東側からの東往記 (9) - ロシアから東欧へ、烏洪墺捷波5カ国訪問記 -

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その後の展開は昨日と全く同じだった。夜更けの変な時間に一度目が覚め、二度寝して朝を迎え、レストランで朝食を摂る。朝食のメニューまで昨日と同じだった。
チェックアウトを済ませて、列車の時間を待つまでの間、朝食会場のレストランでビールを飲んでいた。すると隣のテーブルに座っていた男性がウォッカを煽り始めた。ポーランド人もロシア人同様、ウォッカを愛する人々だという。いがみ合いを続けた両国だが、人々のメンタリティは共通するところがあるのだろうか、と思った。しかし朝から飲むところは、ロシアでもお目にかかったことはなかった。
クラクフ・バリツェ空港行きの列車は2両編成の、LRTの車両を彷彿とさせる現代的な列車だったが、エンジンの音と振動を響かせるディーゼルカーだった。出発してしばらくすると非電化区間に入り、景色も一気にローカル色が濃くなった。しかもほとんどの踏切は警報機も遮断機もないので、踏切に差し掛かるたびに速度を落とし、最徐行で通過していく。
そして空港駅は屋根も何もない、ただの停留所だった。ちょうどホームの真向かいにシャトルバスが停まっていて、これに乗り換えてターミナルに行くのだ。何とも長閑で、のんびりしている空港鉄道だった。
バスは国内線ターミナル、国際線ターミナル、そして駅の間をグルグル回っている。国内線ターミナルを経由して、国際線ターミナルには10分ほどで着いた。
モスクワ・シェレメチェヴォ(SVO)行きのアエロフロート(SU)2005便のチェックインカウンターはすぐに見つかった。モスクワ−クラクフのフライトは週4便しかない。
時間がもっとあれば、ワルシャワにも立ち寄りたかった。ワルシャワ蜂起失敗の末に廃墟と化した街を「ヒビ一本に至るまで忠実に再現した」という街並みを見て歩きたかったし、首都ワルシャワを飛ばすのはポーランドに失礼なような気がしたのだ。
セキュリティチェックもパスポートコントロールもさほど混んではおらず、スムーズに通り抜けられた。最後に別れの一杯をと思ったのだが、カフェが見当たらず、売店でビールを買ってベンチで飲んだ。
もはやすっかりSU機はお馴染みだ。いよいよ、ロシアへ「帰る」。
私の前列と隣に家族連れと思しき乗客が座っていた。前列に父親と男の子、隣に女の子で、多分隣が姉だろう。弟は姉の気を引こうと、前の席の背もたれの隙間からしきりにちょっかいを出してくるが、姉は見向きもしない。弟のそれは段々エスカレートしていき、都度テーブルの上の姉のジュースが揺れる。この家族はロシア人なのかポーランド人か、やめろと言いたくてもどう言えばいいのか分からない。結末が見えた。もはや避けられまい。
とうとうジュースはひっくり返って私の大腿を直撃した。PCやパスポートが入ったバッグは安全なところに除けていたので、被害はジーンズだけで済んだ。父親も姉も謝るでもなかったが、怒りは感じなかった。それ以上に、満足と寂寥とが勝っていたのだ。そんなことはどうでもいい、余韻に浸らせてくれ―。
SVOに無事着陸した。到着ターミナルのターミナルFは、主にCISや東欧諸国への便に利用されている。SVOのターミナルFと言えば、かつては「暗い」「天井が低い」などと悪評のオンパレードであったが、今は改修されたらしく、特段変な点は見当たらなかった。
市内行きの列車まで時間があったので、カフェでビールを一杯頼んだ。涙が出そうなロシアの味だった。

<おわり>

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