惨禍の痕と栄華の跡 (4) - ベトナム発タイ行き、カンボジア横断記 -

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朝食とチェックアウトを済ませて外に出ると、一斉にトゥクトゥクのドライバーが群がってきた。そのうちの一人に声を掛け、料金交渉しようとすると、ドライバーは「これを見ろ」とでも言わんばかりに、いかにもホテル公認のような体裁の料金表を指差した。もちろんホテルが関知しているわけがないのだが、一見それらしく出来ていて、当然高い。そんな値段なら乗らないとリアカーを降りかけると交渉が始まり、最終的にはそれなりの値段に落ち着いた。
ドライバーにはホーチミンからのバスと同じ、Mekong Expressのバス乗り場に行ってほしいと伝えたのだが、全く違うバス会社の事務所に案内された。ここは違うと言うと、素直に向かってくれた。
だが、乗ろうと思っていたバスは満席だと言う。その場を去ろうとしたドライバーに慌てて声を掛け、結局最初のバス会社に戻ってチケットを買った。
発車まで少し時間があったので、辺りを少し歩いた。近くに600年以上の歴史を誇る「丘の寺」という意味のワット・プノンがあるが、この丘こそがプノンペンの名の由来である。一方でフランス統治時代の面影を残す国立郵便局の施設などもこの辺りにある。プノンペンの歴史が凝縮された一角、と言えるかもしれない。
バス会社に戻ってベンチで待っていると、別のトゥクトゥクがやって来た。窓口の女性に乗れと促され、少し離れたバスターミナルと思しき場所にやって来た。
着いてすぐ、そこにはシェムリアップの目的地を掲げたバスが止まっていたのだが、係員にチケットを見せると「このバスではない」のだという。切符売り場でチケットを見せても「ここで待て」と言われ、近くのベンチに腰を下ろした。
その間、様々なバスが出入りしていく。気の利いたアナウンスなどなく、どのバスに乗ればいいのか分からない。そこで隣に座っていた女の子に「シェムリアップ?」と尋ねると、彼女は頷いた。なるほど、この子に付いていけば良いのだ、そうに違いない…そう思い込むことにした。
かくしてあるバスが到着し、その子を始め多くの乗客が席を立ったのに合わせてバスに近寄った。先ほどと同じようにチケットを見せると、どうやらこれが乗るべきバスらしかった。
チケットには指定の席が印字されていたが、そんなものは無意味らしく、私も適当な席に座った。
バスはどうやら冷房が壊れているらしく、天井からはごんごんと盛大な音が響くだけで、温い空気をかき混ぜる以外の用を為さなかった。
これで6時間の旅程を耐えるのかと思うと、思わずうんざりしたが、バスは郊外のバスターミナルのような場所で停まり、全ての乗客がそこに降ろされた。乗務員に尋ねると「エアコンが壊れているから、車両を交換する」のだという。これは救いだと思った。
代わりは「1時間くらいで来る」らしい。もっとも本当に1時間で来るとは微塵も思っておらず、売店で買ったコーラを飲んだり、タバコを吸いながら、ただバスがやってくるのを待った。
その間「地球の歩き方」を持った男女を見つけ、声を掛けた。プノンペンの空港からシェムリアップに行こうと思い、案内されるがままに動いたらこのバスに乗ったのだという。トゥクトゥクや客引き連中御用達のバス会社なのだろうか、何にせよ災難なことだ。
出発したときには午後2時を回っていた。当初のプノンペン発予定は11:30、かれこれ2時間半も足止めを食っていた。
疑い過ぎだったとは思わないが、言われた通りに1時間ほどで代わりのバスがやって来た。派手な音を上げているのは変わりないが、きちんと冷気は出てきた。
プノンペンからシェムリアップに向かう国道1号線は、広大なメコンの大地の中をただひた走る。だがそれは景色としては単調ということの裏返しでもあり、変わり映えがしない。
1号線といえども道路は整備途上のようで、未舗装の区間すら多く存在した。そして沿道の集落には高床の前時代的な住居が並び、「東南アジアの最貧国」という事実が頭をよぎった一方、そんな家々の前でスマホで遊ぶ子供たちもいて、アンバランスさを感じた。
ときおりiPhoneでGoogle Mapを起動して現在位置を確認する。どこまで行っても景色は同じだし、街に並ぶ看板は読めさえしないが、着実にシェムリアップに近付いていた。とりあえず今日中にシェムリアップに辿り着きさえすればいい。
3時間半ほど走って一度休憩を取ったのち、バスは再びシェムリアップを目指した。
やがて日が沈み、空が真っ暗になった頃に街の灯りが車窓を流れ、やがてバス会社の事務所の前で降ろされた。ここがシェムリアップのどこか全く分からず、トゥクトゥクのドライバーに宿の場所を伝えて案内を頼んだ。
宿へは難なく辿り着けたが、Booking.comで予約したホテルはWeb上の写真よりも大分粗末だった。その上、部屋に案内されたあとに、そもそも予約が入っていないことが分かった。
これでここに泊まる気が全く失せ、1泊分のキャンセル料を払って、明日のアンコールワットツアーの集合場所であるHoliday Innに移った。こちらは観光客も良く泊まるらしい、綺麗で設備も整ったホテルだった。同水準の日本のホテルより、当然ながら値段も遥かに安かった。
ホテルの向かいにナイトマーケットがあり、食事もできた。良く冷えたアンコールの生が身体に沁み渡るのが分かった。
プノンペンからシェムリアップまで移動するだけの日だったはずが、良くもこれだけハプニングに巻き込まれたものだ。

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