焦りを感じたが、もはや行くしかない。
少しお近付きになったついでに、温泉の場所を尋ねると、運転手氏は湯ノ本のバス停でバスを停め、丁寧にもわざわざ外に降りて道案内をしてくれた。
最初に紹介された公衆浴場は空いていなかったのだが、近くの旅館『長山』で入浴ができた。金属臭のする、いかにも濃そうな褐色の湯だった。そして「一番風呂だから熱いかもしれませんけど」と言われた通り、長湯できるような温度ではなかった。猛暑の盛り、汗を流すどころか増やしてしまったが、入り応えのある湯だった。離島の秘湯、である。
その後、時刻表通りにやって来たバスに乗った。海に面して棚田が広がる、景色が綺麗な一角を通り抜けて、島の最北部、勝本に出た。
ここでわずか数分の待ち時間で、芦辺行きに乗り換えることができた。地図で見ると分かる通り、かなり遠回りなのだが、湯ノ本から芦辺に真っ直ぐ行くバスはなかった。
芦辺は島の東部にある町で、郷ノ浦と比べると地形的に大分開けていて、街の趣は大分異なっていた。
博多から芦辺を経由して対馬・厳原へ向かう高速船を待った。多客期間ということで、博多から壱岐・対馬それぞれに向かう便は増便されていたのだが、壱岐経由対馬行きの便は夕方のこの1本しかなくなってしまっていた。
幸いバスは予定通り、船の時間も調べた通りで、無事乗船することができた。
厳原港に到着する頃には、日はほぼ沈んでいた。今日は早く宿に入って、明日ゆっくり散策しようと思い、今日のところは早々に通り過ぎるつもりだったが、ターミナルビルの室内の至るところに書かれたハングルがすぐ目に入り、改めて実感を覚えた。
ここは対馬、国境の島である。

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