惨禍の痕と栄華の跡 (7) - ベトナム発タイ行き、カンボジア横断記 -

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"Lohas Suites Sukhumvit by Superhotel"は、日本のスーパーホテルが経営する宿である。値段は高めだったが、ゴールを遂げたあとに泊まる宿だから、何の不満も問題も起こり得なさそうな宿がいいと思って選んだ。
朝は遅めに起きて、のんびり朝食を摂って外に出た。今回のバンコクは目的地というよりは終着点、この1日は言わばエピローグである。だからいつも以上に気張らずのんびり街を歩こうと思っていた。
近くのNana駅からBTS(スカイトレイン)に乗る。ビルの間を高架鉄道が縫って走る様もまた「都会」そのものだ。失礼ながら、バンコクという場所を誤解していて、こんなにも近代的な街だとは思っていなかった。
国立競技場駅で降りて、チャオプラヤー川に面して建つ王宮までの3kmほどの道を歩いてみた。高速道路をくぐり、国鉄の線路を越えた西側の一帯には高い建物もなく、喧騒に満ちた中心部とは打って変わって閑静な雰囲気が漂っていた。
絢爛な王宮やワット・プラケオの姿を塀越しに眺め、チャオプラヤー川沿いを少し散歩してから、タクシーを拾って宿に戻った。午前中いっぱいは大きな荷物を置いておき、どうせ汗だくになるだろうからシャワーを浴びてチェックアウトしようという魂胆だった。
その後再びフアランポーン駅へ向かった。駅の預り所にキャリーバッグを預けて、まもなく発車したアユタヤーに向かう列車に乗ったのだが、午後の半日だけで行って帰ってくるのは厳しいと思い直し、すぐにBanc Sue駅で列車を降りてしまった。
朝からアユタヤーを目指していれば辿り着けただろう。しかし少し考えれば出てきそうな、そんなプランさえ浮かばなかった。勿体無いことをしたと、今なお思わなくはないが、そのときは圧倒的な充足感で、もはや満腹だったのだ。
どういう道を辿ったのか記録がないので覚えていないのだが、日本街と思しき一帯に辿り着いた。日本でおなじみのチェーン店に加え、日本語の看板を掲げた夜の店もあった。
私が1年間滞在したモスクワには、そもそも日本資本の店が自動車ディーラーとユニクロくらいしかなく、会食や飲み会と言えば数少ない日本人シェフのいる(まともな)日本食レストランに集まるのが常だった。
だから、異国の地で日本を連想させる一帯があるというのは新鮮味と驚きがあった。今やバンコクに居住する日本人は6万人を超えるというから、2千人弱のモスクワと比べるのはそもそも無理があるのだが。
日本街の一角に「つぼ八」があった。同じ建物には「世界の山ちゃん」も近日出店予定だという。モスクワが基準の私には考えられないラインナップだった。
2階の「つぼ八」に入った。タイ語が入っていなければ、メニューも日本のそれそのものだった。ビールと食事を頼んで、ここで1時間以上過ごした。一足遅れて、ゴールに辿り着いた達成感と余韻に浸りながら、である。
怠惰に満ちたバンコク探訪だったが、最後は街の景色を焼き付けて日本へ帰りたいと思い、ワット・アルンへ向かった。尖塔の頂上に登ることができ、辺りを一望することができるという。
だが着いてみて目論見が崩れた。建物は保全工事の真っ最中で、頂上に登る階段も封鎖されていたのである。尖塔の周囲には足場が組まれ、本来の姿を拝むことも叶わなかった。
ただワット・アルンの魅力は、遠目に見た全景だけではなく細部にもあるらしい。近付いて間近に見てみると、様々な色や形の石材?が無数に貼り付けられ、部分部分は塗り絵のようだ。その塗り絵には多分それぞれに意味があって、それらが組み合わさって一つの建造物を成している姿は、モザイクのようでもある。
ワット・アルンとは「暁の寺」という意味だという。時は夕暮れ前だったから、暁とは反対の、傾きかけた太陽に照らされた尖塔の姿も悪くなかった。
チャオプラヤー川を渡し舟で渡り、タクシーやBTS、地下鉄を使ってフアランポーン駅に戻って来た。キャリーバッグを引き取ると、駅構内に勇壮な曲が流れ始め、ベンチに腰掛けていた人々が一斉に、駅に掲げられた国王の肖像画を前に直立不動の姿勢を取った。タイでは8時と18時の1日2回、駅のみならず公共の場やテレビで国歌(国王賛歌というそうだ)が流れ、人々はこうして国家、というよりは国王に対して敬意を表す。街行く人々もこのときだけは歩みさえ止めると聞いた。政治の混乱が続くタイだが、為政者に対するものとは別の、国家への忠誠と信頼がこの国の下支えになっているのだと思った。
時間的には大分余裕があったが、空港へ向かうことにした。地下鉄とエアポートレイルリンク(空港鉄道)を乗り継ぎ、スワンナブーム国際空港に着いたのはフライトの4時間近く前だったが、すぐにチェックイン、出国手続きを済ませて、出発ロビーで土産物を物色したり食事をして過ごした。
最後にタイらしいものを食べようと思ってトムヤムクンを頼んだ。辛いものは苦手なのだが、これくらいは食べないとタイに行った土産話にもならないと思って挑戦した。食べ終えて思ったのはただ一言、「辛い」だった。
23:00発の大阪・関西空港行きJAL728便の搭乗口付近は、当たり前ながら日本人が大勢を占めていて、早くも帰国した気分になった。この日はシルバーウィーク終わりの週末、喫煙所で「東京に行きたいけど取れなかったからこの便にした」と言ったオーストラリア人の男性に、「今日は日本人が一斉に帰る日だよ」と教えた。
かくいう私はというと、フライトを予約するときに、東京直行便と大阪経由が両方、同じ金額で選べた。家路を急がなければならないわけではなく、少し変わった寄り道をして帰るのも悪くないと思ったのだ。関空に着いたら、羽田行きが出発する伊丹に移動する。バスにしようか、列車を使おうか、それは着いたら考える。
フライトは順調で、苦手な機中泊も今回はそこそこ休めた。機体の右手には、厚い雲の上に朝日が昇るのを見た。地表の天気は良くないのかなと思ったが、機体から降りる頃には雲の切れ間に青空が覗いていた。

<おわり>

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