惨禍の痕と栄華の跡 (2) - ベトナム発タイ行き、カンボジア横断記 -

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一帯に響き渡る音で目が覚めた。時計を見ると、時刻は3時半だった。動物の鳴き声にも、あるいは女性の嬌声のようにも聞こえ、外の様子を窺ったが、すぐに不気味なものを感じて窓を閉じ、聞かなかったことにして床に戻った。
改めて7時に起き、最上階のレストランで朝食を採った。この一帯でひときわ高いところにあり、ガイドブックで安宿街とされる周辺の街並みはもちろんのこと、少し遠くに聳える近代的な高層ビルも含め、ホーチミンの今の姿を俯瞰することができた。
チェックアウトを済ませ、宿を出て歩いて10分くらいのところにバス会社Mekong Expressの営業所を見つけた。予めネットで予約しておいた内容を携帯でカウンターの男性に見せると、チケットが難なく発券された。
少ししてバスがやって来たが、東京の空港リムジンバスそっくりの塗装なだけではなく、実際に日本の中古バスを左ハンドルに改造して使用していた。バス事業者名や日本のナンバー表記が残っていて、栃木の関東バスで使用されていた車両だと分かったが、本家のリムジンバスから譲渡された車両もあるらしい。
車両後部の「禁煙」の文字を写真に収めたとき、近くにいた添乗員の女性に「このバスは日本から来たんだよ」と声をかけたら、「そうよ」とだけあっさりと返された。
発車前にカンボジアの入出国カードが配られ、更に水と軽食が配られ始めたのだが、私には「軽食がなくなってしまった」と言われた。全く空腹ではなかったので何とも思わなかったが。
バイクで埋め尽くされんばかりの市街地をしばらく走る。しばらくは車窓に見入っていたのだが、段々退屈してきて、出発して間もなく上映された映画に見入ってしまった。最初の方は見ていないのでタイトルが分からなかったが、ストーリーと記憶を頼りに後で調べたら、今年封切られたばかりの「カリフォルニア・ダウン」だと分かった。そんな新作を早々に流したのかと驚いたのは帰宅してから、むしろこれを書いているときの話である。
映画が終わると、車窓の景色はすっかり田園地帯のそれになっていた。今どのあたりを走っているだろう…と思い、Googleマップのアプリを起動すると、まもなくカンボジア国境だと分かった。
データローミングはオフにしていたが、GPSでおよその位置は簡単に分かる。便利な世の中になったものだ。
2時間ほどして、国境であるモクバイに到着した。一旦全員がバスから降り、出入国の手続きを行う。まずベトナムの出国からだが、バスから降りた乗客に両替商が一気に群がってきた。レートが悪いのは分かっていたが、少しは手持ちはないと困るだろうと思い、手持ちのベトナムドンの一部をカンボジアリエルに両替した。
さして待たされることもなく、昨日空港で押された入国印の右横に、翌日付でモクバイの出国印が押された。わずか1日のベトナム滞在であった。
ところでベトナムのスタンプのデザインは、ロシアのそれにとても良く似ている。社会主義国のよしみ、であろうか。
出国した人々は、カンボジア側ゲートまで歩いて向かう。この間にベトナムとカンボジアとを隔てる石碑があり、晴れてカンボジアに足を踏み入れた。
沿道には露店を営む人々がいた。ベトナムの人々なのかカンボジアから来た人々なのかは分からないが、国境というイメージからは離れた長閑な雰囲気が漂う。
カンボジアの入国レーンでビザを提示すると、難なく入国できた。アライバルビザの取得もできるらしいが、高値をふっかけられたりとトラブルが絶えないようなので、予め取得しておいた。
カンボジア側の地名はバベットという。全ての乗客が入国するとバスは発車したが、すぐに沿道のレストランで昼食休憩のため止まった。他の客の見よう見まねで料理を頼み、更に祝杯を上げようとカンボジアのビールを買った。
ここのビールは1缶1ドル(高め)だった。カンボジアにはリエルという自国通貨があるものの、米ドルが流通している。1ドル=4,000リエルという相場もほぼ固定されているらしく、この旅の間も1ドル未満の釣銭は、このレートで計算されたリエルで渡された。
1時間ほどの休憩ののち、再びバスは首都プノンペンを目指して走り出した。
当然ながら、沿道の看板は全てクメール文字である。ベトナム語も難解だが、カンボジアの文字はそもそも読むことができない。観光客が行くような場所には大抵英語訳が添えられていたので、あまり苦にはならなかったが。
この道は国道1号線と名付けられ、ホーチミンとプノンペンとを結ぶ幹線道路のはずだが、辛うじて舗装されている程度だった。そもそも車の台数は一気に少なくなり、沿道の人々の暮らしや建物の姿にも、ベトナムとの差を強く感じられた。
もう一つ、車窓に目につくのは"CAMBODIAN PEOPLE'S PARTY"(カンボジア人民党)と書かれた看板で、多いところでは数百m間隔で立てられているところもあった。人民党の影響力の強さを物語っているが、近頃は野党の救国党が躍進し、政権維持に楽観的でいられる状況ではなくなっているらしい。
2時間ほど走ると、大河メコン川に行き当たった。ここに掛かる橋は「つばさ橋」(現地語でも同じ)と名付けられ、日本の資本と日本企業の施工で、今年4月に完成したばかりであった。橋ができるまでは渡し船があり、この国際バスも船に乗せられて往来していたのだという。日本の道路を思わせる近代的な橋の上で、現地の人々がバイクを止めてたむろしていた。
道はそのままメコン川に沿うように走り、橋から1時間ほどで首都プノンペンに到着した。バスは市街の中心にある、オルセー・マーケットの前で止まった。
バスターミナルのようなものはなく、いきなり街に放り出されたが、同時に様々な臭いを感じた。それは露店の食べ物の臭いであったり、人々の生活臭であったり、あるいは汚水やゴミの臭いだった。
いろいろな臭いがごちゃ混ぜになって鼻を突き、プノンペンの街の躍動、熱気を感じさせた。
宿の位置はおよその方角だけ覚えていたが、細かい位置を控えるのを忘れてしまった。確かこっちの方だったろうと思って歩いていくと、無料Wi-Fiが使えるカフェを見つけ、改めて宿の位置を調べることができた。スマホだけあれば、大体のことは現地でも調べられる。
宿のある一帯は独立記念塔を中心として綺麗に緑地が整備され、先ほどの雑多な雰囲気が嘘のように感じられた。
東横インプノンペンは今年6月にオープンしたばかりで、23階建てという日本のそれとは見違える佇まいだった。内部も日本とは違い、リゾートホテルのような雰囲気がある。しかもオープン記念価格で1泊19ドルという値段だった。
日本人以外泊まるのだろうかと思いきや、中国人客がほとんどを占めていたように思う。ターゲットとする客層も日本とは違うようだ。
少し部屋で休憩してから、再び街へ出た。ホテル近くのレストランで、喉を潤そうとビールを頼むと、現地ビールのアンコールと、氷が入ったグラスが出てきた。ここではビールは氷を入れて飲むものらしい。
やがて空が暮れなずんでいき、独立記念塔もライトアップが始まった。夜もこの辺りは整然としていて、バスを降りた辺りとはまるで別の街のようだった。
食事はカンボジアバーベキューを出す店に入ったが、ココナッツミルクの甘さが強烈で、正直あまり口に合わなかった。
宿の近くにはイオンモールがあった。東横インにイオンと、お馴染みの店ばかり訪れたが、日本資本が世界に進出して、存在感を放っているというのは日本人として安心するし、心強くも思う。

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