そしてまた、北を目指す (7) -東北、北海道ツーリング-

[ 1 ] [ 2 ] [ 3 ] [ 4 ] [ 5 ] [ 6 ] [ 7 ] [Photo]

たらふく寿司を食べたあとだというのにレストランで二度目の夕食を取り、更に飲み足らずラウンジでビールを飲んだ。そしてひと風呂浴びて眠りに就き、ちょうど7時に目が覚めた。
洗顔がてら、朝風呂を嗜む。浴室内から外を眺めたが、天気が悪いのは相変わらずのようだった。波も少し高いらしく、浴槽の湯の揺れも忙しなかった。
朝食を取りにレストランに赴く。夕食同様のバイキング形式だった。節操無く自分の好きな物を並べた皿をつつき、食後のコーヒーを飲みながら海を眺める。すると次第に空が明るくなってきたのに気付いた。この旅路も終盤だが、先行きは明るい。
客船の船旅はいつだって格別だ。船という乗り物は優雅かつ高貴であるべきだ。日々の仕事で貨物船ばかりを相手にしている私だから、殊更そう思う。
まもなく仙台に着く。船旅の感動に浸るには、たかだか1泊では到底足りない。次は名古屋から苫小牧まで乗り通してみたい。
午前10時、仙台港に到着した。一番後に積まれた私の車は、真っ先に陸に上がることができた。
仙台港、言わずと知れた被災地である。あの津波で打ち上げられた船が大きく報道されたが、その船はあの日のまま、未だ岸壁に鎮座していた。港はその機能こそ回復していたものの、使い物にならなくなり放置された運搬機器、廃墟の倉庫、信号が灯らず警察官が交通整理をしている交差点…差し当たり邪魔なものを傍に押し退けて、機能の回復を優先させたに過ぎないようだ。
若林区の荒浜地区に向かう県道を走った。あの日、早々に多数の遺体が見つかった地域だ。「200-300人の水死体が…」と報じるニュースキャスターの声が頭の中で残響して、想像したら恐ろしさのあまり眠れなくなったのを覚えている。物見遊山ではなく、純粋に現状を見ることができれば…と思ったのだが、道は途中から通行止になり、荒浜には入れなかった。
内陸に向かっている間にも、流されたのか打ち棄てられたのか分からない車が何台も放置され、電柱が傾き、道路が突き上げられていたりと、その爪痕は未だ生々しく刻み込まれていた。あれから約5ヵ月、仙台ほどの大都市ですら、復興どころか復旧すらままならないところがまだあるのだ。
仙台の中心街を抜け、山形へ向かう国道286号線に入った。町の風景から、徐々に緑豊かな山間部へと分け入っていく。
途中、見覚えのある区間を通った。秋保温泉に分岐するあたり、初日の夜に走った場所だ。前述の通りバタバタだったから、のんびり再訪できればと思う。
この道路はほぼ全区間が山形自動車道に並行していて、下道の交通量は少ないだろうと踏んでいた。予想通り快適なペースで走ると、宮城・山形県境の笹谷峠に差し掛かった。峠の両端には高速のインターがあり、トンネルが一直線に貫いているから、地図を見るだけで容易に想像のつく細い峠道を行く車などほぼ皆無だった。時間もガソリンすらも余計に食うが、旧道の峠越えは楽しいし、サミットに達したときの満足感もある。
さて山形県。これで今回の旅で東北6県全てに足を踏み入れたことになる。どんよりとした曇り空が広がり雨も降った宮城側とは打って変わり、山形の天気は良かった。
峠を降り切ったすぐのところに、県都山形市の市街地が広がる。
この時点で時間は昼を大分回っていた。食事にしようと思って山形の美味しいものを探すと、あまり印象になかったが、蕎麦が有名であるらしい。偶然、ちょうど蕎麦でも食べようかと思った矢先だった。
よい蕎麦屋があるという山形駅の方へ車を走らせる。駅前の道は、街の規模にしては狭いなと思ったら、一方通行になっているのだった。それだけの違いとはいえ、そのおかげで他県の県庁所在地とは大分趣が異なって見えた。
折しもこの日は花笠まつりの初日で、駅前通りは夜からの本番を控え、お祭りムード一色に染まっていた。あの震災から初めての夏、どれだけの人が訪れるだろう。こんなときだからこそ、例年以上に盛り上がって欲しいと思った。
店には駐車場がなく、中心市街地のコインパーキングに車を停める。「庄司屋」七日町店。田舎蕎麦と更科蕎麦が同時に盛られた相盛り蕎麦を頼む。更科とそれ以外の違いも分からなかったのだが、こうして並べて食べてみると、食感も香りも全く別物であるのに気付く。どちらが美味いかは甲乙つけ難い。
国道13号線を福島方面へ向かった。いよいよこの旅路も最終章だが、どうしても寄りたい場所が山形にあった。これまでの行程で思ったより時間を使ってしまったため、途中で有料の米沢南陽道路も使って先を急いだ。
山形と福島の境界、栗子峠を越え、県境付近から狭い林道を山中へ駆け上っていく。路面の凹凸や20%を超える勾配があり、車高の低い私の車ではかなり神経を使ったが、何とか登り切れた。その終端に駐車場があり、車を停めて徒歩で近付くと、岩壁がむき出しになった谷間に一軒の宿がある。ここが姥湯温泉である。前回(『南東北応援紀行』参照)、立ち寄り入浴の時間に間に合わず、目前で涙を飲んだところだ。
逸る気持ちを抑えながら、宿の更に奥にある露天風呂に急いだ。もともとここにあったかのような野趣溢れる岩風呂で、目前に聳える大岩壁を見ながら湯に浸かる。そのワイルドさ、そしてロケーションは、まさに秘湯と呼ぶに相応しい。
心身ともに満たされて林道を引き返す。心残りと言えば、その途中にある滑川温泉には今回も入浴が叶わなかったことだが、機を改めてまた来ればよい。この辺りには気になる温泉が他にもいくつかあるし、訪れる理由には事欠くまい。
姥湯・滑川への最寄り駅がJR奥羽線の峠駅である。前回も旧駅を探索したり、名物力餅を食べたりしたが、時刻表を調べてみると1日上下6本ずつしかない普通列車がもうすぐ来るという。前回見逃した、力餅の駅売りが見られるかもしれない。
そう思ってホームの待合室で列車の到着を待っていると、到着時間の数分前に法被を着た売り子さんがやって来た。やがて2両編成の列車が到着すると、一番前と後ろのドアだけが開き、何人かの乗客が後ろの乗降口越しに力餅を直接買い求めていた。そのあと売り子さんは「ちか〜ら〜もち〜」と言いながら列車の先頭まで歩いていき、これ以上お客がいないと分かると、車掌さんに向けて合図する。車掌さんも勝手知ったりで、その合図を待ってドアを閉め、列車を発車させた。
窓越しに力餅を売り歩いていたときのやり方そのままなのだろう。かつて峠を越える列車が全て足を止めていた頃の情景が目に浮かぶようだった。
そして売り子さんの後を追って、茶屋の軒先で再び力餅を頂いた。今度は更に雑煮も頼むことにした。特産、名産というわけではないが、山の味覚たっぷりといった感じで美味かった。出汁の一滴まで残らず頂いた。最後に土産用に力餅を2つ包んでもらい、ここを後にした。
本当に、心底満足した。もう家路を急ごうと決めた。13号線で福島市に下り、福島飯坂インターから東北道に乗る。インター直前のスタンドで給油するのは忘れずに、日が傾きかけた高速を東京目指して駆け抜けた。

【おわり】

[ 1 ] [ 2 ] [ 3 ] [ 4 ] [ 5 ] [ 6 ] [ 7 ] [Photo]


Homepage >> Travel >> そしてまた、北を目指す