もう一度、北へ (1) - ロシア・サハリン渡航記 -

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京急線のホームから、まだ真新しい第2ターミナルへ向かう。
福岡に住んでいた頃、実家との行き来や仕事で幾度となく利用していたが、もしかしたら第2ターミナルを利用するのはこれが初めてかもしれない。福岡との往来は専らJALかスカイマークで、ANAを使ったことはなかったからだ。
稚内行きANA573便は、67B搭乗口から12:15に出発する。67Bなる搭乗口がどこにあるか露も知らない私は、出発の15分前に余裕綽綽の気持ちで手荷物検査をパスし、搭乗口に向かって悠々と歩き始めたのだが、行けども行けども搭乗口は見当たらず、次第に焦って歩みを早めざるを得なくなった。しまいには名前を呼び出され、係員氏に「私です!」と言う始末。67B搭乗口、それは出発ロビーの端の端にあったのだった。顰蹙を買ってしまったかもしれない。
ともあれ飛行機は定刻に搭乗口を離れ、無事離陸した。稚内の天候は雨、気温は21度だという。酷暑の折、涼しいのは一向に構わないのだけれども、天気が悪いのはいただけない。
フライトは快調そのものだったが、着陸の際、分厚い雲の中を降下していった。やはり天気が悪いらしい。そして雲を抜けるとすぐ眼下に台地が広がり、間もなく機体は稚内空港に着陸した。

かつて稚内までは列車で3日、車で5日かけて行った。それが今回は自宅からわずか5時間である。そして稚内を訪れるのはこれで4度目になる。それでも最果てのこの町には、何度でも訪れたくなる魅力がある。
空港近くで車を借り、宗谷岬へと走った。岬も既に2回訪れていて、目新しいものがあるわけではないのだが、別に目的があった。今回の目的地、更に北を拝むことだ。しかし海上の景色はどんよりとした雲と冷たい雨に遮られ、その姿を見ることはできなかった。
岬の裏側に広がる宗谷丘陵を駆け抜ける。ここもまた、天気が良ければなお爽快なルートであるに違いない。ここに限らず、北海道のドライブは格別だ。次は好天のときに、しかも自分の車で北海道を走りたいと思う。

続いて豊富温泉に足を運んだ。日本最北の温泉郷であるとともに、石油採掘中に湧出したという茶褐色の湯が特徴だ。実際に灯油のような臭いがし、油のようなものも浮いている。旅館が数軒あるだけの小さな温泉街だが、湯の特徴では全国的にもユニークな部類に入ると思う。訪れる人が少ないのは勿体ない。
稚内に戻ろうすると、知らない間に高速ばりの高規格道路ができていた。どうせ無料だし、物は試しと走ってみると、とても快調に飛ばせたのはいいのだが、ただでさえ全体の交通量が少ない中に、更にこんなにも立派な道が必要なのかと思ってしまう。それに小さい集落をこまめに結ぶ下道の方が、景色や街並みの変化があって面白い。

駅前で食べたかにラーメン 稚内温泉「童夢」

稚内市内の旅館に荷物を置き、駅前で車を返す。稚内駅は再開発で大きく様変わりした。ずいぶんと驚いたが、もう今日は暗いので明日詳しく見てみたい。
駅前の食堂で、稚内っぽいものをと「かにラーメン」を食べた。蟹は蟹、ラーメンはラーメンで美味かった。かにラーメンとしては…?
そのあと再び温泉に入ろうと路線バスに乗った。市が運営する稚内温泉「童夢」は日本最北端の温泉である。施設は海に面していて、吹きつける潮風はすっかり秋の気配で、露天風呂に入れば実に心地良い。夏も嫌いではないが、早く温泉が恋しくなる季節が来ないかと思った。
コンビニで買ったビール片手に宿に戻る。冷房はなかったが、外はそんなもの必要ないほど涼しく、すぐに寝付けた。

明日の朝の船でサハリンに渡る。ロシアを訪れるのはこれが2度目だ。最初は就職を控えた2007年春、卒業前にどうしてもシベリア鉄道に乗ろうと富山からウラジオストクに渡り、モスクワまで列車の旅を心行くまで楽しんだ。
今回の旅行記は、シベリアでの出来事を綴った大学ノートの続きに書いたものだ。旅の途中、ふと読み返してみると「次はサハリンに行きたい」と書いていた。それから3年半、思ったより早かった。九州赴任を控え、しばらく東京に戻ることはないだろうと思っていたからだ。
不安半分で恐る恐る出かけたシベリアは、様々な出会いと出来事に彩られ最高の旅になった。あの感動を味わいたくて、もう一度北へ向かおうと思った。
この旅路には一体何が待っているのだろう。

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