そしてまた、北を目指す (4) -東北、北海道ツーリング-

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敢えて目覚ましをかけずに眠った。今日はそれほど急ぐ行程ではないし、ゆっくり寝て疲れを取ろうと思ったのだ。するとちょうど朝8時に目が覚め、コインランドリーで洗濯を済ませながら朝食を取った。
宿を出たのは9時半ごろだった。市内から国道227号線に入り、隣の北斗市の市街地を抜けると山中の無人地帯になる。交通量はごく少なく、思わずアクセルを踏みたくなる。しかしここは北海道、取り締まりに気を付けて慎重に車を進めた。
中山峠を越え、江差町内の日本海側に出たところが227号線の終点である。ここから国道229号線で日本海沿岸を走る。これまで何度も北海道を訪れているが、このエリアが未踏だった。今回ここを走破することで、およそ北海道の全域に足を踏み入れたことになる。
国道229号線は地図で分かる通り、江差から渡島半島の日本海側、そして積丹半島の外周部を通って小樽へ至る。
沿道の景色も全く想像通りで、一部の区間を除いてはひたすらに海岸線に沿って道が伸びていき、海沿いの町々をつないでいる。適度なアップダウンやコーナーがあり、とにかく運転が楽しい。距離は長いが疲れないし、退屈もしない。
沿道の集落には「豊浜」「栄磯」「富浦」などといった名前がついていた。かつて本土から入植した人々が、海からの大いなる恵みを祈念してつけた地名だと容易に想像できる。
瀬棚の市街地を少し過ぎたところにあった食堂で昼食を取った。北海道在住の友人に「この時期はウニを食べないと!」と勧められていたので、ウニ他いろいろ乗っている海鮮丼を頼んだ。実はウニという食べ物があまり好きではなかったのだが、このウニは別物だった。気持ち悪い柔らかさがなくて、実がしっかり締まっている。これなら好き好んで食べられる。
瀬棚を過ぎると、地形がだんだん険しくなってきた。断崖が海ギリギリに迫り、長いトンネルが増える。
Wikipediaによれば、渡島半島の付け根は寿都と長万部の間に線を引いたあたりなのだという。そしてこの辺に弁慶岬がある。義経が食料と軍船を寿都に回漕させたとき、弁慶がその到着を待ったのがこの場所だという。義経は平泉では死なず、北海道に落ち伸びた…という話の続きであろう。もっとも地名はおろか、その伝説すら和人が持ち込んだものなのだろうが、地名になるくらいなのだから、それなりに信憑性があるのかもしれない。
寿都の隣が岩内で、合併して人口が増えた旧熊石町(現八雲町)を除けば、人口が1万人を超えている町はここ岩内と余市しかない。日本海沿岸部最大の町、ということができよう。
ここから積丹半島をぐるりと巡る。
次の泊は、あの泊原発の泊村である。原発への入口は厳重に警戒され、国道沿いにいくつも掲げられた原発PR施設の宣伝が虚しかった。
この先の地形も厳しく、道路の敷設には相当の困難があったと想像できる。いくつもの長大トンネルで通り過ぎ、半島の先端にちょうど突き出ているのが神威岬である。ツーリングマップルには駐車場から岬の先端まで徒歩15分とあるが、アップダウンが多く、人より速足な私でも15分で歩くのは厳しかった。しかし先端からの景色は格別で、300度の大パノラマが広がる。海はどこまでも広く碧く、断崖の続く半島沿岸の地形が良く眺められた。
少し汗をかいたので、温泉で汗を流そうと思った。海に面した小高い丘の上にある「岬の湯しゃこたん」は、露天風呂からも西向きに海を見渡せ、既に傾きかけた夕日を拝めた。そんな抜群のロケーションに加え、海から吹きつける風も心地良かった。
古平と余市の境を通過する豊浜トンネル。1996年冬、ここで崩落した岩盤がトンネルを押し潰し、ちょうど走っていた乗用車と路線バスが巻き込まれた。当時自分は小学生だったが、トンネルに突き刺さるように崩れ落ちた巨大な岩盤と、連日放映される発破作業の様子を良く覚えている。しかし発破がスムーズに進まなかったのは、まだ生存者がいる可能性を考えて火薬の量を制限したからだということは、これを書くために事故の経緯を調べる中で知った。結果は被害者全員が即死状態だったそうだが、一縷の望みに賭けた人々の苦闘があったのだと想像する。
かつてのトンネルは封鎖されていたが、その入口付近に設けられた祈念公園から見た絵は、かつてテレビで連日放映されたそれと同じだと分かった。その傍らには慰霊碑があり、冥福を祈った。
普段何気なく通っているトンネルが崩れる―想像もできないことだ。この事故では、管理体制の不備や過失はそれほど問われていないようだし、予測不可能な自然災害として捉えられる側面が強いように思えた。だとすれば、どんなに技術が進歩しても抗えない自然の猛威があることを改めて肝に銘じねばなるまい。
余市は227号線の事実上の起点である。事実上というのは、法律上の起点は小樽で、余市〜小樽間は国道5号線との重複区間であるからだ。
そして小樽から先は純然たる5号線となる。小樽や札幌の市内が混むかと思っていたらそんなことはなく、むしろ地元民のハイペースぶりに驚いたくらいだ。そういうわけで、私もさして苦労することなく札幌に辿り着くことができた。
駅前の駐車場に車を止め、量販店で昨日取り置きをお願いしたバッテリーを入手する。これでとりあえず復活だが、やはり充電はできないから、しばらくはここぞというシーン以外には使わないようにしよう。
夕食はその上の店でラーメンを食べた。特に店にこだわりなどはなかったので、適当な店に入った。可もなく不可もない味噌ラーメンだったが、それでもこれを食べないと札幌に来た気がしない。
この日は東区の親戚の家に押し掛けた。

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