惨禍の痕と栄華の跡 (5) - ベトナム発タイ行き、カンボジア横断記 -

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朝食を済ませてからロビーで待ち、予め伝えられた時間通りにやって来た迎えの車に乗り込んだ。日本の旅行会社が主催する、日本語ガイド同伴の1日ツアーで、当然ながら同伴者も全員日本人だった。
車内でツアー代金$30を支払い、シェムリアップの市街地から20分ほどで、遺跡群のゲートに辿り着いた。入園料$20はツアーの料金とは別で、一旦車を降りて各自窓口で支払う。窓口ではカメラを向けられ、すぐに顔写真が印刷された入園券が発行された。
一行はまず、南大門からアンコール・トムに入った。黒ずんだ石が積み上げられてできた尖塔を見て、これはテレビや写真で幾度となく見た、あの光景に違いないと思えた。
続いてバイヨン、バプーオンといった遺跡を、ガイドの説明とともにゆっくり時間をかけて巡っていった。
言うまでもなく、それぞれ非常に重要な価値のある建築物群である。しかしあいにく、歴史にも建築にも宗教にも造詣が薄い私には、「へぇー」という程度の、ともすれば軽薄にも聞こえかねない感動以上のものが浮かんで来なかった。
決して退屈だったわけではない。細かく施されたレリーフを造り上げるのに要したであろう途方もない時間を想像し、頂上に登ればそこは地表から見る以上の高さで、ここに込められた意味や意義の深さに思いを巡らした。
アンコール・トムを出発し、近所のレストランで昼食となった。カレーを中心としたカンボジア料理がメニューで、労せず地場のものが一通り食べられるのは助かる。ビールを頼むのも忘れなかった。
レストランはWi-Fiが利用できたので、iPhoneを接続すると、ちょうど日本の同僚から仕事上の連絡を受信した。これ以前もLINEで知人に旅自慢をしたり、次の旅行の相談をしたりしていたが、海外であろうと簡単に繋がれるようになったことに、情報技術が発展する以前から旅に興じていた身としては隔世の感を覚える。
賛否両論あろうが、私は良いことと捉える。人との繋がりもさることながら、アクセスできる情報量とそのスピードが段違いになり、困ったらその場で調べれば良くなったことで、下調べや荷物を減らせて機動力が上がった。限られた時間で旅を満喫する上で、機動力は本当に重要な要素だ。
同僚に回答を返信し、ついでに午前中に撮ったアンコール・トムの写真を送り付けた。
再び車に乗り、アンコール・ワットを訪れた。
午前に訪れた遺跡群も、存在の意味という点では遜色ないのだろうが、ここは今そこにある佇まいに、比にならないほどの存在感を感じた。重厚感、あるいは威圧感と言い換えてもいいかもしれない。
アンコール・ワットは紙幣やビザにも描かれた、カンボジアの代名詞、象徴と言っても過言ではない存在である。今なお、この国の拠り所となっている理由が分かった気がした。
午前中同様に見所をじっくり見て回る機会があったが、正直言って細部はあまり印象に残らなかった。それよりも、今ここにいて、その存在に触れたことに対しての感銘の方が遥かに大きかった。
アンコール・トムもアンコール・ワットも、文字に起こせる感想が少な過ぎた。わずか二段落でまとまってしまったのは、そういう理由である。
シェムリアップの市街地に戻り、ツアー途中で知り合ったNさんと、近くの喫茶店に入った。ビールを片手に話しているうちに、お互い一人旅同士、夕食も是非一緒に、ということになった。
一度Nさんと別れ、バス会社の窓口で明日のバスのチケットを買い求めたあと、一旦宿へ戻って一休みした。炎天下の上に一日中いたから、キンキンに冷えた部屋とシャワーが格別だった。
日が沈み切った頃にナイトマーケットでNさんと落ち合い、食事がてら話が弾んだ。熊本の出の方ということで、九州の話でも盛り上がったし、お互いの仕事にも話が及んだ。最近、旅先で初見の人と意気投合するのが旅の楽しみの一つになりつつある。

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