東側からの東往記 (4) - ロシアから東欧へ、烏洪墺捷波5カ国訪問記 -

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朝6時に起きて、ホテル併設のスパに降りた。風呂への入り方は昨日のキラーイ温泉と大体同じだった。
ここには、青を基調としたタイル張りの浴場がある。一見プールのようにも見えるが、湯は紛れもない温泉そのものである。
浴場には先客が何名かいて、各々朝風呂を楽しんでいた。朝風呂という単語はもちろん日本語だが、国は違えど温泉の楽しみ方は同じなのだと思った。
高級ホテルらしい、美味しい朝食を済ませてから宿を出た。自由橋でペスト側に渡り、オフィスビルが立ち並ぶ環状通りを歩いて、くさり橋でブダ側に戻った。ブダとペストを初めて結んだのがこのくさり橋である。その完成は1849年と、意外に新しいように感じたが、橋の建設には10年の歳月を要したというから、当時の技術水準からすれば偉業だったのだろう。2頭のライオン像が橋を見張り、後ろに王宮は聳える様は、橋自体を名所と呼ぶに相応しい光景である。
全ての橋が破壊されたあとも、川に落ちた鋼材をできる限り再利用して再建したものだというから、ブダペスト市民の並々ならぬ思い入れを感じずにはいられない。
ブダ側にはケーブルカーの駅があって、ここから王宮の丘に一気に登った。丘の上は王宮、マーチャーシュ教会に漁夫の砦と、様々な名建築が建ち並び、更にドナウ川越しのペストの街を一望することができた。時間の都合で駆け足で回らざるを得なかったが、一つ一つの名所をじっくり回っていけば、この一帯だけで1日かかるに違いない。
丘を歩いて下り、近くの地下鉄バッチャーニ広場駅からM2(東西線)、M1(フランツ・ヨーゼフ線)を乗り継いだ。このM1は、ロンドンに次いで世界2番目、電車としては世界初の地下鉄であり、地下鉄として唯一世界遺産にも登録されている。路面電車のような小さな低床車両が道路の真下すぐを走っていて、路面電車をそのまま地下に潜らせたような雰囲気だ。
終点の一つ手前、セーチェニ温泉駅で電車を降りた。セーチェニ温泉は市民公園の中に1913年に造られた大きな温泉施設で、屋内には熱めの温泉が、屋外には広々としたプールがある。プールにはチェス盤がいくつもあって、地元の人々が名物の風呂チェスを楽しんでいた。
それぞれ趣向の異なる3箇所の温泉を楽しむことができた。他の名所巡りをいくつも犠牲にはしたが、未練はなかった。今回は温泉に入りに来たのである。
英雄広場を通り、地下鉄に乗って一度宿に戻った。大きな荷物を拾ってチェックアウトを済ませたあと、このあと駅に向かってブタペストを去るのだが、結局昨日は露店のソーセージが夕食だったので、最後にハンガリー料理を食べようと考えた。
ガイドブックを頼りにレストランを探すと、地下鉄M3のアラニ・ヤノーシュ通り駅近くにチャルノク・ヴェンデークルーという店を見つけた。ここでグヤーシュというスープを頼んだ。ハンガリー料理に欠かせないパプリカをたっぷり使い、牛肉と野菜を煮込んだハンガリー料理の代表格である。素材の旨みが出ていてとても美味しかった。辛いパプリカが付け合せに出されたが、これを溶かして食べるのもまた良かった。具だくさんだったので、食前のビールとこれだけで十分腹が膨れた。
そのあと地下鉄M3とM2とを乗り継いで、ブタペスト東駅にやって来た。ブタペストにいくつかあるターミナル駅のうちの一つである。窓口でウィーン行きの切符と、座れるかどうか不安だったので指定券を買った。乗車券が7,000フォリント(1ft=0.35円)、指定券が840フォリントだったから、270km先のウィーンまでと考えると、日本の感覚からすれば安い。日本の鉄道もこのくらい安ければ、もっと気軽に鉄道旅行ができるのだが。
15:10発の列車は既に入線していた。「窓際は空いていません」と言われて通路側の指定券を買ったのだが、自分の席の隣には誰もいなかったので、来るまでは窓際に座っていようと思った。
パソコンを開いて、時刻表を見ながら現在地を照らし合わせる。今回の旅では、電子ブックのトマスクック中欧版が大いに役に立った。パソコンだけでなくスマホで時刻表を見ることもできるし、何より分厚い時刻表を日本から取り寄せる手間も、持ち歩く苦労もなかった。
列車はウィーンに向けて快調に飛ばしていくが、ブタペストから離れれば離れるほど、共産主義の面影が色濃くなるようだった。無骨なコンクリートのアパートはまさにそれである。
ハンガリー最後の駅、ヘーギエスハーロムを出ると次はウィーンまで停まらない。国境で止まるでも、国境を示す標識があるわけでもないが、次に通過した駅の駅名標がオーストリア仕様のそれになったのを見て、オーストリアに入ったのだなと実感した。そしてここはスロヴァキアとの国境にも近いところである。ヘーギエスハーロムから20km北上したところにスロヴァキアの首都、ブラチスラヴァがある。願わくばウィーンに向かう途中に立ち寄りたかった。
18時、時間通りにウィーン西駅に到着した。列車はこのあとザルツブルグを経由してドイツ・ミュンヘンへ向かう。
地下鉄を乗り継いで宿を探すと、ホテル・モーツァルトはフランツ・ヨーゼフ駅のすぐ隣にあった。フロントの男性は「1泊だけですか?」と、少し残念そうな顔をしながら鍵とガイドブックを渡してくれた。
明日はホテルの朝食もキャンセルして、朝6時過ぎの列車でウィーンを後にすることにしていた。ウィーンが見どころに溢れた街だとは知っていたが、限られた時間の中で、他の国々との間に優先順位をつけ、泣く泣く素通り寸前の状態までカットせざるを得なかった。
部屋に大きな荷物を置き、市内散策と食事をしに街へ出かけた。日は傾きかけていたが、幸い、この時期は陽が長い。
地下鉄シュヴェーデンプラッツ駅を出て、人通りの多い賑やかな通りを歩くと、突然シュテファン寺院の巨大かつ荘厳な佇まいが目に入り、こんな市街地のど真ん中にあるのかと驚いた。周囲には観光馬車が何台も停まっていて、この一帯だけを切り取ってみれば中世にタイムスリップしたかのようだ。
更に少し歩いて、王宮横のカフェでビールを頼んだ。ここでは、ハプスブルグ家のかつての威光をそのまま垣間見ることができるという。せめて1日あれば…とは思ったのだが。
今来た道を逆に戻り、シュテファン寺院の近くのレストラン、フィグルミュラーへやって来た。人気店と聞いて覚悟はしていたが、店の前には入店を待つ列ができていた。
20分ほど待って席に通され、メニューを見て迷うことなく、名物のヴィーナー・シュニッツェルを頼んだ。仔牛の肉を薄く伸ばして揚げたカツレツだが、ここのは皿からはみ出る大ボリュームである。私の前に食事をしていた日本人カップルが、あまりの量に食べ切れず、ウェイターが渋い顔をしながら料理を包んでいたのを見た。
注文を取りに来たウェイターに勧められ、調子に乗ってジャガイモのサラダも頼んだ。出された料理は、しかし見た目に反して、味付けは実にあっさりしていて、食べ飽きなかったどころかどんどんと手が進んだ。ひたすら食らい付き、たまに口直しにサラダに口を付け、手は一切止めなかった。傍から見たら気持ち悪い食べっぷりだったかもしれないが、とにかく食べるのが楽しかったのだ。
こんな感覚は久しく味わっていなかった。そんな思い出もありだろう。

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