国境を目指す道・対馬編 (その二) - 壱岐・対馬から韓国上陸、そして山陰へ戻る -

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チェックアウトを済ませ、交流センター前のバス停に向かった。バス停には既に、同じバスに乗るであろう先客が数名いた。
7:05発の比田勝(ひたかつ)行きは、厳原から国道382号線を延々と、対馬北端に向かって走る。走行距離は約80km、一般道を走るバスとしてはかなり長い部類に入るであろう。
空港のターミナルビルに立ち寄り、万関橋を渡り、北を目指していく。途中、旧豊玉町の仁位で休憩を取った。トイレ休憩も兼ねて、ということなのだろうが、厳原から比田勝まで乗り通したのは私一人だけだった。
峰町の三根(みね)から先は、昨日足を踏み入れなかった地域になる。ここからの道のりはカーブが多く、良く揺れた。普通の路線バスの車両だから、背もたれも高くなく、上半身の押さえが効かない。それでもウトウトし始めると、次の瞬間には文字通り揺すり起こされた。
そんなことを何回か繰り返しているうちに、峰町から上県町を通り抜け、北端の上対馬町に入った。そして次は比田勝というところで、料金表の整理券1番の欄には3290と表示されていたが、この日はお盆休みということで、土休日限定の島内バス乗り放題券が平日でも使え、わずか1,000円で済んだ。
厳原から約2時間半の道のりだった。
比田勝のバスターミナルは中心街の一番外にあって、そこから比田勝港までは歩いて15分くらいかかった。
港のフェリーターミナルの周りでは、観光バスやタクシーが、船の到着を待ち受けていた。もちろん韓国からの船である。
船の出発は16時だったから、それまでは周囲を探索してみようと思っていた。せっかく北端に来たのだ、是非大陸を望んでみたい。そのためには足が要ると思って観光案内所に行き、レンタカーはないかと尋ねると、一件の電話番号を渡された。だが電話した結果は「今日は車がない」との返事だった。バスに移動しようにも、北部のバスは著しく便が悪い。かと言って、歩いて見て回れる距離でもない。
一通り思案したあと、ターミナル前に停まっていたタクシーに声をかけた。見所をぐるりを回って幾らくらいになるかと問うと、4〜5千円くらいとの返事だった。これならレンタカーを6時間借りるのとさして変わりあるまいと思い、車を出してもらうことにした。
生まれも育ちも比田勝という運転手氏はいろんな話をしてくれた。「今週は韓国人客も少ない方で、先週は500人もの人が来た」「韓国人もレンタカーを借りるが、事故が絶えない」「(神社への信仰はともかく)鳥居がお気に入りらしい」…などである。
決して悪い話は聞かなかったが、街のキャパシティを遥かに超える人々が大挙して押し寄せることに対する戸惑いが感じられた。
まず最初に、島の最北部に突き出す丘に建てられた韓国展望所を訪れた。ここから韓国・釜山までの直線距離はおよそ50kmで、この日は気温が高く、海面も靄に覆われていたが、冬の空気の澄んだ時期には韓国の景色が良く見え、夜は花火の灯りや、街を走る車の姿まで見ることができるという。
東京を出て丸三日、もちろん寄り道もしたが、ようやくここまで来た。そしてあと数時間後には、この対岸の大陸にいるのだ。
ここから日露友好の丘へ向かうつもりだったのだが、途中で「豊砲台跡」の標識を見つけ、慌てて運転手氏に車を向けてもらった。対馬海峡を封鎖する目的で造られた巨大な砲台の跡で、ここには韓国人客もほとんど寄り付かないらしい。
運転手氏直々の案内で、砲台の内部に入っていく。完成を見ながら、結局実戦で使用されることはなく、第二次大戦の終戦を迎えたという。往時の面影がとても良く残っているように見えるのは、そのせいだろうか。
その後、改めて日露友好の丘に向かった。運転手氏には丁重に礼を言って別れた。
さてここ茂木浜の殿崎は、日露戦争の対馬沖海戦で撃沈されたバルチック艦隊のロシア人乗組員が漂着したところである。対馬の人々は敗残兵たちを虐げることなく、傷の治療を施し、十分な食料と休養を与えた、という。
賛否両論あるだろうが、こうしたエピソードはどんどん広めた方がいいし、道徳教育にも活用した方がいいと思う。敵国の兵達を手厚く看護した事実は間違いなく素晴らしい行いで、我々日本人も大いに誇って良い、誇るべきものだと思うのだ。
ところでサンクトペテルブルグには乗組員の慰霊碑「対馬オベリスク」があるという。ロシアにとっては必ずしもいい思い出ではないのかもしれないが、対馬の名は彼の国にも刻まれている。ロシア在住中に存在を知らなかったのが惜しい。無論、もし訪問する機会があれば、敢闘し日本海に散った彼の国の先人たちに哀悼と敬意を表したいと思う。
歩いて茂木浜に下りると、そこは綺麗な砂浜が広がる海水浴場だった。ここも日本人は少ないようで、砂浜の裏手にあるキャンプ場は、どうやら韓国企業が借り切っているらしい。韓国には、こういったアウトドアを楽しむ施設は少ないのだろうか。
海水浴場から少し上がったところに、海を一望できる「上対馬温泉 渚の湯」がある。露天風呂が開いていなかったのが残念だったが、天気に恵まれ、青い海を一望しながら入浴するのは気持ち良かった。風呂から上がって休憩室で一休みしていると、高校野球の中継を映していたテレビ以外は、他の客が発する韓国語しか聞こえず、いよいよ異国に紛れ込んだ気分になった。
帰りの足はどうしようかとバスの時刻表を見ると、1日2本しかないバスがちょうどいい時間にやって来ることが分かった。しかも先ほど買った乗り放題券で乗ることができる。
時間通りやって来た小さなバスだったが、ここでも乗客の多くは韓国人だった。ローカルバスまで乗りこなすとは、もはや一度や二度の来日ではないと見受ける。
比田勝のバスターミナルまで戻り、食事ができるところを探した。温泉で「対馬とんちゃん」なる地元グルメの存在を知り、これは絶対美味しいに違いないと思ったのだ。
だが時期はお盆、入手した地図の店はことごとく閉店していた。1軒開いている店を見つけたのだが、そこは韓国人客でほぼ一杯で、店も明らかに手が回っていなかった。これは落ち着いて食事ができるどころか、いつ注文を取ってもらえるかも定かではないなと思い、一度席に就きながらの非礼を詫びながら辞去した。
結局もう一軒開いていた寿司屋で食事にしたが、ランチメニューは決められていて、残念ながらとんちゃんには有り着けなかった。
対馬を訪れる韓国人は増え続け、既に年間の来日人数は島内人口の倍を超えているという。急増した旅行客に、島全体が翻弄されている。島内の寺から仏像が盗まれ、韓国に持ち込まれた事件は記憶に新しいが、その他にも大小のトラブルは絶えないらしい。かといって産業の乏しい島で、貴重なお客だから無下にもできない。そんなジレンマがあるに違いない。
港は大勢の観光客を捌けるようにはできていないし、宿泊施設も十分とは思えない。もし島民の日々の暮らしが脅かされているというなら、治安対策にも力を入れねばなるまい。だがもはや、過疎化が進み疲弊した一自治体で対応できる範囲を超えているように思う。
そして何度か、韓国人客と一緒になることに対して気遣いの言葉を受けた。我々を慮ってでもあろうが、島民自身が韓国人客の振る舞いに辟易している部分も、少なからずあるのではないかと感じた。
程々にはしゃいでもらうのはいいと思う。旅先で多かれ少なかれ舞い上がるのは、誰であれ同じことだ。日本だから何をしても構わないと、明確な悪意を持って来日するのであれば入国をお断りしたいが、多くの心ある人々はそうではないと信じる。節度と品位の問題である。
国同士の関係と、国民個人レベルでのお互いに対する感情は別であっていい。日本に来てもらい、いいところを感じて、好きになって帰ってもらえればいいし、我々も快く迎え入れ、送り出せるようになればいい。
15時発の博多行きと、16時発の釜山行きの出航を同時に控えたターミナル内は乗客でごった返していた。博多行きが行ったあと、なおも売店でおかわりのビールを買った私に、売店の係員氏は「博多行きに乗るんだと思ってました!」と言った。それほどに、ここから釜山へ渡る日本人は少ないということなのだろう。実際、数百人はいようかという乗客の中で、日本人は私も含めて数名しかいなかったと思う。
やがてアナウンスが入り、イミグレへと通された。審査官の前では入管の係員の女性が韓国語で列の整理にあたっていて、私自身も韓国語で話し掛けられたのだが、私のパスポートを見るや「失礼しました」と言って日本語で案内してくれた。これだけ韓国人がいる中で区別することなど到底不可能だろうから、悪い気は全くしなかったが、そんなことにまで気を遣わなければいけないのは、近頃の情勢を慮ってのことだろうか。。
かくして"HITAKATSU"の出国印がパスポートに刻まれた。マイナー国境を敢えて選んで越えるのは、その雰囲気を味わうだけでも楽しい。しかもちゃんと手元に記録が残るのだ。パスポートの入出国印は、自分にとっては勲章のようなもので、それが知られざる場所であればあるほど、後で見返したときの満足感も大きいのだ。

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